第二十六話 冬の帳簿
十一月に入ると、街道が雪で閉じました。
王都への便は月に二度、峠越えの馬が通るあいだだけになります。照会を出しても、返答は春になる。モーリス子爵家との次の協議も、雪解けまで持ち越しと決まりました。
「四か月、動けん」
セヴェリン様が言いました。
「動けませんが、読めます」
私は言いました。
「冬のあいだに、やっておくべきことがございます」
「なんだ」
「帳簿の完成でございます」
◆
バルトの覚え書きを正式な帳簿へ移す作業は、秋のあいだに三分の二まで進んでいました。残りは、先代様が亡くなった直後の混乱期です。
一番読みにくい部分でした。
「バルトさん。この十月から十二月の記録が、他の時期より粗うございます」
「面目ございません」
家令は言いました。
「葬儀と相続の手続きが重なりまして、金の出入りだけを書き留めるのが精一杯でございました」
「十分でございます」
私は言いました。
「ただ、名目のない支出が多うございます。十月に七件、十一月に四件、十二月に三件」
「葬儀の費用かと存じます」
「合計が合いません」
私は言いました。
「葬儀に関する支出は、別に項目が立っております。こちらは、それとは別の十四件です」
バルトが、帳面を覗き込みました。
「……申し訳ございません。覚えておりません」
「無理もございません」
私は言いました。
「ただ、金額に規則がございます」
私は十四件を書き出した紙を見せました。
「すべて、同じ額でございます。銀貨十二枚」
◆
「同じ額を十四回」
セヴェリン様が言いました。
「はい。三か月で十四回。ほぼ週に一度でございます」
「何に払った」
「分かりません」
私は言いました。
「ただ、週に一度、同じ額の支払いが続くというのは、日当か、あるいは分割払いでございます」
「日当なら、人を雇っていたことになるな」
「週に一度払う日当は、珍しうございます。日当は日ごとか、月ごとが普通です」
私は言いました。
「分割であれば、総額は銀貨百六十八枚。金貨で十七枚ほどになります」
「大きいな」
「大きうございます」
私は言いました。
「そして、十二月で止まっております。翌年の一月以降、この額の支払いはございません」
「払い終えたのか」
「あるいは、払えなくなったか」
◆
私は、その十四件を別の紙に書き写しました。
日付を並べると、規則性がはっきりします。十月の四日、十一日、十八日、二十五日。十一月の一日、八日、十五日、二十二日。
きれいに七日おきです。
ただ、十一月の二十九日が抜けていました。そこから十二月の六日、十三日、二十日と続き、二十七日で終わっています。
「一度、飛んでおります」
私は言いました。
「十一月の二十九日でございます」
「理由は」
「分かりません。ただ、その週に何かがあったことになります」
私はバルトを呼びました。
「バルトさん。二年前の十一月末に、屋敷で何かございませんでしたか」
家令は、しばらく考えました。
「……雪でございます」
「雪」
「その年は、早うございました。十一月の末に大雪が降り、街道が三日閉じました」
私は手を止めました。
「街道が閉じた週に、支払いが飛んでいる」
「そうなります」
「では、受け取りに来る人がいたということでございます」
私は言いました。
「屋敷に、週に一度」
◆
セヴェリン様が、身を起こしました。
「誰かが通ってきていた」
「はい」
私は言いました。
「雪で来られなかった週は、払われておりません。翌週に二回分がまとめて払われた形跡もございませんので、その週の分は、そのまま消えております」
「日当だな」
「日当でございます」
私は言いました。
「週に一度来て、その日の分だけ受け取る。来なければ払われない。そういう約束でございます」
「三か月続いて、十二月の末で終わった」
「はい」
私は言いました。
「そして、翌年の一月から、別の支払いが始まっております」
私は帳面を繰りました。
「『調停料』が一月。これが、ヴェルナーさんへの支払いでございます」
セヴェリン様の目が、細くなりました。
「入れ替わっているのか」
「入れ替わっているように見えます」
私は言いました。
「週に一度来ていた誰かが、十二月末で来なくなった。その直後から、ヴェルナーさんが半年ごとに来るようになった」
◆
「バルトさん」
私はもう一度、家令に尋ねました。
「二年前の秋から冬にかけて、屋敷に定期的に来ていた方はおられませんでしたか」
バルトは、長いあいだ黙っていました。
「……一人、おられました」
「どなたでしょうか」
「名を、存じません」
家令は言いました。
「先代様が亡くなられたあと、週に一度、書斎に入っておられました。私は、ヴェルナー殿のお手伝いの方かと思っておりました」
「顔は」
「覚えております。背の高い方でございました」
私は、息を詰めました。
セヴェリン様が、椅子から立ち上がりました。
「歳は」
「四十をいくつか過ぎたほどかと」
バルトは言いました。
「口数の少ない方で、こちらから話しかけても、会釈をなさるだけで」
「顔立ちは」
「――旦那様に、少し」
家令はそこで、自分の言葉に気づいた顔をしました。
「申し訳ございません。今、申し上げてから気づきました。当時は、思いもいたしませんでした」
執務室が、静かになりました。
窓の外で、雪が屋根から滑り落ちる音がしました。
◆
「叔父か」
セヴェリン様が言いました。
「断定はできません」
私は言いました。
「ですが、条件は合います。四十過ぎ。背が高い。書斎に入る。誓約書を扱える。そして――当家の帳簿の欄外に、略式署名を入れられる立場にあった」
「父の死後に、屋敷にいた」
「三か月、週に一度でございます」
私は言いました。
「そのあいだ、セヴェリン様はどちらに」
「北の砦だ」
彼は言いました。
「父の葬儀に一度戻り、すぐに戻った。国境がまだ落ち着いていなかった」
「屋敷に戻られたのは」
「翌年の春だ」
セヴェリン様は、自分の左手を見下ろしました。
「戻ったときには、もうこれがあった」
「紋は、いつ浮かびましたか」
「分からん」
彼は言いました。
「砦にいるあいだに、いつの間にか。手甲をしていたから、気づいたのは春だった」
私は、日付の表に書き足しました。
二年前の秋から冬。誰かが週に一度、書斎に入っていた。
同じ頃、北の砦にいたセヴェリン様の左手に、履行待ちの紋が浮かんだ。
◆
「セヴェリン様。一つ、確かめておきたいことがございます」
「なんだ」
「履行待ちの紋が浮かぶには、ご本人の署名が要ります」
私は言いました。
「誓約は、当事者の術式署名によってのみ成立いたします。他人が代わりに署名することはできません」
「私は署名していない」
「はい。ですから」
私は言葉を選びました。
「セヴェリン様が、どこかで署名をなさっているはずでございます。誓約書だと知らずに」
彼が、こちらを見ました。
「知らずに署名するということが、あるのか」
「ございます」
私は言いました。
「術式署名は、術者の意思で発動いたします。ただ、書式の整った紙に自分の名を術式で書けば、それだけで署名になります。何の紙かを確かめずに書けば、知らずに署名したことになります」
「砦で、書類に署名した覚えは」
「山ほどある、と仰るのではございませんか」
セヴェリン様は、しばらく黙っていました。
「――山ほどある」
彼は言いました。
「兵糧の受領、人員の配置、負傷者の報告。毎日、何通も署名した。読んではいない」
「読める者は」
「いなかった」
彼は言いました。
「私が全部、名を書いた」
私は、机の上で手を組みました。
「では、探すべき紙は、砦にございます」




