第二十二話 起草者を辿る
婚姻誓約書の起草者は、書面には記されません。
記す欄がないのです。署名するのは当事者と立会人だけで、誰が条文を書いたかは残りません。ですから、起草者を辿るには、書式そのものを読むしかありません。
私は自分の婚姻誓約書の写しを、卓に広げました。
十二条。序文なし。第一条から第五条が定型、第六条に持参金、第七条に債権の不主張、第八条に返還規定、第九条に期限、第十条から第十二条が雑則。
隣に、十八年前のアデル様の婚姻誓約書を並べます。
十一条。序文なし。第一条から第五条が定型、第六条に持参金、第七条に請求権の放棄、第八条に返還規定、第九条から第十一条が雑則。
条文の数は違います。ただ、並びが同じでした。
◆
「セヴェリン様。二通の書式を比べました」
「同じか」
「骨格が同じです」
私は言いました。
「定型が五条、持参金が第六条、権利に関する条文が第七条、返還が第八条。この並びは、管理院の標準書式ではございません」
「標準はどうなっている」
「標準では、権利に関する条文は雑則に入ります。後ろのほうです」
私は施行細則の書式例を開きました。
「第七条という前のほうに置くのは、目立たせたくないときの置き方でございます」
「前のほうが、目立たないのか」
「はい」
私は言いました。
「読む者は、前半は定型だと思って流します。第一条から第五条までが本当に定型ですので、その勢いで第六条、第七条も流します。持参金の額に目が行けば、なおさらです」
セヴェリン様が、眉を寄せました。
「君は流さなかった」
「流しました」
私は言いました。
「第六条の金額で、一度止まりました。止まったので、第七条を読みました。額が普通であれば、私も読み飛ばしていたかもしれません」
「――父上の吝嗇に助けられたな」
「そうなります」
◆
「もう一つ、共通点がございます」
私は二通を並べ直しました。
「句読の打ち方です」
「句読」
「条文の中で、読点をどこに打つか。人によって癖が出ます」
私は指で示しました。
「『花婿は、婚姻の成立をもって、ガルドウィン辺境伯家に対する一切の請求権を放棄する』。主語のあと、そして、をもって、のあと。二か所です」
「こちらは」
「『花嫁は、婚姻の期間中、実家に対する一切の債権を主張しない』。同じく二か所。同じ位置です」
私は言いました。
「これだけでは断定できません。ただ、境界誓約の第五条も、同じ打ち方でございました」
セヴェリン様が、顔を上げました。
「境界誓約と、君の婚姻誓約書が」
「同じ癖でございます」
私は言いました。
「十八年前の婚姻誓約書と、二年前の境界誓約と、今年の私の婚姻誓約書。三通に、同じ句読の癖がございます」
◆
執務室が、しばらく静かになりました。
「――同じ人間が書いたのか」
「その可能性がございます」
私は言いました。
「ただし、句読の癖は真似られます。師弟であれば、自然と似ることもございます」
「では、確かめようがないな」
「一つ、確かめる方法がございます」
私は言いました。
「私の婚姻誓約書を、誰が用意したのか、父に聞くことです」
「答えるか」
「答えないと思います」
私は言いました。
「ですから、答えざるを得ない形で聞きます」
◆
その日の午後、私は父宛の書状を書きました。
短いものです。五行に収めました。
『お父さまへ
婚姻誓約書について、確認したいことがございます。
第七条の文言が、十八年前にガルドウィン辺境伯家で用いられた条文と、句読の位置まで一致しております。
当家の婚姻誓約書を起草した者の名を、お教えください。
管理院への照会に必要となる場合がございますので、念のため伺うものです。
ヴィオラ・ガルドウィン』
セヴェリン様に見せると、彼は少し目を細めました。
「最後の一行は、脅しか」
「事実でございます」
私は言いました。
「起草者が無資格であった場合、婚姻誓約書の有効性そのものには影響いたしません。ですが、書式に瑕疵があれば、照会の対象にはなり得ます」
「対象になるだけか」
「なるだけです」
私は認めました。
「ただ、父はそこまで読みません。管理院という言葉だけで、十分に効きます」
◆
書状を出して、三日が過ぎました。
その三日目の夕方、王都からの定期便に、別の封が混ざっていました。
差出は、リナリーでした。
『お姉さま
読み手を雇いました。
持参金から出せると書いてあったので、お父さまには言わずに、自分で王都の紹介所へ人をやりました。
三日前から来ています。ヨセフという、若い方です。
管理院には、お姉さまの書いたとおりに答えました。代理の者に読ませ、自分の判断で署名した、と。今のところ、それ以上は聞かれていません。
お父さまは怒っています。でも、条文を見せたら、黙りました。
お姉さま。
わたし、百通の中身を、少しずつ読んでもらっています。
十年分です。
知らなかったこともありました。知っていて、知らないふりをしていたことも、ありました。
ごめんなさい、とは書きません。書いたら、それで終わりにしてしまいそうだから。
リナリー』
◆
私は、その手紙を膝の上に置いて、しばらく窓のほうを見ていました。
外は、もう暗くなっています。
「――どうした」
セヴェリン様が、扉のところに立っていました。
「妹から書状が」
「悪い知らせか」
「いいえ」
私は言いました。
「読み手を雇ったそうです」
「では、よい知らせだな」
「はい」
私はそう答えて、それから、少し黙りました。
「セヴェリン様」
「なんだ」
「妹が、十年分の届出を読んでいるそうです。読み手に読ませて」
「知るだろうな。君が何をしていたか」
「はい」
私は手紙を折りました。
「知っても、何も変わりません。過去の分は、もう請求できませんので」
「君は、それでいいのか」
私は少し、考えました。
「請求できるとは、思っておりません」
私は言いました。
「ただ、記録が残らなかったことが、ずっと気にかかっておりました。十年、私がそこにいたという記録が、どこにもないのです」
「妹君が読めば」
「妹の中には、残ります」
私は言いました。
「それで、十分だと思います」
セヴェリン様は、しばらく何も言いませんでした。
それから、机の上に一通を置きました。
「伯爵からの返書だ。さっき届いた」
私は封を切りました。
一行だけでした。
『起草者は、ヴェルナーという者である』




