第四十二話 同意書
屋敷に戻ったのは、五月の終わりでした。
翌日、私はドラン村へ向かいました。同意書を取るためです。
集会所には、二十人ほどが集まっていました。羊を丘へ上げる準備の話をしていたところだったようで、卓の上に縄と鈴が積んでありました。
「奥方。丘の件、ありがとうございました」
ガーロ村長が言いました。
「来月から、上げます」
「よろしゅうございました」
私は言いました。
「本日は、その使用料について、お願いがございます」
◆
私は、同意書の草案を卓に置きました。
「村が当家に納める使用料の支払先を、十年間、王都の管理院に変更させていただきたく存じます」
集会所が、ざわつきました。
「管理院に」
「はい」
「なんでまた」
私は、説明の紙を取り出しました。宿で書いた、読み上げるための文面です。
「当家は、二年前に北の砦で援兵を受けました。その精算が済んでおりません」
私は言いました。
「精算の相手が誰か、書面に書かれておりません。ですから、当家が誰に払えばよいか分からない状態でございます」
「払わないでいいんじゃないのか」
誰かが言いました。
「払わないでおりますと、辺境伯に罰が降ります」
私は言いました。
「誓約術の代償でございます」
集会所が、静かになりました。
◆
「罰って、どんな」
「軽いものではございません」
私は言いました。
「期限は、来年の九月二日でございます」
「そりゃ、いかん」
村長が言いました。
「それで、管理院か」
「はい」
私は言いました。
「相手が分からないときは、管理院に預けることで、払ったことになります。預ける額が、金貨で二百五十六枚でございます」
「二百五十六」
誰かが息を呑みました。
「当家には、ございません」
私は言いました。
「ですから、丘の使用料を十年分、そのまま管理院に納めていただきたいのでございます」
◆
「村が、払うのか」
村長が言いました。
「いいえ」
私は言いました。
「額は変わりません。今までどおり、年に金貨二十六枚ほどでございます。払う先が、当家から管理院に変わるだけでございます」
「十年か」
「十年でございます」
私は言いました。
「十一年目からは、また当家に納めていただきます」
「じゃあ、損をするのは辺境伯だな」
村長が言いました。
「十年、入らんわけだ」
「そうなります」
私は言いました。
「ただ、罰が降りるよりは軽うございます」
◆
集会所の後ろで、テオが手を挙げました。
「奥様。一つ、いいですか」
「はい」
「その紙には、何条あるんですか」
私は少し、驚きました。
「四条でございます」
「読んでもらえますか。全部」
私は、草案を手に取りました。
「第一条。ドラン村は、北の丘ヴァレ地区の放牧権の使用料を、本日より十年間、王都誓約管理院に納付することに同意する」
「二条は」
「第二条。使用料の額は、従前と同じとする。増減は行わない」
「三条」
「第三条。十年の期間満了後、支払先は当家に戻る」
「四条」
「第四条。本同意は、放牧権そのものに影響を与えない。村の使用は、従前どおり継続する」
テオが、頷きました。
「四条目が、大事ですね」
私は、しばらくその顔を見ました。
「――そのとおりでございます」
◆
「なんで大事なんだ」
村長が尋ねました。
「払う先が変わったら、使う権利も移ったって言われるかもしれないからです」
テオが言いました。
「だから、影響しないって書いてあるんです」
「そんなこと、言うやつがいるか」
「います」
私は言いました。
「言い出す者は、必ずおります。ですから、先に書いておきます」
集会所が、少し笑いました。
「テオ、達者になったな」
「奥様に習ってますから」
「読めるようになったか」
「数字と日付と、名前だけですけど」
テオは言いました。
「あとは、条を数えられます」
◆
同意書の署名は、その場で済みました。
村長が村を代表して術式署名を落とします。白い紋が浮かんで、すぐに消えました。
「熱くないな」
「虚偽がございませんので」
私は言いました。
「ありがとうございます」
村長は、少し照れたように手を振りました。
「礼を言われることじゃない。丘を返してもらった礼のほうが大きい」
「返してはおりません」
私は言いました。
「もともと村の権利でございました。二年、使えなかっただけでございます」
「同じことだ」
「違います」
私は言いました。
「同じことにしないために、条文がございます」
村長は、少し黙ってから、言いました。
「――あんたは、そういうことばっかり言うな」
「よく言われます」
◆
屋敷に戻る馬車で、私は同意書を膝の上に置いていました。
これで、供託の要件は揃います。六月に王都へ発てば、七月には受理されるはずです。紋が消えるかどうかは、そのあとに分かります。
「セヴェリン様」
「なんだ」
「テオさんが、四条目の意味を自分で言い当てました」
私は言いました。
「教えてはおりません。条を数えられるようになったので、自分で考えたのだと思います」
セヴェリン様は、窓の外を見ていました。
「一年で、そこまでいくか」
「いきます」
私は言いました。
「読むことは、覚えれば誰でもできます。問題は、教える者がいるかどうかだけでございます」
◆
屋敷に着くと、バルトが玄関で待っていました。
「旦那様。奥様。お客様がお見えでございます」
「誰だ」
「アシュフィールド伯爵家の、リナリー様でございます」
私は、外套を脱ぐ手を止めました。
「――妹が」
「本日の昼過ぎに」
バルトは言いました。
「読み手の方と、お二人で」
私は、しばらく動けませんでした。
嫁いでから、一年近くが経っています。妹とは、書状のやりとりだけでした。
「応接間か」
セヴェリン様が言いました。
「はい」
「行くか」
彼はこちらを見ました。
「――行きます」
私はそう言って、外套を家令に渡しました。
応接間の扉の前で、一度だけ息を整えました。
書状の中の妹と、目の前に座っている妹が、同じ人であるとは限りません。それは十年、書斎で学んだことでした。書かれていることと、書いた人の実際は、別のものです。




