↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

70/71

第七十話 同じ軌道ではない

 白い間に、新しい項目が固定された。


 それは、世界を作り替えるほど大きな光ではなかった。


 神話の終わりでもない。


 女神の死でもない。


 ただ、ステータスの片隅に、小さな扉が増えただけだった。


自己観測項目を追加。

【中心重力表示】


閲覧条件:

本人の同意

自己名の想起

観測負荷への警告確認


他者による代理閲覧:不可

強制開示:不可


 その小さな扉は、世界のあちこちに届いていた。


 リーベルの受付で、リナは端末を閉じ、あとで開くために自分の名前を小さく練習した。


 女神教会で、セラは新しい手順書の一行目に「対象の名前を確認する」と書いた。


 王国勇者庁の廊下で、カイトは誰の拍手も待たずに歩き出した。


 ラベル剥がれの村で、リセは薬草を刻みながら、自分の項目を開くかどうかを明日決めることにした。


 どれも、世界を救うほど大きな変化ではない。


 でも、誰かの一日を少しだけ変えるには十分だった。


 エルシアは、その表示を長く見ていた。


「これで、人間が完全に自由になるわけではありません」


「分かってる」


「多くの人は、見ないでしょう」


「それも選択だ」


「見た人が、必ず救われるわけでもありません」


「知ってる」


 俺は頷いた。


 完全な自由なんてない。


 完全な救いもない。


 それでも、扉があることは違う。


 開けるかどうかを、自分で決められることは違う。


 エルシアは目を伏せた。


「私は、管理をやめません」


 ノアの目が鋭くなる。


 だが、エルシアは続けた。


「世界の崩壊を防ぐために、最低限の骨組みは残します。危険な重力開示事故も防ぎます。完全自由世界を繰り返すつもりはありません」


「だろうな」


 ノアは短く言った。


「だから俺も、見ている」


 黒鐘が低く鳴る。


「お前がまた都合よく人間の名前を消すなら、その時は壊しに来る」


「はい」


 エルシアは逃げなかった。


 許しではない。


 和解でもない。


 ただ、互いの位置が少し変わった。


 グースが、胸元の鈴を指で弾いた。


「いやあ、高い買い物だったね」


「何も払ってないぞ」


「払ったよ」


 グースは肩をすくめる。


「みんな、自分の物語を少しずつ」


 フロッグが静かに笑った。


「でも、全部ではありません」


 白い間が薄れていく。


 観測塔の最上層が戻る。


 ひび割れた床。


 壊れた端末。


 遠くで鳴らない黒鐘。


 そして、まだ消えない白鐘の気配。


 世界は変わった。


 けれど、明日から急に優しくなるわけではない。


 勇者制度は残る。


 女神教会も残る。


 魔王というラベルも、たぶん残る。


 俺の救済依存も、残る。


 視界に、最後のログが開いた。


現在の中心重力:【救済依存】

現在の軌道偏差:1.7%


警告。

あなたは今も、誰かを救おうとしています。


 少し前なら、その表示を見ただけで焦った。


 また同じだ。


 また救おうとしている。


 自分は偽物だ。


 そう思ったかもしれない。


 でも、今は違った。


 俺はそのログを見て、隣を見る。


 ミオがいた。


 救済錨ではなく。


 M-17ではなく。


 ミアでもなく。


 ミオが、自分の足で立っていた。


「救わなくていいです」


 彼女は言った。


「一緒に考えてください」


 俺は頷いた。


「うん」


 言葉は、驚くほど軽かった。


「今度は、そうする」


 観測塔の外で、朝の光が差していた。


 白鐘はまだ鳴る。


 黒鐘も、どこかで音を吸っている。


 俺たちは、その間を歩いていく。


 ここまで来ても、俺たちはまだ回っている。


 愛も、恐怖も、承認も、救済も、消えない。


 けれど、もう見えないふりはしない。


 同じ場所に戻っているように見えても、高さが違えば、それは螺旋だ。


 俺たちはまだ、自由ではない。


 それでももう、最初と同じ軌道ではなかった。


第一部 (完)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。