↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
離縁の日まで、契約どおりに愛しません ~冷酷と噂の辺境伯に嫁いだ誓約術師は、三年で出ていく予定でした~  作者: やまご


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/42

第八話 三者の紙

モーリス子爵からの返答は、五日後に届きました。


『先般の件、確かに承りました。ただし当家は現在、王都の所用にて手が離せず、月を跨いでの面会となります。日取りは追ってご連絡いたします』


私はその三行を、二度読みました。


「セヴェリン様。これは、断りに近い返事です」


「断ってはいない」


「断ってはおりません。ただ、日取りを示しておりません。示さない返事は、待たせるための返事です」


「何を待っている」


「分かりません。ただ、待たせて得をするのは、時間の経過で有利になる側です」


セヴェリン様は、書状を机に置きました。


「略式署名に期限はないと、君は言った」


「はい。時間が経っても、予約は消えません」


「では、待っても向こうに利はないはずだ」


「本来は、そうです」


私は少し考えました。


「ですから、向こうが待っているのは、別のことかもしれません」


   ◆


三者誓約の締結は、翌日でした。


場所は、ドラン村とケール村の中間にある、街道沿いの古い水番小屋です。どちらの村からも歩いて来られる距離で、どちらの村のものでもありません。場所選びには、そういう意味があります。


ドラン村からガーロ村長と村の男が三人。ケール村からハンナ殿と、五人。それにセヴェリン様と私。


卓の上に、三通の同文を並べました。三者ぶんです。


「では、条文の読み上げをいたします」


私は立ち上がりました。


「すでに両村にはご説明済みですが、締結の場では全条を読み上げるのが決まりです。長くなりますので、途中で止めていただいて結構です」


「もう聞いたよ」


ガーロ村長が言いました。


「三刻もかけて」


「ここでは半刻で済みます」


「じゃあ、やってくれ」


私は読み上げを始めました。


第一条、三者の当事者。第二条、既存二通への優先。第三条、既存二通を破棄しないこと。第四条から第七条、月別の取水量。第八条、三者の合計。第九条、争いが生じたときの手続き。第十条、合計値の掲示。


途中、ハンナ殿が一度だけ手を挙げました。


「第九条の、争いが生じたときというのは」


「数字の解釈で揉めたときです。まず三者で協議し、まとまらなければ領主が裁定する、と書いております」


「領主が裁くのですか」


「はい。ただし」


私は続けました。


「領主も当事者の一人です。ですから、裁定に不服がある場合は、王都の管理院へ持ち込めると但し書きを入れております。第九条の後半です」


ハンナ殿が、ゆっくりと頷きました。


「領主を、疑ってよいと」


「疑ってよいと書いておかなければ、誓約書として不完全です」


セヴェリン様は、何も言いませんでした。


止められるかと思いましたが、彼はただ、卓の向こうで黙って聞いていました。


   ◆


読み上げが終わり、署名の段になりました。


ガーロ村長が先に立ちました。


「上流が先だな」


「順序に意味はございません。どなたからでも」


「いや」


村長は言いました。


「先に決まったのはこっちだ。だから、先に責任を取る」


彼は術式署名を落としました。掌に白い紋が浮かび、すぐに消えます。


次にハンナ殿が立ちました。手が少し震えていましたが、迷いはありませんでした。署名の紋が浮かんだとき、彼は掌をじっと見つめていました。


「熱くありませんな」


「はい。虚偽がございませんので」


「――そうですか」


最後にセヴェリン様が署名しました。


三つの紋が、それぞれの掌で消えました。


誓約が成立しました。


   ◆


小屋を出るとき、ガーロ村長が私を呼び止めました。


「奥方」


「はい」


「一つ、頼みがある」


彼はぶっきらぼうに言いました。


「うちの村に、テオって若いのがいるだろう。ケールまで一緒に行った」


「はい。お世話になりました」


「あれに、字を教えてやってくれんか」


私は少し驚きました。


「字を」


「読めるやつが村に一人でもいれば、次はこんなに手間をかけさせずに済む。あんたが三刻かける必要もなくなる」


「私は、手間だとは思っておりません」


「こっちが思うんだよ」


村長は顔をしかめました。


「毎回来てもらうわけにはいかんだろう。あんたは三年で――」


そこで彼は、口をつぐみました。


私も、黙りました。


三年で辺境伯家を出る。その話は、村にまで届いているようでした。当然かもしれません。婚姻誓約書の期限は、隠すようなものではありませんから。


「……悪かった」


村長が言いました。


「余計なことを言った」


「いいえ」


私は首を振りました。


「テオさんに、字をお教えします。誓約書を読むところまでは無理でも、数字と、日付と、名前が読めれば、ずいぶん違います」


「そこまでで十分だ」


「では、月に二度ほど、村へ伺います」


村長は、少しのあいだ私を見ていました。


それから、頭を下げました。深く、長く。


「頼みます」


   ◆


帰りの馬車で、セヴェリン様が口を開きました。


「字を教えるのか」


「はい。よろしかったでしょうか」


「かまわん。ただ、報酬の対象にならない」


「存じております」


「付属誓約は、誓約書の検分に対して払うものだ。読み書きを教えることは含まれていない」


「はい」


「含めるか」


私は顔を上げました。


「――え」


「付属誓約に一条足す。領内における読み書きの指導も、報酬の対象とする」


セヴェリン様は、窓の外を見たまま言いました。


「一人に教えるのも、二十人に教えるのも、君の時間を使うことに変わりはない。払わない理由がない」


私は膝の上で、手を握りました。


「あの、セヴェリン様」


「なんだ」


「私は、村長に頼まれたから引き受けたのです。報酬を求めて申し上げたわけでは」


「知っている」


彼はこちらを向きました。


「だから足すと言っている」


馬車が揺れました。


私は何か言おうとして、言葉が出ませんでした。


十年間、私がやってきた仕事は、報酬の対象ではありませんでした。求めなかったからではありません。求めるという発想が、なかったのです。家の仕事を家の者がするのは当たり前だと言われ続けて、私はそれを条文のように受け取っていました。


条文であれば、私は読み方を疑ったはずです。


自分に関することだけ、疑わずにいました。


「――ありがとうございます」


やっと、それだけ言いました。


セヴェリン様は、少し黙ってから、短く答えました。


「働いた分だ」


   ◆


屋敷に戻ると、玄関にバルトが立っていました。


いつもは表情の動かない家令が、めずらしく硬い顔をしていました。


「旦那様。奥様。王都より、使者が参っております」


「管理院か」


「いいえ」


バルトは言いました。


「アシュフィールド伯爵家の使者でございます。奥様に、直接お会いしたいと」


私は足を止めました。


「父が、人を寄越したのですか」


「使者は、伯爵ご本人の代理と名乗っております。応接間にお通ししております」


セヴェリン様が、私の顔を見ました。


「会うか」


「会います」


「一人でか」


私は少し考えました。


「いえ」


首を振りました。


「ご同席いただけますか」


彼は頷きました。


「妻の実家の使者だ。当主が出るのが筋だろう」


応接間の扉の前で、私は一度だけ、深く息を吸いました。


相場を書いた返事を出してから、十日が経っています。


十日で、王都から人が来た。それは、あの三行を読んだということです。


そして、返事を書いて済ませる気がなかったということでもありました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。