第十三話 管理院の四度
第二部に入る前に、八月の四度を片付ける必要がありました。
『管理院手数料』とだけ書かれた、四つの支出。案件名がありません。金額だけが並んでいます。
「セヴェリン様。管理院への問い合わせを、出そうと思います」
「目立つと言っていたな」
「はい。ですが、もう目立っております」
私は言いました。
「境界確認を申し入れ、略式署名の話を持ち出しました。モーリス家が知った以上、管理院にも伝わっていると考えるべきです。ここで遠慮しても、得るものがありません」
セヴェリン様は頷きました。
「何を問い合わせる」
「二年前の八月に、当家が支払った手数料の内訳です。手数料の記録は管理院に残ります。案件名も紐づいているはずです」
「拒まれたら」
「拒む根拠がございません。自家の支払記録の開示ですので」
私は続けました。
「ただ、時間はかかります。管理院は、急ぎませんので」
◆
問い合わせを出して、待つあいだ、私は日常の仕事を進めました。
木箱の未処理分の残り四束。ドラン村での読み書きの指導。ケール村からの、掲示に関する細かい問い合わせへの回答。
そして、屋敷の帳簿の立て直しです。
「バルトさん。この二年、出納はどのように」
「私が、覚え書きの形でつけております」
家令は帳面を出しました。細かい字で、日付と金額が並んでいます。
「帳簿の形式ではございません。前任の書記官が辞めたあと、私に手が回るのはこれが限度で」
「十分です」
私は頁をめくりました。
「むしろ、正確です。形式が整っていないだけで、中身に欠けがありません」
「恐れ入ります」
「これを、正式な帳簿に移してよろしいでしょうか。二年分、遡って」
バルトが、少し驚いた顔をしました。
「奥様が、なさるのですか」
「はい。誓約書の検分の合間に」
「その、失礼ながら」
家令は言いにくそうにしました。
「帳簿は、読み手のお仕事ではございません」
「読み手の仕事ではありません」
私は認めました。
「ですが、誓約書と帳簿は対になっております。誓約で約束したことが、帳簿で履行されている。片方だけ見ても、半分しか分かりません」
私は帳面を閉じました。
「二年前に何があったのかを知るには、両方が要ります」
◆
帳簿の移し替えは、思ったより時間がかかりました。
バルトの覚え書きは正確でしたが、分類がありません。日付順に並んでいるだけです。私は項目ごとに振り分け、月ごとに集計し、誓約書と突き合わせていきました。
三日目に、一つ見つけました。
「バルトさん。この支出は、何でしょうか」
私は覚え書きの一行を指しました。
昨年の三月。『北砦補修 モーリス商会宛』
「モーリス商会」
家令が眉を寄せました。
「子爵家の縁の商会でございます」
「取引誓約はございますか」
「あるはずでございますが」
バルトは首を傾げました。
「木箱の中には、ございませんでしたか」
「ありませんでした」
私は言いました。
「商会取引の誓約書は八通ございましたが、モーリス商会のものは一通も」
◆
その後、私は同じ名を三か所で見つけました。
昨年の三月、北砦補修。昨年の九月、飼料買付。今年の二月、鉄材。
いずれも小さくない金額です。そして、対応する誓約書がありません。
「セヴェリン様」
執務室で、私は覚え書きを広げました。
「モーリス商会との取引が三件ございます。いずれも誓約書がございません」
「誓約書なしで金が動いたのか」
「そうなります」
私は言いました。
「この国では、商取引に誓約書を用いるのが慣例です。用いなければ、履行を強制できません。ただ、違法ではございません。信用取引という形は、あり得ます」
「相手を信用していれば」
「はい。ですが」
私は三か所を指しました。
「三度とも、支払いはこちらが先です。品物の受領は、その後に記録されています。先払いの信用取引を、三度」
セヴェリン様の目が、細くなりました。
「品物は届いている」
「届いております。受領の記録がございます。ですから、詐取されたわけではありません」
「では、何が問題だ」
「問題ではないかもしれません」
私は正直に言いました。
「ただ、不自然です。ガルドウィン家は、他の商会とはすべて誓約書を交わしております。モーリス商会だけが例外です」
「例外の理由は」
「二つ考えられます。一つは、関係が深いので書面が不要だった場合」
「もう一つは」
「書面に残せない理由があった場合です」
◆
管理院からの回答が届いたのは、それから六日後でした。
封を切ると、書式の整った回答書が一枚。私は目を通し、それから、もう一度読みました。
「セヴェリン様」
「来たか」
「参りました。四件の内訳です」
私は回答書を机に置きました。
「一件目。境界誓約の登録。四月に結ばれたものを、八月に遡って登録しております」
「遅れて登録したのか」
「はい。遅延登録は、追加手数料がかかります。金額が大きい理由はそれです」
「二件目は」
「二件目も登録。ただし、案件名が『ガルドウィン辺境伯家 私的誓約』とだけございます」
セヴェリン様が顔を上げました。
「私的誓約」
「内容の公開されない誓約です。当事者と管理院しか中身を知りません」
私は言いました。
「登録はされておりますので、存在は確認できます。中身は開示されません」
「開示させる方法は」
「当事者本人であれば、閲覧を請求できます」
「私は当事者か」
「そこが分かりません」
私は回答書の続きを指しました。
「当事者名の欄に、二名ございます。一人は先代様。もう一人は――伏せられております」
「伏せられる」
「私的誓約では、一方の当事者が非公開を選択できます。相手が誰かは、開示されません」
執務室が、静かになりました。
「三件目と四件目は」
「同じです。私的誓約の登録が、二件」
私は言いました。
「二年前の八月に、先代様は私的誓約を三件、まとめて登録されております。相手方はすべて非公開。中身も非公開」
セヴェリン様が、左手を見下ろしました。
手袋の下に、履行待ちの紋があります。
「この三件のどれかが」
「可能性はございます」
私は言いました。
「ただし、閲覧を請求するには、ご自身が当事者であることを示す必要があります。当事者名が伏せられている以上、示す方法が――」
私はそこで、言葉を止めました。
一つ、思いついたことがありました。
「セヴェリン様」
「なんだ」
「紋が、証拠になります」
◆
「履行待ちの紋は、誓約の当事者にしか浮かびません」
私は早口になりました。
「紋があるということは、どこかの誓約の当事者であるということです。管理院には紋の鑑定制度がございます。紋を鑑定に出せば、対応する登録誓約が特定されます」
「制度があるのか」
「ございます。紛争のときに使われます。ただ」
私は少し、勢いを落としました。
「鑑定を受けるには、管理院へ出頭する必要があります。王都まで、片道六日」
「行けばいい」
「それと、もう一つ」
私は言いました。
「鑑定の結果は、管理院に記録されます。ガルドウィン辺境伯が、身に覚えのない誓約の当事者になっている。その事実が、公の記録に残ります」
セヴェリン様は、しばらく黙っていました。
「――残ると、どうなる」
「分かりません」
私は答えました。
「ただ、辺境伯が正体不明の誓約に縛られていると知れれば、周囲の見方は変わります。血の契約者という噂に、初めて根拠が付きます」
彼は、静かに言いました。
「噂の根拠は、私が作ることになるか」
「そうなる恐れがございます」
私は続けました。
「ですから、行かれる前に、もう少し材料を集めるべきかと存じます。三件の私的誓約のうち、どれが該当するのか、当たりをつけてから鑑定を受ければ、記録に残る情報を最小限にできます」
「当たりのつけ方は」
「帳簿です」
私は覚え書きを引き寄せました。
「私的誓約であっても、履行があれば金が動きます。動いていれば、帳簿に出ます。二年前の八月以降、正体の分からない支出か収入がないか、探します」
「秋以降の帳簿は、ない」
「はい。ですから」
私はバルトの覚え書きを持ち上げました。
「こちらから探します。家令の記録は、先代様のご遺志とは無関係につけられております。隠す理由のない人が書いた記録が、一番読めます」




