第四十五話 鑑定
鑑定の部屋は、管理院の地下にありました。
窓のない石の部屋です。中央に石の台が据えられ、その周りに三人の官吏が立っていました。うち一人は、供託の窓口にいた女性でした。
「立会人を務めます、メリダと申します」
彼女は名乗りました。
「鑑定は、紋に術式を当て、対応する登録誓約を照合いたします。痛みはございませんが、紋が一時的に熱を持ちます」
「どれくらいだ」
セヴェリン様が尋ねました。
「四半刻ほどでございます」
「始めてくれ」
◆
彼は台の前に立ち、手袋を外して左手を置きました。
黒い紋が、灯りの下に晒されます。
官吏の一人が、石板を紋の上にかざしました。もう一人が、術式を唱えます。
しばらくして、紋がわずかに光り始めました。黒い線の縁が、赤みを帯びていきます。
セヴェリン様の顎に、力が入りました。
「熱いか」
私が尋ねると、彼は短く答えました。
「熱い」
「四半刻でございます」
「分かっている」
私は、彼の手ではなく、顔を見ていました。
汗が、こめかみを伝っていきます。
◆
四半刻が過ぎ、光が消えました。
官吏が石板を下ろします。メリダ殿が、石板の表面を確かめました。
「照合が出ました」
彼女は言いました。
「登録番号、二年前八月十七日付、私的誓約。登録三件のうち、第二号でございます」
私は、息を詰めました。
「当事者は」
「二名」
メリダ殿は言いました。
「第一当事者、前ガルドウィン辺境伯。第二当事者、非公開」
「セヴェリン様のお名前は」
「ございません」
私は、顔を上げました。
「――ございません、と申しますと」
「登録上の当事者は二名でございます」
彼女は言いました。
「辺境伯セヴェリン殿のお名前は、当事者欄にございません」
◆
「では、なぜ紋が出る」
セヴェリン様が言いました。
「照合は、確かに出ております」
メリダ殿は石板を示しました。
「紋と、この誓約の術式が一致しております。ただ、当事者としてではございません」
「では、何としてだ」
彼女は、少し言葉を選びました。
「――履行の対象として、でございます」
私は、その言葉の意味を考えました。
「対象」
「はい」
メリダ殿は言いました。
「誓約の内容が、第三者に関するものである場合、その第三者に紋が出ることがございます。当事者ではないが、誓約の履行によって影響を受ける者でございます」
「例を挙げていただけますか」
「たとえば、後見に関する誓約でございます」
彼女は言いました。
「甲が乙に対し、丙の身柄を保証する。この場合、丙は当事者ではございませんが、履行の対象となります」
◆
石の部屋が、静かになりました。
「私が、対象か」
セヴェリン様が言いました。
声が、低くなっていました。
「そうなります」
メリダ殿は言いました。
「閲覧は、できるのか」
「対象者には、閲覧権がございます」
彼女は言いました。
「細則第二百九十二条。履行の対象とされた者は、当該誓約の閲覧を請求できる」
「では、請求する」
「申請書をお書きいただきます」
私は、すぐに紙を取りました。
◆
申請から交付まで、二日かかりました。
その二日間、私は宿でほとんど眠れませんでした。
セヴェリン様も、同じだったと思います。夜、隣の部屋で椅子の動く音が何度もしていました。
二日目の午後、管理院から呼び出しがありました。
閲覧室は、三階の小部屋でした。卓が一つ、椅子が二つ。
メリダ殿が、封筒を持って入ってきました。
「私的誓約第二号でございます」
彼女は言いました。
「閲覧のみ。写しの作成は認められません。筆記も不可でございます」
「覚えるのはよろしいですか」
私が尋ねると、彼女は少し口の端を動かしました。
「止める規定がございません」
◆
封を開け、一枚の羊皮紙を取り出しました。
私は卓に広げ、セヴェリン様と並んで読みました。
『私的誓約書
甲 ガルドウィン辺境伯 ヴィルヘルム
乙 (非公開)
第一条 甲は、乙に対し、丙ことセヴェリン・ガルドウィンの家督相続について、これを妨げないことを約する。
第二条 乙は、甲の生存中、ガルドウィン辺境伯領に対する一切の請求を行わないものとする。
第三条 甲の死亡後、乙は前条の制限を解かれる。
第四条 甲は、乙が前条により請求を行う場合、丙をして、これに応じせしめるものとする。
第五条 本誓約の履行期は、これを定めない。』
◆
私は、二度読みました。
三度目で、指が止まりました。
「――第四条でございます」
「読んだ」
セヴェリン様が言いました。
「私に、応じさせる、と」
「はい」
私は言いました。
「先代様が、セヴェリン様に応じさせると約束しておられます。ご本人の同意なしに」
「そんなことができるのか」
「できません」
私は言いました。
「第三者に義務を負わせる誓約は、無効でございます。細則第四十一条」
「では、無効か」
「第四条は、無効でございます」
私は言いました。
「ただ、無効であっても、紋は出ます」
◆
「なぜだ」
「誓約術は、条文の有効無効を判断いたしません」
私は言いました。
「術式は、書かれたとおりに作動いたします。第四条に丙の名が書かれている以上、丙に紋が出ます」
「では、この紋は」
「無効な条文による紋でございます」
私は言いました。
「法としては効力がございません。ですが、術としては生きております」
セヴェリン様が、左手を見下ろしました。
「――消せるのか」
「消せます」
私は言いました。
「無効の確認を、管理院に申し立てればよろしゅうございます。第四条が無効であると確認されれば、術式の登録が抹消され、紋が消えます」
「そんなに簡単なことか」
「簡単でございます」
私は言いました。
「知っていれば」
◆
私は、条文をもう一度読み返しました。
第二条。乙は、甲の生存中、請求を行わない。
第三条。甲の死亡後、制限を解かれる。
つまり、乙は、先代様が生きているあいだは請求できず、亡くなってから請求できるようになる。
そして第一条。乙は、セヴェリン様の家督相続を妨げない。
「セヴェリン様」
私は言いました。
「この誓約は、取引でございます」
「取引」
「乙が、家督相続を妨げない。その代わり、先代様の死後に、請求できるようにする」
私は言いました。
「乙は、家督を争える立場にあった者でございます」
セヴェリン様が、こちらを見ました。
「――叔父か」
「そう読むのが自然でございます」
私は言いました。
「アデル様は、十八年前に請求権を放棄しておられます。ですが、相続権までは放棄しておられません」
「放棄させられたのは、請求権だけか」
「だけでございます」
私は言いました。
「婚姻誓約書の第七条は、請求権の放棄でございます。相続権については、一言も書かれておりません」
◆
私は、羊皮紙の日付を見ました。
二年前の八月十七日。
「先代様は、この誓約を結ばれた一月後に、亡くなっております」
私は言いました。
「第三条により、その時点で乙の制限が解かれております」
「二年前から、請求できたのか」
「できました」
私は言いました。
「ですが、請求されておりません」
セヴェリン様が、眉を寄せました。
「なぜだ」
「分かりません」
私は言いました。
「請求できる立場になって、二年、何もしておられません。その代わりに――」
私は、そこで気づきました。
「二年前の秋から冬、週に一度、書斎に通っておられました」
私は言いました。
「請求ではなく、書類を読みに来ておられたのでございます」




