第二十九話 求めない請求
屋敷に戻ったのは、十一月の半ばでした。
雪は屋根の高さまで積もり、屋敷の裏手では下男が朝晩、通路を掘り直しています。冬のあいだ、外から来る者はほとんどありません。
私は執務室に受領書の原本を置き、その隣に、これまで集めた紙をすべて並べました。
境界誓約。覚書。十八年前の婚姻誓約書。私の婚姻誓約書。帳簿。バルトの覚え書き。名簿。砦の受領書。
八つです。
「並べて、どうする」
セヴェリン様が言いました。
「順序を、決め直します」
私は言いました。
「今まで、見つけた順に考えておりました。ですが、起きた順に並べると、別のものが見えるかもしれません」
◆
私は、日付順に並べ直しました。
二十二年前、十一月。ヴェルナー、受験辞退。
二十年前。セヴェリン様、誕生。
十八年前、秋。アデル様、婚姻。第七条で請求権を放棄。
十六年前。アデル様、奥様と共に出奔。
そして、二十年ほどの空白。
二年前、四月。境界誓約と覚書。
二年前、七月から八月。北の砦。援兵。
二年前、九月二日。物資受領書。片務誓約。
二年前、九月半ば。帳簿が途切れる。先代様、死去。
二年前、十月から十二月。週に一度、誰かが書斎に通う。銀貨十二枚が十四回。
一年半前、一月。ヴェルナー、調停料。以後、半年ごとに来訪。
今年、春。私の婚姻誓約書、起草。
今年、夏。私、嫁ぐ。
私は、その表を見下ろしました。
「セヴェリン様。八月の管理院手数料が、抜けております」
「私的誓約三件か」
「はい。二年前の八月でございます」
私は書き足しました。
二年前、八月。私的誓約三件、登録。相手方非公開。
◆
書き足して、私は指を止めました。
「八月でございます」
「どうした」
「援兵の受領が、八月の九日」
私は言いました。
「私的誓約の登録が、同じ八月」
「同じ月だな」
「はい。そして、砦の受領書が九月の二日」
私は表を指で追いました。
「順序が、逆でございます」
セヴェリン様が、身を乗り出しました。
「どういうことだ」
「私的誓約が先で、受領書が後でございます」
私は言いました。
「もし受領書の精算のために私的誓約を結んだのであれば、順序は逆になるはずです。受領書が先で、私的誓約が後」
「では、私的誓約は別件か」
「別件か、あるいは」
私は言葉を選びました。
「私的誓約のほうが本体で、受領書は、その付属かもしれません」
◆
「本体」
「はい」
私は言いました。
「二年前の八月、先代様は私的誓約を三件、まとめて登録しておられます。相手方は非公開。中身も非公開」
「父が結んだものだ」
「はい。そして、その翌月に、砦でセヴェリン様が受領書に署名しておられます」
私は受領書を示しました。
「この受領書には、乙が書かれておりません。乙が誰かを決めているのは、この紙ではないのかもしれません」
セヴェリン様の顔から、表情が抜けました。
「私的誓約の中に、書いてあると」
「あり得ます」
私は言いました。
「私的誓約は中身が非公開でございます。そこに『乙とは何某を指す』と書いてあれば、受領書の空白と繋がります」
「二通で、一つの仕掛けか」
「そうなります」
私は言いました。
「そして、一通は非公開でございますので、こちらには読めません」
◆
執務室が、静かになりました。
「――読む方法はないのか」
「当事者であれば、閲覧を請求できます」
私は言いました。
「当事者は、先代様と、非公開の誰かでございます。先代様は亡くなっておられます」
「相続人は」
「相続人は、当事者の地位を引き継ぎます」
私は言いました。
「ただ、私的誓約の閲覧については、規定が別でございます。相続人の閲覧請求権は、認められておりません」
「なぜだ」
「私的にした意味がなくなりますので」
私は言いました。
「私的誓約は、家族にも見せたくない内容を扱うためのものでございます。相続人が読めるのであれば、私的にする意味がございません」
セヴェリン様が、机を叩きました。
一度だけ、軽く。
「では、永久に読めないのか」
「一つだけ、道がございます」
私は言いました。
「紋の鑑定でございます」
◆
「鑑定を受ければ、対応する登録誓約が特定されます」
私は言いました。
「特定された誓約について、鑑定を受けた本人は、閲覧を請求できます」
「私は当事者ではない」
「紋が浮かんでいるということは、当事者でございます」
私は言いました。
「受領書に署名なさったことで、何らかの誓約の当事者になっておられます。もしその誓約が、登録された私的誓約のいずれかであれば――閲覧できます」
セヴェリン様が、左手を見下ろしました。
「では、王都へ行くしかないな」
「はい」
私は言いました。
「ただ、前に申し上げたとおり、鑑定の記録は残ります。辺境伯が身に覚えのない誓約の当事者である、という記録が」
「それは、もう仕方がない」
彼は言いました。
「来年の九月に代償が降りるほうが、よほど困る」
「はい」
私は言いました。
「ただ、順序がございます」
◆
「まず、供託でございます」
私は言いました。
「受領書の精算を、こちらから済ませます。援兵の相当額を管理院に供託すれば、受領書の履行は完了いたします」
「紋が消えるか」
「受領書が紋の原因であれば、消えます」
私は言いました。
「消えなければ、紋の原因は受領書ではないということになります。そのときは、鑑定を受けます」
セヴェリン様が、こちらを見ました。
「――試すのか」
「試します」
私は言いました。
「供託は、こちらの一存でできます。相手の同意も要りませんし、記録も『精算供託』としか残りません。鑑定より、ずっと目立ちません」
「順序を守るのだな」
「守ります」
私は言いました。
「目立たない手から先に使います。目立つ手は、後に取っておきます」
◆
供託額の算定は、冬のあいだの仕事になりました。
兵五十名と二十名。糧秣二十荷。
援兵の相当額は、慣例で日当と糧秣費から算定します。二年前の相場を調べる必要がありました。
「バルトさん。二年前の夏の、傭兵の日当をご存じですか」
「存じません」
家令は言いました。
「ただ、商会に問い合わせれば分かるかと。冬のあいだは便が出ませんので、春になりますが」
「では、こちらで概算を出しておきます」
私は言いました。
「高めに見積もっておきます。供託は多い分には問題がございません。余れば返ってまいります」
「少ないと」
「履行が不十分とみなされます」
私は言いました。
「ですから、相場の倍で出します」
セヴェリン様が、口を挟みました。
「倍か。金はあるのか」
「ございません」
私は言いました。
「ですから、算段をいたします」
◆
その晩、私は帳簿を開きました。
ガルドウィン家の財は、豊かではありません。領地は痩せ、収入は限られています。それでも、この二年の切り詰め方は徹底していました。
支出を削れる余地は、ほとんどありません。
私は収入の側を見ました。
小作料、入会地の使用料、街道の通行料、商会からの取引益。
そして、一つ、目に止まった項目がありました。
「バルトさん。この『権利未使用』という項目は」
「ああ、それは」
家令は帳面を覗きました。
「先代様の代からございます。北の丘の放牧権でございます」
私は顔を上げました。
「放牧権」
「はい。ドラン村が使っておりましたので、村から使用料を頂いておりました。ただ、二年前に境が動きましてから、使えなくなりまして」
私は、覚書を思い出しました。
『ドラン村の放牧権は、この間も継続して認める』
覚書の、最後の一行です。
「バルトさん」
私は言いました。
「放牧権は、失われておりません」




