第十七話 書類屋の話し方
ヴェルナーは、思ったより小柄な男でした。
四十代の半ば、灰色の上着、擦り切れた革の鞄。髪は薄く、背を少し丸めています。応接間に入ると、すぐに立ち上がって深く礼をしました。
「辺境伯。ご無沙汰しております」
「久しいな」
セヴェリン様が短く答えました。
「そちらは」
ヴェルナーの視線が、こちらへ向きました。
「妻だ」
「これは、ご結婚なさったのですか。存じ上げず、失礼を」
彼は改めて礼をしました。丁寧で、腰が低く、目が合うと少し伏せる。人当たりのよい所作でした。
「ヴィオラと申します」
私はそれだけ言いました。
「ヴェルナーでございます。先代様の頃より、書類の整理などをお手伝いしております」
◆
椅子に座ると、ヴェルナーは鞄から帳面を出しました。
「本日は、定期の確認に伺いました。前回が二月と六月でしたので、少し早うございますが、この時期は各家とも年末の書類が溜まり始めます」
「早く来る理由になるのか」
「経験則でございます」
彼は微笑みました。
「秋のうちに整えておきませんと、冬に雪で足止めされます。北の領地は、そういうものでして」
理屈は通っています。
私は膝の上で手を組み、黙って聞いていました。
「未処理のものはございますか」
ヴェルナーが尋ねました。
「木箱に入っていた分は、片付いた」
セヴェリン様が答えました。
彼の指が、わずかに止まりました。
「片付いた、と申しますと」
「読んだ。処理した」
「――どなたが」
「私が読ませた」
セヴェリン様は言いました。「妻が」
ヴェルナーの目が、こちらを向きました。
一瞬でした。それから、彼はすぐに表情を戻しました。
「これは失礼を。奥様は、誓約書をお読みになるのですか」
「実家で、少し」
私は答えました。
「少し、でございますか」
「はい」
私はそれ以上、言いませんでした。
ヴェルナーはしばらく私を見て、それから帳面を閉じました。
「それは何より。お手を煩わせずに済みます」
◆
「ヴェルナー殿」
セヴェリン様が言いました。
「聞きたいことがある」
「なんなりと」
「父の書斎を整理したのは、あなただそうだな」
「はい。先代様のご依頼でございました」
彼はよどみなく答えました。
「亡くなられる二月ほど前に、お話をいただきました。書類が多すぎて自分では手に負えぬ、整理してくれ、と」
「整理の内容は」
「分類でございます。誓約書、帳簿、私信、その他。それぞれ束にして、書棚に戻す作業です」
「持ち出したものは」
ヴェルナーは、少しだけ間を置きました。
「ございます」
私は視線を上げないようにしました。
「王都で照合の必要なものを、いくつか。管理院の登録の有無を確かめませんと、有効か無効かも判断できませんので」
「返したか」
「返せておりません」
彼は言いました。
「先代様が亡くなられましたので、途中で作業が止まりました。私の手元に残ったままでございます」
◆
あまりに、あっさりと認めました。
私は自分の呼吸を整えました。隠すつもりなら、こうは答えません。
「何通ある」
セヴェリン様が言いました。
「十二通ほどかと。正確な数は、控えを見ませんと」
「返してもらえるか」
「もちろんでございます」
ヴェルナーは頷きました。
「ただ、王都の私の宿に置いてございます。次に王都へ戻りましたら、お送りいたします」
「いつ戻る」
「今月末には」
彼は帳面を開き直しました。
「――申し訳ございません。私のほうから、もっと早くお返しすべきでした。二年も経ってしまいまして」
「なぜ、言わなかった」
「言う機会がございませんでした」
ヴェルナーは言いました。
「こう申しては失礼ですが、辺境伯は書類をご覧になりません。書類の話をいたしましても、任せると仰せになるばかりで」
セヴェリン様の顔が、動きませんでした。
「そのとおりだ」
「責めているのではございません」
ヴェルナーは慌てたように言いました。
「どの家もそうでございます。読める者が一人いれば、他の者は読まなくなります。それが普通でして」
◆
私は、初めて口を開きました。
「ヴェルナーさん」
「はい」
「その十二通の中に、誓約書の草案は含まれておりますか」
彼は、こちらを見ました。
「草案、でございますか」
「はい。署名前の、下書きの段階のものです」
「――さて」
ヴェルナーは少し考える顔をしました。
「控えを見ませんと分かりかねます。ただ、草案であれば、照合の必要はございませんので、持ち出す理由がございません」
「ですが、束の中に紛れていたということは、あり得ますね」
「あり得ます」
彼は認めました。
「先代様の書斎は、正直に申しまして、かなり混ざっておりました」
「では、確かめてくださいますか」
「承知いたしました」
ヴェルナーは帳面に何か書き留めました。
「草案がございましたら、それも併せてお送りいたします」
◆
半刻ほどで、話は終わりました。
年末の書類について二、三の助言をして、ヴェルナーは立ち上がりました。
「では、来月にでも、また」
「来月」
私は聞き返しました。
「はい。返却の際に、直接お持ちしたほうがよろしいかと。郵送では紛失の恐れがございますので」
「そのほうがありがたい」
セヴェリン様が言いました。
ヴェルナーは礼をして、扉へ向かいました。
その手が把手にかかったところで、彼は振り返りました。
「奥様」
「はい」
「掲示を拝見いたしました。街道の宿場に貼ってございました」
私は、表情を動かさないようにしました。
「よく書けておりました」
ヴェルナーは言いました。
「四行に収めるのは、なかなかできることではございません。長く書くほうが、ずっと簡単でございます」
「――ありがとうございます」
「失礼いたします」
扉が閉まりました。
◆
しばらく、応接間には誰の声もありませんでした。
「どう見た」
セヴェリン様が言いました。
「二つ、申し上げます」
私は言いました。
「一つ。あの方は、私が読めることを、来る前から知っておられました」
「なぜ分かる」
「木箱の話をされたとき、指が止まりました。ですが、驚いておられません」
私は言いました。
「本当に知らなければ、そこで質問が出ます。誰が読んだのか、と。あの方は聞かずに、私の顔を見ました。確かめる目です。知っていて、確かめに来た目です」
「二つめは」
「掲示の話です」
私は言いました。
「あの方は、掲示を褒めました。四行に収めるのは難しい、と。あれは、書き手にしか分からない褒め方です」
セヴェリン様が、こちらを見ました。
「書き手」
「はい」
私は言いました。
「読むだけの者は、内容を褒めます。書く者は、長さを褒めます」
◆
「では、あの男は書ける」
「書けます。おそらく、相当に」
私は言いました。
「そして、十二通を持っていることを、自分から認めました。これは、こちらが調べていることを、すでに知っているからです。隠しても無駄だと判断しております」
「返すと言った」
「返すと思います」
私は言いました。
「ただし、十二通のうち、何を返すかは向こうが選べます。控えは向こうにしかございませんので、こちらは何が抜かれたか確かめようがありません」
セヴェリン様が、椅子の背にもたれました。
「――手詰まりか」
「いいえ」
私は言いました。
「一つ、こちらが握ったものがございます」
「なんだ」
「あの方は、来月また来ると仰いました」
私は言いました。
「来月には、北の丘での協議が終わっております。モーリス子爵と何を話したかを、あの方は知りたいはずです」
「なぜ、そう言える」
「返却は郵送で足ります」
私は言いました。
「わざわざ六日かけて運んでくる理由は、書類のほうにはありません。会いに来る理由が、別にあるということです」




