第二十話 妹への返事
持参金について、施行細則は明確でした。
『第二百十一条 婚姻に供するため家より分与された財は、婚姻の成立をもって当該女子に帰属する。婚姻前においては家の管理に属するが、家は当該財を他の用途に費消してはならない』
管理は家。所有は本人。費消は禁止。
私は三度読んで、それから補遺を引きました。補遺には、留保中の持参金の扱いについて、二行だけ注がありました。
『本人の利益のためにする支出は、費消に当たらない』
指が止まりました。
本人の利益のためにする支出。
リナリーの名で届け出られた百通に説明をつけるための読み手の雇用は、リナリーの利益のためにする支出になります。
「――使える」
私は声に出していました。
◆
返事を書くのに、また二日かかりました。
一日目は、事実だけを書きました。二日目は、それを削りました。
削ったのは、リナリーが読めないからです。長く書けば、誰かに読み上げてもらうことになります。読み上げるのは、おそらくハルヴァか、父でしょう。
父に読まれることを前提に書く。
そう決めて、私は書き直しました。
『リナリーへ
書状を読みました。
管理院の照会について、お答えします。
説明できるのは、届出名義人であるあなただけです。私が代わりに説明することはできません。私が説明すれば、百通すべてが名義冒用として取り消されます。取り消されれば、小作契約が効力を失い、土地を耕している人たちが困ります。ですから、私は何もいたしません。
あなたがすべきことは、管理院にこう答えることです。
内容は代理の者に読ませ、自分の判断で署名した。
この答えで、届出は有効のまま残ります。代理人の名を明かす必要はありません。
ただし、この答えをした以上、今後も同じ形を続ける必要があります。代理の者がいなければ、次の届出はできません。
読み手を雇ってください。
費用については、あなたの持参金から支出できます。管理令施行細則第二百十一条により、持参金はあなたの財です。家が他の用途に使うことは禁じられていますが、あなた自身の利益のための支出は、費消に当たりません。補遺の注記にそう書かれています。
百通の届出を守るための雇用は、あなたの利益のためにする支出です。したがって、お父さまの許可は要りません。あなたが決められます。
ヴィオラ・ガルドウィン』
◆
書き上げて、私はセヴェリン様に見せました。
彼は最後まで読んで、しばらく黙っていました。
「――妹君に、権利を渡したな」
「渡してはおりません」
私は言いました。
「もともと妹のものです。妹が知らなかっただけです」
「知らせたのは君だ」
「はい」
私は認めました。
「父は、知らせなかったと思います。持参金は家の管理下にありますので、黙っていれば使われません」
「知れば、伯爵は止めるだろう」
「止められません」
私は言いました。
「条文が明確ですので。ただ、妹が父に相談すれば、止められます。相談するなと書いてはおりませんので、そこは妹次第です」
セヴェリン様は、紙を返しました。
「君は、妹君をどう思っている」
私は少し、答えに詰まりました。
◆
「――十年、私の名で届け出るべきものを、妹の名で出しておりました」
私は言いました。
「妹が望んだことではありません。父が決めました。妹は、自分の名が使われていることすら、正確には知らなかったと思います」
「では、被害者か」
「被害者です。同時に、利を得ておりました」
私は続けました。
「私が書斎で誓約書を捌いているあいだ、妹は社交に出ておりました。届出の名義がついていたおかげで、家の実務を担っていることになっていたのです。縁談のときにも、そう説明されておりました」
「知っていたか」
「どうでしょうか」
私は言いました。
「知らなかったとは思いません。ただ、知っていて何かを変えられる立場でもなかったと思います」
私は書状を折りました。
「私は、妹を恨んでおりません。ですが、庇うつもりもございません」
「では、なぜこれを書いた」
「小作人のためです」
私は言いました。
「四十件の契約が崩れれば、四十の家が困ります。それだけは避けたい。妹が読み手を雇えば、避けられます」
セヴェリン様は、少しのあいだ黙っていました。
「――それだけか」
「それだけです」
私はそう答えました。
答えてから、自分の声が少し硬いことに気づきました。
「セヴェリン様」
「なんだ」
「一つだけ、書かなかったことがございます」
「聞こう」
「読み手を雇えば、妹は読める人を側に置くことになります」
私は言いました。
「読める人が側にいれば、いずれ妹は、自分の名で何が届け出られてきたかを知ります。十年分を」
「知ると、どうなる」
「分かりません」
私は言いました。
「ただ、知らないままでいるよりは、よいと思います」
◆
書状を出した翌日から、私は木箱の最後の一束に取りかかりました。
残っていたのは、古い相続関係の誓約書でした。二十年、三十年前のものが混じっています。処理は済んでいますが、保存の分類がされていませんでした。
一通ずつ日付を確かめ、束ね直していきます。
その途中で、一通、手が止まりました。
十八年前の、婚姻誓約書でした。
ガルドウィン辺境伯家と、遠縁の男爵家。花婿は、先代様の弟。
私はその名を知りません。屋敷で聞いたこともありません。
「バルトさん」
家令を呼びました。
「先代様に、ご兄弟はおられましたか」
バルトの手が、盆の上で止まりました。
「……おられました」
「今は」
「二十年近く、消息を存じません」
家令は言いました。
「家を出られましたので」
「出られた理由を、伺ってもよろしいですか」
バルトは、しばらく黙っていました。
「奥様。これは、旦那様にお尋ねになるべきことかと存じます」
「はい」
「ただ」
家令は言いました。
「旦那様も、おそらくご存じございません。当時、まだ十にもなっておられませんでしたので」
私は婚姻誓約書を、机の上に置きました。
十八年前。先代様の弟が婚姻し、その二年後に家を出た。
私は署名欄を見ました。
花婿の術式署名の脇に、小さな印がありました。
略式署名です。
形は――帳簿の欄外のものと、モーリス家の正本のものと、覚書のものと。
同じでした。




