第三十四話 一人目
帰りの馬車で、私は長いこと黙っていました。
「何を言われた」
セヴェリン様が尋ねました。
「三つでございます」
私は言いました。
「一つ。第六条は、子爵が合意すれば消せる。二つ。放牧権を使えば、丘の値が三分の一になるので、いずれ子爵は四十歩を手放すほうが得になる」
「向こうの読み手が、そんなことを言ったのか」
「言いました」
私は言いました。
「揉め続けるのは双方の損だ、と」
「三つめは」
私は、少し間を置きました。
「第六条を見つけたのは、私が二人目だそうでございます」
◆
セヴェリン様が、こちらを向きました。
「一人目は」
「答えられませんでした」
私は言いました。
「歩いて行かれました」
「先代か」
「先代様であれば、そう仰ると思います」
私は言いました。
「先代様が第六条に気づかれたのなら、隠す必要がございません。ディンゲン様は、依頼主に草案を渡したと明言しておられます。読まれたかどうかは存じませんと」
「では、誰だ」
「草案を読んだ者でございます」
私は言いました。
「二年前の秋以降、あの草案を読む機会があった者」
私は指を折りました。
「ディンゲン様ご本人。モーリス子爵。家令。そして――」
「書斎に通っていた男か」
「可能性がございます」
◆
「なぜ、そう思う」
「草案は、二年前の秋に作られました」
私は言いました。
「そして、子爵家が保管しております。当家には渡っておりません」
「では、屋敷では読めないな」
「読めません」
私は言いました。
「ただ、書斎に通っていた者は、当家の帳簿に略式署名を残しております。あの印が入れられるのは、誓約の当事者か、代理人でございます」
「代理人」
「はい」
私は言いました。
「先代様の代理として動いていたのであれば、草案を読む機会があった可能性はございます。子爵家との窓口になっていたのかもしれません」
セヴェリン様が、しばらく考えていました。
「叔父か」
「断定はできません」
私は言いました。
「ただ、ディンゲン様に叔父様の特徴を申し上げたとき、答えが遅れました。五拍でございます。それまでの受け答えは、すべて二拍以内でした」
「知っているな」
「知っておられます」
私は言いました。
「そして、言いたくないと思っておられます」
◆
屋敷に戻ると、バルトが玄関で待っていました。
「旦那様。奥様。王都より、書状が届いております」
「誰からだ」
「ヴェルナー殿からでございます」
私は、外套を脱ぐ手を止めました。
◆
執務室で封を切りました。
『ガルドウィン辺境伯 ならびに 奥方様
春になりましたので、定期のご挨拶をと存じましたが、今年は伺えぬこととなりました。王都にて、長く手のかかる仕事を請けましたゆえ、しばらく動けません。
つきましては、当方より一つ、お知らせいたします。
先にご返却いたしました十二通のほか、私の手元に書類が残っておりました。控えに記載しておりませんでしたのは、控えを作成した時点で、それらを当方の所持品と認識していなかったためでございます。
数は四十四通。いずれも、貴家の土地に関するものでございます。
近く、送付いたします。
ヴェルナー』
◆
私は、その書状を二度読みました。
「四十四通」
「数えた数と、同じだ」
セヴェリン様が言いました。
「同じでございます」
私は言いました。
「五百六十一通と六百五通の差でございます」
「あの男は、こちらが数えたことを知らないはずだ」
「知らないと思います」
私は言いました。
「ただ、こちらが調べていることは、知っておられます。返さねばならぬと判断されたのでしょう」
「なぜ今なのだ」
私は、その問いを頭の中で並べ直しました。
「今年は伺えぬ、と書いてございます」
私は言いました。
「これまで、半年ごとに来ておられました。二月と六月、そして九月。今年は来られない。ですから、送る」
「筋は通る」
「通ります」
私は言いました。
「ただ、もう一つの読み方がございます」
◆
「言ってみろ」
「来られない理由が、別にある場合でございます」
私は言いました。
「長く手のかかる仕事、と書いてございます。具体的なことは何も書いておられません」
「書く必要はないだろう」
「ございません」
私は認めました。
「ただ、あの方は、これまで不要なことまで丁寧に書かれる方でした。北の領地は雪で足止めされますから、と説明をなさるような」
「今回は、説明がないと」
「一行だけでございます」
私は書状を示しました。
「そして、四十四通という数だけは、はっきり書いておられます」
セヴェリン様が、身を乗り出しました。
「数を先に知らせたな」
「知らせております」
私は言いました。
「送付は近く、と。いつとは書いてございません。ですが、数は四十四通と明記されております」
「意味があるのか」
「ございます」
私は言いました。
「送られてきた数が四十四通でなければ、書状と食い違います。食い違えば、途中で抜かれたか、失われたことになります」
「誰が抜く」
「分かりません」
私は言いました。
「ただ、数を先に知らせるというのは、途中で何かが起きることを想定している書き方でございます」
◆
「――そこまで読むか」
「読みすぎかもしれません」
私は認めました。
「ただ、あの方は書き手でございます。書き手が数を明記するときは、たいてい理由がございます」
セヴェリン様は、書状を机に置きました。
「四十四通は、土地関係だと書いてある」
「はい」
「二十年分の土地誓約だな」
「おそらく」
私は言いました。
「書斎から欠けていた分と、種類が一致いたします」
「二十年前から、持ち出されていたのか」
「いいえ」
私は言いました。
「持ち出されたのは、二年前でございます。その束の中身が、二十年分だったということでございます」
「同じことだろう」
「違います」
私は言いました。
「二十年分の土地誓約が、一つの束にまとめられていたということでございます。誰かが、そう分類しておりました」
◆
私は、日付の表を引き寄せました。
「セヴェリン様。二十年前から十六年前まで、この家の誓約書を一手に引き受けていたのは、アデル様でございます」
「そうだ」
「そして、十六年前に家を出られました」
私は言いました。
「その後、四年間、誰が誓約書を扱っていたのでしょうか」
セヴェリン様が、動きを止めました。
「――考えたことがなかった」
「バルトさんに伺ってまいります」
私は立ち上がりました。
執務室を出て、家令を探しました。台所の脇で、彼は下男に指示を出しているところでした。
「バルトさん。お尋ねしたいことがございます」
「はい」
「アデル様が家を出られてから、誓約書は誰が扱っておられましたか」
家令は、少し考えました。
「しばらくは、先代様ご自身が」
「先代様は、読めましたか」
「――読めなかったと存じます」
バルトは言いました。
「ですから、たいそう溜めておいででした」
「では、その後は」
「王都から人を呼ぶようになりました」
家令は言いました。
「十二年ほど前からかと存じます」
私は、次の問いを口にするのに、少し時間がかかりました。
「その方の名は」
バルトは、静かに答えました。
「ヴェルナー殿でございます」




