第四十三話 妹の持参金
応接間に、妹は座っていました。
一年ぶりです。少し痩せたように見えました。隣に、二十歳そこそこの若い男が控えています。背筋を伸ばして、膝の上に革の鞄を置いていました。
「お姉さま」
リナリーが立ち上がりました。
「ご無沙汰しております」
私は言いました。
「よくお越しくださいました。こちらは」
「ヨセフと申します」
若い男が礼をしました。
「リナリー様の読み手を務めております」
「ヴィオラでございます」
私は言いました。
「王都からは、六日でございましたでしょう」
「七日かかりました」
リナリーが言いました。
「雨で、一日止まりました」
◆
椅子に落ち着くと、しばらく誰も口を開きませんでした。
「――お父さまには」
私が尋ねると、リナリーは首を振りました。
「言っていません」
「そうですか」
「言えば、止められますから」
彼女は言いました。
「持参金で、旅費を出しました」
私は、少し考えました。
「旅費は、あなたの利益のための支出でございますか」
「分かりません」
リナリーは言いました。
「でも、ヨセフさんが、説明できる形にしてくださいました」
ヨセフが、鞄から一枚出しました。
「持参金からの支出につき、目的と金額を記録しております」
彼は言いました。
「目的は、ガルドウィン辺境伯夫人との面談。用件は、届出名義の是正に関する協議でございます」
私は、その一枚を見ました。
書式が整っています。日付、金額、目的、承認者。承認者の欄に、リナリーの署名がありました。
「よく書けております」
私は言いました。
「恐れ入ります」
◆
「届出名義の是正、と書いてございます」
私は言いました。
「それが、ご用件でございますか」
「はい」
リナリーが言いました。
「百通のことです」
彼女は膝の上で手を握りました。
「わたし、管理院にお姉さまの言ったとおりに答えました。代理の者に読ませて、自分の判断で署名した、と」
「はい」
「それで、届出は残りました。今も有効です」
リナリーは言いました。
「でも、それは嘘です」
◆
私は、口を挟みませんでした。
「わたしは、何も読んでいません。判断もしていません。ただ、お父さまに言われて名前を書いただけです」
彼女は言いました。
「あの答えは、誓約書に書いたわけではないので、代償は降りません。でも、嘘です」
「嘘ではございません」
私は言いました。
「え」
「代理の者に読ませた、というのは事実でございます」
私は言いました。
「私が読んでおりました。自分の判断で署名した、というのも、あなたが署名なさった以上、形としては事実でございます」
「でも」
「判断していないと仰るのなら、それは判断の中身の問題でございます」
私は言いました。
「管理院が問うているのは、届出の形式でございます。中身までは問われません」
リナリーは、しばらく黙っていました。
「――お姉さまは、いつもそうやって言います」
「そうやって、と申しますと」
「わたしを責めない言い方です」
彼女は言いました。
「責めてくださったほうが、楽です」
◆
私は、少し答えに詰まりました。
「責める理由がございません」
「あります」
リナリーは言いました。
「十年、お姉さまの仕事が、わたしの名前で出されていました。わたしは、その名前のおかげで、家のことをやっていることになっていました。縁談のときにも、そう言われました」
「存じております」
「知っていたんですか」
「知っておりました」
私は言いました。
「父がそう説明しているのを、聞いたことがございます」
リナリーの顔が、強張りました。
「なぜ、何も言わなかったんですか」
「言う相手がおりませんでした」
私は言いました。
「父に言えば、余計なことを言うなと言われます。あなたに言えば、あなたが困ります」
◆
「困ればよかったんです」
リナリーが言いました。
声が、少し高くなっていました。
「わたしが困れば、何か変わったかもしれません」
「変わりません」
私は言いました。
「あなたが困っても、父は読み手を雇いません。別の誰かの名を使うだけでございます」
「それでも」
「リナリー」
私は、名を呼びました。
妹が、口を閉じました。
「あなたが今ここにいるのは、読み手を雇われたからでございます」
私は言いました。
「雇えたのは、持参金が使えたからでございます。使えることを知ったのは、私が書いたからでございます」
私は、言葉を選びました。
「それで十分でございます。それ以上のことを、私はあなたにも、自分にも求めません」
◆
リナリーは、しばらく俯いていました。
やがて、顔を上げました。
「お姉さま。届出の名義を、変えたいのです」
「変える」
「百通を、お姉さまの名に」
私は、首を振りました。
「できません」
「なぜですか」
「名義の変更は、冒用の申告と同じ扱いになります」
私は言いました。
「届出は取り消され、やり直しになります。やり直しのあいだ、小作契約は効力を失います。四十の家が、土地を追われる恐れがございます」
「では、どうすれば」
「何もしないことでございます」
私は言いました。
「百通は、そのままにしておきます。今後の届出だけを、正しい形にしてください」
「今後、というのは」
「ヨセフさんの名で届け出ることでございます」
私は言いました。
「代理人として、読み手の名を併記する形がございます。細則第八十七条でございます」
ヨセフが、顔を上げました。
「――存じませんでした」
「雑則に紛れております」
私は言いました。
「あまり使われませんので」
◆
「それで、いいのですか」
リナリーが言いました。
「よろしゅうございます」
私は言いました。
「過去は変えられません。変えようとすれば、関係のない人が困ります。ですから、これから先だけを正します」
「でも、お姉さまの十年は」
「記録には残りません」
私は言いました。
「残りませんが、あなたは知っております」
私は、少し息を吐きました。
「それで、十分でございます」
リナリーは、何か言おうとして、口をつぐみました。
目が赤くなっていましたが、泣きませんでした。
「――お姉さまは、ずるいです」
「よく言われます」
私は言いました。
「可愛げがない、とも」
◆
夕食を共にし、妹たちは翌朝発つことになりました。
その晩、私は応接間でヨセフと二人になりました。リナリーが先に休んだあとです。
「ヨセフさん。一つ、伺ってもよろしいですか」
「はい」
「アシュフィールド家の誓約書に、二十年ほど前のものはございますか」
彼は、少し考えました。
「ございます。ただ、ほとんど処理済みでございます」
「その中に、ガルドウィン家に関わるものはございましたか」
ヨセフは、首を振りました。
「ございません」
「そうですか」
「ただ」
彼は言いました。
「ガルドウィンという名を、一度だけ見ております」
私は、顔を上げました。
「どちらで」
「伯爵の私信でございます」
ヨセフは言いました。
「誓約書ではございませんので、私の職分ではございません。ただ、整理の途中で束に混ざっておりまして」
「内容を、覚えておいでですか」
「一行だけでございます」
彼は言いました。
「――ガルドウィンの件、承知した、と」
「日付は」
「今年の、春でございます」




