第四十話 あれは兵にする
その夜、宿の部屋で、私はセヴェリン様に控えの写しを渡しました。
十二年分、百四十ほどの記載です。彼は最初から順に読んでいきました。日付、依頼主、誓約書の種類、備考。
途中で、手が止まりました。
どの行で止まったのかは、見なくても分かりました。
「当主子息、砦へ。書類の扱いを教える機会なし」
彼が読み上げました。
「十一年前でございます」
私は言いました。
「セヴェリン様が、九つの年でございます」
彼は次の行を読みました。
「当主子息、帰邸せず。三年目」
「八年前でございます」
セヴェリン様は、控えを机に置きました。
しばらく、何も言いませんでした。
◆
「十二の年に、砦へ入れられた」
やがて、彼は言いました。
「父が決めた。ガルドウィンは辺境だ、当主は剣を持てねばならんと」
「そう仰ったのですか」
「一度だけな」
彼は言いました。
「理由を聞いたのは、そのときだけだ。それ以降は、聞かなかった」
「お帰りになりたいとは」
「思わなかった」
セヴェリン様は言いました。
「砦のほうが、分かりやすい。誰が敵で、どこを守るかが決まっている」
私は、口を挟みませんでした。
「屋敷に戻ると、父は書斎にいた」
彼は続けました。
「紙の山に埋もれて、何か唸っている。何を読んでいるのかと聞いたことがある」
「なんと仰いましたか」
「お前が知る必要はない、と」
彼は言いました。
「それで終わりだ」
◆
私は、控えの写しに目を落としました。
『当主に、ご子息へ書類の扱いを教えるべき旨、進言。二度目』
その下に、日付が入っています。十一年前の、秋。
「ヴェルナーさんは、二度進言しておられます」
私は言いました。
「一度目が十二年前、二度目が十一年前」
「二度目の返事が、あれは兵にする、か」
「そのようでございます」
私は言いました。
「三度目は、ございません」
セヴェリン様が、椅子の背に身を預けました。
「――諦めたか」
「諦められたのだと思います」
私は言いました。
「あるいは、諦めさせられたのかもしれません」
「同じことだ」
「違います」
私は言いました。
「諦めるのは、本人の判断でございます。諦めさせられるのは、そうでございません」
◆
私は、控えの続きを繰りました。
十一年前の秋のあと、進言の記載は途絶えています。代わりに、別の記載が増えていました。
『当主、署名のみ。内容の確認を求めず』
『当主、署名のみ』
『当主、署名のみ』
同じ一行が、十数回。
「先代様は、読まれなくなっております」
私は言いました。
「十一年前を境に」
「それまでは読んでいたのか」
「読もうとはしておられたようでございます」
私は前のほうの記載を示しました。
「説明するも聞かれず、と書いてございます。説明する場が、あったということでございます」
「途中でやめたか」
「やめられました」
私は言いました。
「そして、そこから二年前まで、十年近く、署名だけをなさっておりました」
◆
私は、そこで一つ思い当たりました。
「セヴェリン様」
「なんだ」
「二年前の夏、先代様が書斎の整理を依頼されました」
「戦の最中にな」
「十年間、読まなくなっていた方が、突然、書斎を整理させておられます」
私は言いました。
「不自然でございます」
「何かがあったのか」
「あったと考えるべきかと存じます」
私は控えを繰りました。
二年前の項目を探します。
七月の記載がありました。
『当主より、書斎整理の依頼。急ぎと』
その下に、備考が一行。
『当主、動揺あり。理由は述べられず』
◆
私は、その一行を二度読みました。
「動揺、と書いておられます」
「読ませてくれ」
セヴェリン様が手を伸ばしました。
私は控えを渡しました。彼は、その一行をしばらく見ていました。
「二年前の七月だな」
「はい」
「援兵の要請を出したのが、七月の三日だ」
彼は言いました。
「受領が十日」
「同じ月でございます」
私は言いました。
「先代様は、援兵を受けたあとに、書斎の整理を急がせておられます」
「関係があるか」
「分かりません」
私は言いました。
「ただ、順序は合います。援兵を受け、何かに気づき、書斎を探させた」
「何に気づいた」
「それも、分かりません」
私は言いました。
「ただ、探させたものが、四十四通の中にあったのかもしれません」
◆
翌朝、私はもう一度ヴェルナーの宿を訪ねました。
三日目です。彼は前日より起きているのが辛そうでしたが、断りませんでした。
「二年前の七月の備考に、動揺ありと書いておられます」
私は言いました。
「覚えておいでですか」
ヴェルナーは、しばらく黙っていました。
「覚えております」
「どのようなご様子でしたか」
「書斎で、紙を探しておられました」
彼は言いました。
「私が伺いましたとき、床に紙が散っておりました。ご自分で探されて、見つからなかったようでございます」
「何を探しておられたか、伺いましたか」
「伺いました」
ヴェルナーは言いました。
「古い誓約書だ、と。それだけでございます」
「種類は」
「土地だ、と仰いました」
私は、息を詰めました。
四十四通は、すべて土地関係でした。
「――では、先代様は」
「ご自分で探せませんでしたので、私にお命じになりました」
彼は言いました。
「六百通を分類し、土地に関するものをすべて出せ、と」
「出されましたか」
「出しました」
ヴェルナーは言いました。
「四十四通でございます」
◆
部屋が、静かになりました。
「――では、あの四十四通は」
私は言いました。
「先代様がお探しになったものでございますか」
「そうなります」
ヴェルナーは言いました。
「ただ、先代様がご覧になったのは、三日ほどでございます」
「三日」
「はい」
彼は言いました。
「九月の半ばに、お倒れになりましたので」
私は、日付を数えました。
七月に依頼。十二日かけて整理。八月の末か九月の初めに四十四通を提出。そして九月の半ばに、先代様が死去。
「三日で、何をご覧になったか分かりますか」
「存じません」
ヴェルナーは言いました。
「ただ、お倒れになった日、机の上に三通が広げられておりました」
「三通」
「はい。私が片付けました」
彼は言いました。
「そのまま、四十四通に戻してございます」
◆
「どの三通でございましょうか」
ヴェルナーは、少し考えました。
「――覚えておりません」
答えは、遅くありませんでした。
本当に覚えていないのだと思います。二年前の、片付けただけの紙です。
「ただ」
彼は言いました。
「一通だけ、印象に残っております。古いものでございました」
「どれくらい」
「二十年以上前かと」
私は、頭の中で四十四通を並べ直しました。
二十年以上前のものは、四通です。
小作契約が一通、入会地が一通、境界が二通。
「ヴェルナーさん。北の丘に関するものは、ございましたか」
彼は、こちらを見ました。
「ございました」
「どの一通でございましょうか」
「入会地でございます」
ヴェルナーは言いました。
「北の丘ヴァレ地区。ドラン村の放牧権を認めるもの」
私は、立ち上がりかけて、椅子に座り直しました。
二十三年前の、入会地誓約。
私が冬に見つけ、放牧権の根拠にした一通です。
「先代様は、あれをご覧になっていたのですか」
「机の上にございました」
彼は言いました。
「お倒れになった日に」




