第二十五話 雪の前の照会
十二通を精査するのに、四日かかりました。
小作契約三通は、いずれも十五年以上前のものです。すでに更新が途切れており、現在は効力を持ちません。商会との取引誓約四通も同様でした。古い記録として残しておく以上の意味はありません。
境界に関するもの二通は、北の丘とは別の場所でした。西の領境、二十二年前と十九年前。どちらも通常の境界確定で、略式署名はありません。
相続関係二通は、先々代の代のものです。
そして、婚姻誓約書一通。
家名はカーレン。ガルドウィン家とは縁のない家でした。日付は十六年前。当事者は、カーレン家の三男と、どこかの平民の娘。
「セヴェリン様。この婚姻誓約書だけ、当家に関係がございません」
「なぜ書斎にあった」
「分かりません」
私は言いました。
「ただ、写しではなく正本でございます。正本は当事者が持つものですので、本来ここにあるはずがありません」
「預かったのか」
「あるいは、紛れ込んだか」
私は条文を追いました。全十条。定型が五条、持参金、雑則。
第七条は、ありふれた内容でした。放棄も、主張しないも、書かれていません。
「――普通の誓約書でございます」
「何も出ないか」
「句読が違います」
私は言いました。
「二か所ではなく、三か所打たれております。別の書き手です」
私は十二通を束ね直しました。
「十二通のうち、当家に意味のあるものは、一通もございませんでした」
◆
「無駄骨か」
セヴェリン様が言いました。
「そうとも言えません」
私は言いました。
「十二通に何もないということは、持ち出す価値のあるものが、別にあったということです」
「持ち出したのは十二通だと、本人が言った」
「控えに十二通と書いてございました」
私は言いました。
「控えは、ご本人が作られたものです」
執務室が、静かになりました。
「――控えを疑うのか」
「疑っているのではございません」
私は言いました。
「確かめようがない、と申し上げております。控えが正しいかどうかを検める方法が、こちらにはありません」
「では、どうする」
「六百通です」
私は言いました。
「ヴェルナーさんは、書斎に六百通あったと仰いました。その数字は、思い出す間を置いて答えられました。作り話ではないと思います」
「今、書斎に何通ある」
「数えます」
◆
書斎の誓約書を数えるのに、二日かかりました。
バルトと二人で、束を全部下ろし、一通ずつ数えていきます。埃で喉がやられて、途中で何度も水を飲みました。
結果は、五百六十一通でした。
「六百を少し超えていた、と仰いました」
私は言いました。
「六百五とすれば、四十四通の差がございます」
「十二通を返してもらったから」
「返却分を含めて、五百六十一でございます」
私は言いました。
「四十四通、足りません」
セヴェリン様が、書斎の書棚を見回しました。
「どこかに紛れているのではないか」
「二日かけて、すべて下ろしました」
私は言いました。
「ただ、六百五という数字自体が、あの方の記憶でございます。六百二十だったかもしれませんし、六百一だったかもしれません。誤差はございます」
「四十四は、誤差か」
「誤差にしては、多うございます」
私は言いました。
「それと、もう一つ。数えていて気づいたことがございます」
◆
「土地に関する誓約書が、二十年前より古いものしかございません」
私は束を示しました。
「西の領境、南の水利、東の入会地。いずれも二十年以上前のものです。それ以降、二十年分の土地関係が、ほぼございません」
「北の丘は」
「北の丘の境界誓約は、二年前のもので、これは別に保管されておりました」
私は言いました。
「その他に、この二十年で土地の誓約が一件も結ばれなかったということは、考えにくうございます。小作の割り当ても、入会地の取り決めも、必ず更新がございますので」
「では、抜けているのは土地の誓約か」
「そう見えます」
私は言いました。
「四十四通が、すべて土地関係であったとすれば、二十年分としては、少ないくらいでございます」
セヴェリン様が、書棚に手をついたまま、しばらく黙っていました。
「二十年前」
彼が言いました。
「私が生まれた年だな」
「はい」
私は言いました。
「そして、アデル様が家を出られたのが、十六年前でございます」
◆
十月の半ばに、照会の返答が届き始めました。
最初に来たのは、管理院からのものでした。
『照会のヴェルナーなる者の受験辞退につき、二十二年前の十一月二十日と記録されております』
日付だけの、一行の回答です。
私はそれを、日付の表に書き入れました。二十二年前、十一月。
二通目は、ルーヴェ男爵家からでした。こちらは長い書面でしたが、中身は薄いものでした。
『アデル・ガルドウィン殿に嫁いだ当家の娘につきましては、十六年前に婚家を出て以来、当家とも音信を絶っております。当家といたしましても行方を存じませず、婚姻誓約書の写しにつきましては、そちらでご処分いただいて差し支えございません』
「処分してよい、と」
私は言いました。
「実家が、行方を知らないと明言しております」
「十六年、か」
セヴェリン様が言いました。
「私が四つの年だ」
「覚えておいでのことは」
「ない」
彼は言いました。
「叔父の顔を覚えているのも、もっと前かもしれん。背の高い人だった、というだけだ」
私は書面を置きました。
「奥様のご実家が知らないということは、駆け落ちに近い形であった可能性がございます」
「駆け落ち」
「二人で家を出て、双方の実家と縁を切る。そうでなければ、実家が消息を知らないということはあまりございません」
◆
三通目の名簿が届いたのは、十月の終わりでした。
雪が本格的に降り始めた日です。
二十二年前の受験者のうち、現在も登録が生きている者。三十一名の名が並んでいました。
私は一つずつ読みました。
見覚えのある名は、ありません。当然です。私は王都の読み手を知りませんので。
けれど、名簿の末尾に、注記がありました。
『なお、同年の受験者のうち、辞退または不合格となった者の氏名は公開の対象外です』
私はその一行を読み、それから、名簿に戻りました。
三十一名。
そのうち、現在の所属が記されています。管理院所属が十四名。各領地の抱え読み手が九名。独立が八名。
独立八名の氏名と、活動地を追いました。
王都が五名。地方が三名。
地方の三名のうち、一人の活動地に、私は指を止めました。
『モーリス子爵領』
◆
「セヴェリン様」
私は名簿を持って、執務室へ急ぎました。
「モーリス子爵領に、登録された読み手がおります」
彼が顔を上げました。
「当然だろう。あれだけの家だ」
「二十二年前の受験者でございます」
私は言いました。
「ヴェルナーさんと、同期です」
セヴェリン様の指が、止まりました。
「名は」
「ラウル・ディンゲン」
私は名簿を示しました。
「独立の読み手として登録され、モーリス子爵領を主な活動地としております」
「境界誓約を書いたのは、この男か」
「分かりません」
私は言いました。
「ただ、あの誓約書は管理院の書式に忠実でございました。登録された読み手の手である可能性は、高うございます」
「同期が、両側にいるのか」
「そうなります」
私は言いました。
「一方は登録して、モーリス家に。一方は辞退して、各家を回る書類屋に」
窓の外で、雪が音もなく降っていました。
「二十二年前に、何があったのでしょうか」
私は言いました。
「ヴェルナーさんは十一月に辞退しております。試験は、例年、十月から十二月にかけて行われます。第二次まで進んで、最終を前に辞退した形です」
「家の事情だと言っていた」
「家がなくなった、とも仰いました」
私は言いました。
「二十二年前に家の事情で辞退し、後に家がなくなった。順序が逆でございます」
セヴェリン様が、こちらを見ました。
「――どういうことだ」
「家がなくなったのなら、要件を満たします」
私は言いました。
「登録できたはずです。ですが、なさいませんでした」




