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初仕事は「囮」

「チッ、どいつもこいつもうざってェ!牛の分際で調子に乗ってんじゃねェぞ!!」


荒々しく吠えたワタリは、シフトレバーを引き倒して燃料バルブを限界まで絞り上げる。

唸りを上げるボイラーが凄まじい熱量を吐き出し、まるでロケットの点火の如き爆発的な加速がデコトラの巨体を弾丸へと変貌させた。


「おらぁっ!!」


滾る蒸気と凄まじい推進力を乗せた頑丈なフロントバンパーが、次の破滅的な一撃を放とうとしていた巨大な雄牛の土手っ腹へと激突する。


グオオオオオ……!!


くぐもった悲鳴をあげ、巨体が盛大にのけ反り、体勢を崩した。だが、渾身の一撃を叩き込んだ代償として、デコトラの心臓部であるボイラーの炉心がけたたましい警告音を発している。今の超常的なバースト攻撃でエネルギーを完全に使い果たしてしまい、メーターが底をついたようだ。これではもう追撃もできなければ、後退してトラックの機動力で逃げ切ることも不可能だ。


「クソっ、ガス欠ならぬ魔力切れかよ!」


悪態をついたワタリは、素早く判断を下すと、助手席のカイとダッシュボードのナビラビに向かって怒鳴り声を上げた。


「おい新人、毛玉! 動かねぇならここでお陀仏だ。今すぐ降りろ!」

「いや、無理です! こんな化け物の目の前に飛び出すなんて絶対死にます!!」


青い顔をしてシートにしがみつくカイをよそに、ワタリは「なら勝手にしやがれ!」と自分の運転席側のドアを蹴破るように開け放し、勢いよく外へ飛び出す。


次の瞬間、体制を立て直した魔物の一撃を受け、バリアが音を立てて完全に砕け散った。

「やばいっピ!? 僕たちも早く降りるっピ!」

ナビラビの悲鳴に背中を押され、カイは恐怖で硬直しかけた体を必死に奮い立たせた。ここで車に籠もっていれば確実に死ぬ。行くしかない――!


「くそっ……!」


カイとナビラビが半ば押し出されるように激しい土煙と瘴気が渦巻く路上へと転がり落ちたとき、視線の先にすでにその場を走り去っていくワタリの後姿があった。遠ざかっていくワタリは、振り返ることもなく片手を高々と突き上げ、「幸運を祈る!」と容赦なくその場を走り去っていく。

彼の背中が遠ざかっていくのを、カイはただ、呆然と立ち尽くしたまま見送るしかなかった。あまりの非現実的すぎる展開に、怒りや文句すら湧いてこない。ただ目の前が真っ暗になり、冷たい絶望だけが胸の底に重く沈んでいく。 どうすればいい。これから一体、どうやってこの化け物から生き延びればいいというのか――。


カイは絶望に足を取られ、どう動くべきか完全に思考を停止させていた。だが、不幸中の幸いというべきか、もうもうと上がる土煙が二人をすっぽりと覆い隠し、暴れる魔物はまだこちらに気づいていないようだった。

身動きすら取れず、ただ立ちすくむカイの耳に、突如として別の喧騒が飛び込んでくる。

「なんだ今の爆音は!?」「い、一体何が……っ!」と、深夜の交差点で響き渡った凄まじい衝撃音を聞きつけ、周囲のビルや路地から野次馬や帰宅途中の人々が次々と姿を現した。 「なんかの撮影か……?」 呑気にスマホを向けたり、足を止めたりした彼らは、しかし現状を把握する暇すらなかった。それはそうだろう、カイと同様、現代社会において魔物と対峙する心構えなどあろうはずもなかったのだ。

わらわらと湧いて出た群衆に気づいた瞬間、巨大な雄牛の魔物は血走った目をさらに剥き出しにし、凄まじい咆哮を上げながらそちらへと猛突進を開始した。


逃げる間もなく、最前線の男女が魔物の太い腕に薙ぎ払われ、まるで紙細工のように無残に跳ね飛ばされる。さらに逃げ遅れた者が踏み潰され、あるいは漆黒の巨腕に貫かれ、血飛沫が夜の舗道を赤く染め上げた。 悲鳴と絶叫が重なる間もなく、数人の人間が文字通り一瞬で惨殺されていく地獄絵図が、目の前で繰り広げられる。 鼻をつく生温かい血の臭いと、目の前で次々と命が散っていく凄惨な光景に、カイは恐怖と胃液の逆流で顔を真っ青に染め上げ、その場で激しくえずいた。

「ぐっ、おえっ……はぁ、はぁっ……!」 「何やってるっピ! あの化け物があっちに気を取られている隙に、早く逃げるっピよ!」

「…わかってる――でも、あの人達が!」

また一人、また一人と周りの人間が宙に舞い、つんざくような悲鳴がカイの耳を打つ。 「今はとにかく逃げて、魔法陣が直るまでの時間を稼ぐっピ!」

ここでもたもたしていたら自分も彼らの二の舞になるのは明らかだ。だから早く、あの魔物の注意があちらに向いている間に逃げなきゃいけないのに――。 だが、本当にそれでいいのか? たくさんの人を犠牲に時間を稼ぐ事が、正解なのか? でも、そう思ったところで、今の自分に何ができる? 恐怖と無力感、罪悪感に押し潰されそうになる。

(何かないのか……。この化け物の注意をそらして、これ以上の被害を出さないように足止めする手段が――!)

必死に思考を巡らせるカイの視界の端に、黄色と黒の警戒色が飛び込んできた。 ――倒れかけたガードレールの脇に立てられた、赤錆びた『立入禁止』の看板。

(……まさか、ここって……!)

カイの脳裏に、つい最近見たニュースの記憶が電撃のように蘇る。 ――そうだ、この一帯は最近立て続けに局所的な地盤沈下が発生し、危険区域として立ち入り禁止になっていたはずだ。

「ナビラビ、少し提案があるんだ」

カイは肩にしがみつくナビラビへと真剣な眼差しを向ける。

「 この先に地盤沈下を引き起こす箇所があると思う。僕がそこへあの牛を誘導するから、君が未来を見て、どの亀裂にはまって動けなくなるかわからないかな?」

その問いに、ナビラビが、耳をぴくりと波打たせて振り返る。

「そもそもこの魔物化はイレギュラーだからわからないっピ! これから先の未来を見たって、こんな状況じゃ当たるかどうかも……」

言い訳がましく両手を広げて首を横に振るナビラビ。だが、その言葉の途中で、カイはハッと何かを閃いたように顔を輝かせた。

「魔物の未来を見るのではなく、直近で地盤が崩落する『場所』なら?」

カイの鋭い問いに、ナビラビはピタリと動きを止めた。

「それなら……地盤の緩いポイントを予測するくらいならいけるかもしれないっピ。でも、危険すぎるっピ!」

カイが頷きそれでも頼む、と声をかける。

「〜〜わかったっピ! ちょっと待つっピ、今すぐログスと交信して安全なルートと一番深い穴の位置を割り出すっピ!でも、データリンク中は無防備になるから、その間はしっかりボクを守ってくれっピよ!」」

ナビラビは額のツノをピカッと光らせ、急ぎ交信を開始した。

今、魔物の猛進を止められるのは自分しかいない。

早く安全な場所へ逃げ出したい恐怖をぐっと飲み込み、カイは意を決して一歩前へ出て、近くにあった鉄パイプを拾い上げ、打ち捨てられた『立入禁止』の看板をこれでもかと強烈に叩いた。

『カンッ!!』という甲高い金属音が、夜の静寂を引き裂くように響きわたる。

「こ、こっちだ! ウスノロの化け物め、僕を捕まえてみろ――っ!」

ズシン、ズシンと大地を揺るがしながら、狂気的なまでの殺意をたたえた牛の魔物が、血走った目をカイへと向けた。

「ひっ……!」

背筋が凍るようなプレッシャーに足がすくみそうになるが、ここで引けばすべてが終わる。恐怖に震える足を必死に奮い立たせ、カイは一目散に、地盤沈下帯の奥へと走り出した。


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