第三十六話 四十四通
四十四通が届いたのは、五月の初めでした。
厚い油紙に包まれ、麻縄で三重に縛ってあります。峠を越える馬に託されたものにしては、丁寧な梱包でした。
執務室で紐を解き、私は一通ずつ数えました。
四十四通。書状のとおりです。
「揃っているな」
セヴェリン様が言いました。
「揃っております」
私は言いました。
「梱包も、解かれた跡がございません。途中で誰も開けておりません」
「疑いすぎだったか」
「そうかもしれません」
私はそう言いながら、油紙を裏返しました。
内側に、小さく文字が書かれていました。
◆
『封を解かれた形跡がある場合は、通数を数えられたし』
一行だけです。
私は、それをセヴェリン様に見せました。
「――やはり、想定していたな」
「しておられました」
私は言いました。
「そして、何も起きませんでした」
「起きなかったのは、よいことだろう」
「よいことでございます」
私は言いました。
「ただ、あの方が何を恐れておられたのかは、分かりません」
私は油紙を畳み、脇に置きました。
「読みます。時間がかかります」
◆
四十四通を読み終えるのに、六日かかりました。
いずれも土地に関する誓約書でした。小作契約が十九通、入会地が八通、境界が七通、水利が六通、その他が四通。
日付は、二十年前から二年前までに散らばっています。
ただ、偏りがありました。
「セヴェリン様。四十四通のうち、二十四通が、十六年前から十二年前までのものでございます」
「例の四年間か」
「はい」
私は言いました。
「先代様がご自身で処理しておられた時期でございます」
「不利な条文の時期だな」
「そうでございます」
私は、二十四通を別に分けました。
「そして、この二十四通を読みまして、書斎に残っていた八通の意味が変わりました」
◆
「どう変わった」
「書斎に残っていた八通は、不利な条文の入ったものでございました」
私は言いました。
「この二十四通は、その八通と対になっております」
「対」
「同じ相手との、別の誓約でございます」
私は一組を示しました。
「たとえば、こちら。書斎にあった小作契約でございます。更新時に相手方が条件を変えられる、という不利な条文が入っております」
「読んだ」
「そして、こちらが、同じ相手との、同じ日付の誓約書でございます」
私はもう一通を並べました。
「ここに、こう書かれております。『前記の条件変更は、当家の書面による同意を要する』」
セヴェリン様が、身を乗り出しました。
「――打ち消してあるのか」
「打ち消してございます」
私は言いました。
「不利な条文が、別の誓約書によって制限されております。二通で一組でございます」
◆
「では、損はしていなかったのか」
「しておりません」
私は言いました。
「少なくとも、この二十四通が有効である限り、書斎にあった不利な条文は、ほとんど効いておりません」
「では、なぜ持ち出した」
私は、その問いに答えられるまで、しばらく時間がかかりました。
「――守るためかもしれません」
私は言いました。
「この二十四通は、当家を守る紙でございます。失われれば、書斎に残った不利な条文だけが生きます」
「隠したのか」
「隠したというより、避難させたのだと思います」
私は言いました。
「二年前の夏、戦の最中でございます。屋敷に何かがあれば、書類は失われます」
セヴェリン様が、眉を寄せました。
「屋敷が襲われると思っていたのか」
「分かりません」
私は言いました。
「ただ、国境の戦が伸びれば、領内まで及ぶ可能性はございました。先代様が整理を依頼された理由も、そこかもしれません」
◆
「では、あの男は、当家を守っていたのか」
「その可能性がございます」
私は言いました。
「ただ、それならば、なぜ二年間返さなかったのかが分かりません」
「返す機会がなかったのだろう。半年に一度しか来ない」
「半年に一度、四度来ておられます」
私は言いました。
「二年で四度。いつでも返せました」
執務室が、静かになりました。
「――返さなかった理由があるな」
「ございます」
私は言いました。
「そして、今になって返された理由も」
私は書状をもう一度開きました。
『今年は伺えぬこととなりました』
「返す機会が、今年なくなった」
私は言いました。
「ですから、送られた。それだけのことかもしれません。ただ」
「ただ」
「来られない理由が、書かれておりません」
◆
私は、二十四通の対をすべて突き合わせました。
十二組、二十四通。書斎に残っていた不利な条文と、それを打ち消す条文。
十二組とも、同じ形でした。
不利な条文が先に結ばれ、数日から数週間あとに、打ち消す誓約が結ばれています。
「セヴェリン様。順序が気になります」
私は言いました。
「先に不利な条文に署名し、後から打ち消している」
「同時に結べばよかろう」
「同時であれば、相手方が気づきます」
私は言いました。
「打ち消しの条文を、同じ紙に書けば、相手は署名いたしません。別の紙にして、日を置けば、気づかれにくくなります」
「後から結べるのか」
「結べます」
私は言いました。
「ただし、相手方の同意が要ります。同意を取るには、何かを譲る必要がございます」
私は、十二組を見比べました。
「そして、譲ったものが、どこにも記録されておりません」
◆
私は、その夜、帳簿を開き直しました。
十六年前から十二年前までの、四年分。
先代様の帳簿は三冊しか残っていません。二年前の春夏秋だけです。その時期の帳簿は、ありません。
「バルトさん。十二年以上前の帳簿は」
「ございません」
家令は言いました。
「私が仕えるようになりましたのが、十年前でございます。その前のものは、先代様の書斎にまとめられていたと存じますが」
「二年前の整理で」
「持ち出されたのかもしれません」
私は頷きました。
四十四通の中には、帳簿はありません。誓約書だけです。
「帳簿は、まだ戻っておりません」
私はそう言って、それから、自分の言葉に引っかかりました。
まだ。
◆
翌朝、私はセヴェリン様に申し上げました。
「王都へ参ります」
彼は顔を上げました。
「供託か」
「供託と、もう一つ」
私は言いました。
「ヴェルナーさんにお会いいたします」
「来られないと書いてきたぞ」
「来られないのは、こちらへでございます」
私は言いました。
「王都におられるのであれば、こちらから伺えます」
セヴェリン様は、少し黙っていました。
「宿の場所は」
「存じません」
私は言いました。
「ただ、書状が届いております。差出の記載を辿れば、便を扱った商会から宿は分かります」
「――行くか」
「行きます」
私は言いました。
「供託の期限は九月二日でございます。急ぐ必要はございませんが、早いほうがよろしいかと」
「同行する」
彼は言いました。
「今度は、私が読めない側だ。だが、いないよりましだろう」
私は、少し言葉に詰まりました。
「いないより、ずっとよろしゅうございます」




