第三十一話 冬に書く手紙
村から戻って、私は三通の書面を用意しました。
一通目は、モーリス子爵家宛の通知です。
『北の丘ヴァレ地区につき、二十三年前に当家とドラン村のあいだで結ばれた入会地誓約により、同村の放牧権が設定されております。管理令施行細則第百七十二条により、当該権利は所有者の変更によって消滅いたしません。
貴家におかれましては、来春より同村が丘を使用することを、ご承知おきください』
二通目は、ドラン村宛。放牧権が生きている旨を、村の掲示に出すための文面です。四行に収めました。
三通目は、当家の内部文書です。二年間の放牧権妨害について、村の者の証言を記録したもの。証言者は七名。全員の名と、聞いた内容を書き取りました。
「これを、どうする」
セヴェリン様が言いました。
「保管いたします」
私は言いました。
「今は使いません。使う場面が来たときのために、記録を残しておきます」
「損害の請求は」
「いたしません」
私は言いました。
「今は」
◆
「なぜだ」
「請求すれば、争いになります」
私は言いました。
「争いになれば、双方が弁論を出し合い、決着まで一年はかかります。そのあいだ、村は丘を使えません」
「使えるのではないのか」
「権利としては使えます」
私は言いました。
「ですが、争っている最中に羊を入れれば、また追い返されます。追い返されて争えば、さらに長くなります」
「では、どうする」
「通知だけを出します」
私は一通目を示しました。
「来春から使うと伝えるだけでございます。請求はいたしません。向こうが黙認すれば、村は使えます」
「黙認するか」
「するかもしれません」
私は言いました。
「損害の請求をしていないということは、向こうにとって取引材料でございます。放牧権を認める代わりに、二年分は請求しない。そう読める形にしてございます」
セヴェリン様が、通知を読み返しました。
「書いてないな。そのことは」
「書いてございません」
私は言いました。
「書けば、取引の申し出になります。書かなければ、向こうが勝手にそう読みます」
◆
三通は、十二月の初めの便に託しました。
雪の峠を越える馬に、束ねて渡します。届くのはひと月後かもしれません。返事が来るのは、春かもしれません。
そこから先は、待つしかありませんでした。
冬の屋敷は静かです。
外へ出る用事がなく、来客もない。私は執務室にこもり、帳簿の仕上げと、未処理の誓約書の整理を続けました。
バルトの覚え書きは、十二月の半ばにすべて帳簿へ移し終えました。二年分です。
「奥様。ご苦労さまでございました」
家令が、茶を持ってきました。
「これで、当家の記録は二年前まで遡れます」
私は言いました。
「それより前は、先代様の帳簿が三冊しかございません。いずれ、どこかから出てくればよろしいのですが」
「出てまいりますでしょうか」
「分かりません」
私は言いました。
「ただ、燃やされていなければ、どこかにございます」
◆
冬のあいだ、私はもう一つ、仕事を始めました。
領内の誓約書の目録を作ることです。
書斎にある五百六十一通を、種類、日付、当事者、現在有効かどうかで一覧にします。有効なものには、期限と更新時期を書き添えます。
「何のためだ」
セヴェリン様が尋ねました。
「読めない者でも、探せるようにするためでございます」
私は言いました。
「目録があれば、何がどこにあるかが分かります。中身を読まなくとも、探すことはできます」
「君がいれば、要らんだろう」
「私がいなくなれば、要ります」
言ってから、私は少し、言葉を惜しみました。
セヴェリン様は、何も言いませんでした。
◆
年が明けました。
一月の便で、王都から書状が二通届きました。
一通目は、リナリーからでした。
『お姉さま
冬になって、書類の量が減りました。雪で人が動かないので、新しい契約が結ばれないからだそうです。
ヨセフさんが、そのあいだに十年分を整理しています。
わたしも、少しずつ読めるようになりました。まだ数字と日付だけですが、ヨセフさんが、それが一番大事だと言っています。
お姉さまが村の人に教えているのと、同じことでしょうか。
お父さまは、あまり書斎に来なくなりました。
わたしが読めるようになると、都合が悪いみたいです。
リナリー』
私は、その最後の二行を、何度か読みました。
◆
二通目は、モーリス子爵家からでした。
思ったより早い返事です。十二月のうちに届いて、すぐ書いたのでしょう。
『放牧権の件、確かに承りました。
当家といたしましては、二十三年前の誓約書の写しを拝見したく存じます。ご送付いただければ、内容を確認のうえ、回答いたします。
なお、当家の役人が村人に対して立入を禁じたとのご指摘につきましては、事実関係を調査中でございます』
「――写しを送れ、と」
セヴェリン様が言いました。
「はい」
「送るのか」
「送ります」
私は言いました。
「隠す理由がございません。それに、送らなければ、確認できないと言われて話が止まります」
「指摘については、調査中か」
「これは、認めるつもりのある書き方でございます」
私は言いました。
「否定するなら、そのような事実はないと書きます。調査中と書くのは、事実であった場合に備えて逃げ道を残しております」
「では、黙認するか」
「するかもしれません」
私は言いました。
「ただ、条件を出してくると思います」
◆
条件が来たのは、二月の便でした。
『誓約書の写しを確認いたしました。放牧権の存続につき、当家は争いません。
つきましては、北の丘の件全般について、雪解け後に改めて協議の場を持ちたく存じます。
その際、草案の所在についても、当家より申し上げたいことがございます』
私は、最後の一行を二度読みました。
「セヴェリン様」
「見た」
彼はもう読んでいました。
「草案の所在について、申し上げたいことがある、と」
「はい」
私は言いました。
「持っている、と読めます」
「認めるのか」
「認めるかどうかは、会ってみないと分かりません」
私は言いました。
「ただ、こちらが放牧権を握ったので、取引の材料として出してきた形でございます」
セヴェリン様は、書状を机に置きました。
「放牧権が効いたな」
「効きました」
私は言いました。
「二年分の請求をしなかったことも、効いたと思います」
「請求していれば」
「話が止まりました」
私は言いました。
「争っている相手と、別の取引はできません」
◆
その夜、私は自室で、日付の表を書き直しました。
来年の九月二日。代償の確定期限。
それまでに、供託を済ませる必要があります。管理院への出頭は、雪解け後。早くて四月。
四月に王都へ行き、供託を済ませる。紋が消えなければ、鑑定を受ける。
その前に、雪解け後の協議で、草案を見る。
順序としては、協議が先です。草案を見てから王都へ行くほうが、持っていく材料が増えます。
私は表に書き足しました。
四月、協議。草案の確認。
五月、王都。供託。必要であれば鑑定。
それから、もう一行、書き足そうとして、ペンを止めました。
婚姻から三年。あと二年と四か月。
書かずに、私はペンを置きました。
窓の外は、まだ深い雪でした。
けれど、庇の先から、水の滴る音がしていました。今年最初の、雪解けの音です。




