課金は計画的に
男の足が、ようやくピタリと止まったのは――すでに金ピカの巨体があと数メートルに迫った、まさにその瞬間だった。ぐにゃり、と時が歪んだようにその瞬間がスローモーションになる。
『――誠に勝手ながら、本アプリは本日0:00をもちましてサービスを終了いたします――』
現在時刻:午前0時。手元のスマホ画面に表示された非情なポップアップ。男は震える手でそれを凝視する。
『…………は? 嘘……だろ……? 毎晩終電まで働いて、血尿出しながら貯めた全財産を注ぎ込んだSSR完凸キャラたちがぁぁぁ……! これまでの俺が築いた歴史が、伝説が……全部、無になるって言うのかよ……! 俺の青春と社畜の苦労を返せぇぇぇぇぇぇぇッ!!』
男の絶望が沸点を超えて慟哭に変わる。しかし、巨体の影に気づいたときには、すでに手遅れだった。
(ひくっ……当たる――っ!)
カイが反射的に頭部を腕でかばい、ぎゅっと固く目を瞑った――次の瞬間。
ドオオオオンッ!! と、骨の髄まで響くような凄まじい衝撃と激震がキャビンを襲った。 あまりの激しいGに、カイはシートベルトに身体を食い込ませながら、内臓がひっくり返るような吐き気と激痛に顔を歪める。
「ぐっ……あがっ……!?」
衝撃で車内が大きく揺らぐ中、男は軽々と宙に舞った――かに思えた。しかし、アクセル全開のトラックはまるで目に見えない壁に押し戻されるように、一歩も前に進んでいない。ワタリが踏み込むタイヤは激しく空回りし、エンジンは悲鳴のような轟音を上げて空ぶかしを続けている。
今にも意識を手放しそうな最中、うっすらとカイは目を開けた。
そこに飛び込んできたのは、濛々と立ち込める土煙の中、黒い瘴気を纏った男が宙に浮き、その異様なオーラによって巨体のトラックが押し留められているという信じがたい光景だった。
「いってーなクソが!おい、ポンコツ毛玉どーなってやがる! 予定じゃおとなしく即転するはずのパンピーが、なんで生きてんだ」
激しい横揺れで額を打ちつけた様子のワタリは頭から血を滲ませながらも、怒りに任せてハンドルを拳で激しく殴りつけた。
「ログスのデータ大誤算ですっピ! 最新データ取得、分析中…!!」
ナビラビも頭のツノを点滅させながら右往左往している。どうやらこの事態は完全に想定外の出来事らしい。
カイ達が状況を把握できず取り乱している間に、男の皮膚が内側から裂け、底知れぬ黒い瘴気が一斉に溢れ出してきた。それは瞬く間に男の全身を覆い、膨張しながら、直径五メートルを超えるであろう巨大な半人半獣の、雄牛のような頭部を持つ怪物へと変貌を遂げていく。
「アラート!アラート!未知のスキル反応を感知!!これはまさか、魔物化だっピかー!?」
全身を襲う激痛とリアルすぎる冷や汗に、カイの脳裏で現実逃避の扉が完全に閉ざされた。 ――夢じゃない。どれだけ目をこすろうが、この尋常ではない内臓の痛みも、けたたましいエンジンの異音も、目の前のバケモノも、すべて紛れもない現実だ。……信じられないような出来事が立て続けに起きているが、少なくとも「闇バイトに加担してしまった」などという生易しいレベルの悩みは、今この瞬間に完全に吹き飛んだ。 どうやら僕は、人間の範疇を優に逸脱した、もっと直接的で命がいくつあっても足りないヤバい状況に陥っているらしい……!!
グオオオオ!!!
漆黒のケンタウロスめいた巨躯を震わせる魔物は、狂ったような雄叫びを上げ、フロントに輝く巨大な魔法陣めがけて凄まじい威力の巨腕を振り下ろした。
敵の攻撃を受ける瞬間、魔法陣がまばゆい閃光を放ち、空間を切り取るようにして青く光るハニカム模様のエネルギー障壁が展開される。六角形の網目が硬質なシールドとしてトラックの周囲を覆うように広がった。
ドオオオン!!魔物の攻撃がヒットした直後、重い衝撃波が空気を震わせ、エネルギー障壁の表面に激しいひび割れが走る。
「ひいいいいい!!」「てめええええ!!よくも俺の相棒を!!」
「バリアでなんとか耐えたけど、魔法陣がダメージを受けているっピ! この調子で攻撃を受け続けたら、車体ごとスクラップだっピ〜〜!!」
あまりの急転直下な状況にワタリが舌打ちをしたその時、ナビラビの目の前にあったホログラムがビビッと激しく明滅した。
「あわわ、本局から緊急通信ですっピ! ……はい! こちらナビラビ!」
ナビラビが慌ててホログラムをタップすると、ざざざとノイズ交じりにミドラーの鬼気迫る顔が投影された。
『こちらミドラー――みんな、聞こえる!? 』 「か、課長!? 大変ですっピ、ターゲットが魔物化して――」 『状況はこっちのモニターですべて把握してるわ! ……それよりあなたたち、致命的なエラー報告よ!』
ミドラーは頭を抱え、早口でまくし立てた。 『私としたことが、本来送り込むはずだった派遣の子じゃなくて、見知らぬ一般人をうっかり現地に送り込んじゃったのよ!!』カイは青筋を立てて絶叫する。
「オレ、ちゃんと言おうとしましたよ!! 違うって!!」
「いやーほんとそれは悪いと思ってるわ、まさかこんな偶然があるなんてね。でももう起きちゃったことは仕方ないじゃない。てことで――」
ナビラビが「ぷぎゅえっ!?」と仰天する横で、ワタリはやれやれとめんどくさそうに頭を掻いた。
『今すぐ遠隔操作で魔法陣の復旧に取り掛かるわ! だからそれまでなんとか時間を稼いで! 相手は魔物、交戦は避けられないわよ、派遣の応援が到着するまで死ぬ気で持ち堪えなさい!!』 ツーーーッ……。
「おい待て――!?」 返事を聞くこともなく、通信は一方的にプツリと途切れた。
「……あのクソヒス女、後でぜってーコロス……!」 ワタリが盛大に舌打ちを吐き捨てる。 前方では、巨大な雄牛の魔物が再び咆哮を上げ、次の破滅的な一撃を叩き込もうと巨腕を振りかぶっていた。




