第三十七話 王都へ
王都までは、馬車で六日でした。
道中、私は供託の書類を作りました。援兵の相当額の算定書、受領書の写し、供託申請書。三通を、揺れる馬車の中で何度も見直します。
「相場は調べたのか」
セヴェリン様が尋ねました。
「商会に問い合わせました」
私は言いました。
「二年前の夏、傭兵の日当が銀貨三枚。糧秣が一荷あたり銀貨八枚でございます」
「合計は」
「兵七十名を、延べ六十日といたしまして、銀貨一万二千六百枚。糧秣二十荷で百六十枚。合わせて、金貨およそ百二十八枚でございます」
セヴェリン様の顔が、動きました。
「――百二十八枚」
「相場でございます」
私は言いました。
「そして、倍で出しますので、二百五十六枚」
「出せるか」
「出せません」
私は言いました。
「ですから、供託の方法を変えます」
◆
「変える」
「供託は、金銭でなくとも構いません」
私は施行細則の写しを開きました。
「第三百四条。供託の目的物は、金銭、有価の証書、または債権者の受領しうる財産とする」
「財産でもよいのか」
「よろしゅうございます」
私は言いました。
「当家が供託できる財産で、二百五十六枚に相当するもの。一つ、心当たりがございます」
「なんだ」
「北の丘の放牧権でございます」
セヴェリン様が、こちらを見ました。
「――村の権利だぞ」
「村の権利ではございません」
私は言いました。
「放牧権の権利者は、当家でございます。村は、当家から使用を許されている立場でございます。使用料を当家に納めておりますので」
「では、供託すると」
「権利そのものではなく、権利から生じる収益を供託いたします」
私は言いました。
「今後十年分の使用料を、供託金に充てます。年に金貨二十六枚ほどでございますので、十年で二百六十枚」
「村は、どうなる」
「今までどおり使えます」
私は言いました。
「使用料の支払先が、当家から管理院に変わるだけでございます」
◆
セヴェリン様は、しばらく黙っていました。
「十年、収入が入らんのか」
「入りません」
私は言いました。
「ただ、二年間も入っておりませんでした。今年から入るはずだった分が、また十年入らないだけでございます」
「損ではないか」
「損でございます」
私は認めました。
「ただ、代償が確定するよりは、はるかに軽うございます」
「代償とは、何が起きる」
私は、少し言葉を選びました。
「上限のない請求権を負ったまま、期限を迎えることになります」
私は言いました。
「その場合、代償は請求額に応じて降ります。額が定まっていない以上、代償の重さも定まりません。ただ、履行待ちの紋が二年かけて広がった大きさから見ますと――」
私は、そこで止めました。
「言ってくれ」
「軽いものではないと存じます」
私は言いました。
「命に届く種類のものかと」
セヴェリン様は、窓の外を見ていました。
「――十年の収入で済むなら、安いな」
◆
王都に着いたのは、五月の十七日でした。
管理院は、王城の南にある石造りの建物でした。大きく、古く、廊下が長い。
供託の窓口は三階にありました。順番を待つあいだ、私は書類をもう一度確かめました。
「ガルドウィン辺境伯家、どうぞ」
呼ばれて、窓口へ進みました。
担当の官吏は、五十がらみの女性でした。管理院で女性を見たのは初めてです。
「供託の申請でございますね」
「はい」
私は三通を差し出しました。
官吏は、丁寧に読みました。時間をかけて、一条ずつ確かめている様子でした。
やがて、彼女は顔を上げました。
「債権者不特定による供託。根拠は第三百四条。目的物は、放牧権より生ずる十年分の収益」
「はい」
「――どなたがお書きになりましたか」
「私でございます」
官吏の目が、少し動きました。
「よく書けております」
彼女は言いました。
「ただ、一点、補正が要ります」
◆
「どこでございましょうか」
「収益の供託は、将来の債権の供託に当たります」
官吏は言いました。
「将来債権の供託には、第三百六条により、債務者の同意が要ります。この場合の債務者は、使用料を支払う者、つまりドラン村でございます」
私は、頭の中で条文を探しました。
第三百六条。読んでいない条文でした。
「――補遺でございますか」
「本則でございます」
官吏は言いました。
「第三編の後ろのほう、雑則に紛れております。見落とされる方が多うございます」
私は、自分の顔が熱くなるのを感じました。
「申し訳ございません。読み落としておりました」
「珍しいことではございません」
彼女は言いました。
「村の同意書をお持ちいただければ、受理いたします」
「戻って、取ってまいります」
「六日かかりますね」
「十二日でございます。往復で」
官吏は、少し考えました。
「期限は」
「九月二日でございます」
「では、間に合います」
彼女は書類を返しました。
「お急ぎではございませんね」
◆
窓口を離れてから、セヴェリン様が言いました。
「二週間、無駄になったな」
「無駄ではございません」
私は言いました。
「補正の箇所が分かりました。知らずに九月まで放っておけば、間に合いませんでした」
「君でも読み落とすのか」
「読み落とします」
私は言いました。
「施行細則は千二百条ございます。すべてを頭に入れている者は、おそらくおりません」
私は階段を下りながら、続けました。
「それに、あの方が丁寧に読んでくださいました。流して受理されていれば、後で無効になっておりました」
「あの官吏か」
「はい」
私は言いました。
「女性の官吏を、初めて見ました」
◆
宿へ戻る道すがら、私は書状の便を扱った商会に寄りました。
差出の記録を見せてもらいます。
ヴェルナーの宿は、王都の東、職人街の外れにありました。
「行くか」
「行きます」
私は言いました。
「ただ、今日は遅うございます。明日、朝に」
その夜、宿の部屋で、私は補正の書類を作り直しました。
村の同意書の文面です。ドラン村が、使用料の支払先を管理院に変更することに同意する。それだけの内容ですが、村の者に読み上げて説明する必要があります。
説明の言葉も、併せて書きました。
『これは、村が損をする紙ではありません。使う場所も、払う額も変わりません。払う先だけが変わります。十年経てば、元に戻ります』
書き終えて、私はペンを置きました。
窓の外に、王都の灯りが見えます。
十年後、私はここにいません。
婚姻は三年で終わります。あと一年と四か月。
十年分の供託が満了するとき、この放牧権がどうなっているかを、私は知らないままになります。
私は灯りを消しました。
明日、ヴェルナーに会います。
聞くべきことは、去年の十月から変わっていません。
なぜ、第七条を変えたのか。
そして、その答えを聞いたところで、私に何かができるわけではないことも、分かっていました。




