第七話 カエルの賢者
東門の外は、すでに人だかりになっていた。
倒れた荷車。
散らばった木箱。
悲鳴を上げる母親。
そして、荷台の下から伸びる小さな手。
「誰か、持ち上げろ!」
「無理だ、荷が重すぎる!」
「子供が潰れる!」
現場は混乱していた。
冒険者が数人いる。門番もいる。力のありそうな男たちもいる。
それなのに、誰も動けていない。
それぞれが焦って、別々の場所を掴み、別々の指示を飛ばしている。荷車は少し揺れるだけで、下の子供を余計に圧迫していた。
俺の視界にログが開く。
イベント一致率:91%
過去周回名称:【救済者の認定】
推奨行動履歴:
単独で荷車を持ち上げる。
救助対象を抱き上げる。
周囲から称賛を受ける。
「推奨するな」
単独で持ち上げる?
できるわけがない。
いや、過去の俺ならできたのかもしれない。剣聖の器か、勇者補正か、そういう都合のいい力で。
でも今の俺にはない。
あるのは鑑定だけだ。
なら見る。
「【万能鑑定】」
対象:横転した荷車
状態:右車輪破損、荷重偏り
危険度:中
弱点:左後方の支柱。ここを持ち上げると荷重が逃げる。
対象:下敷きの少年
状態:左脚圧迫、呼吸可能、意識あり
猶予:短
見えた。
俺一人が英雄みたいに持ち上げる必要はない。
むしろ、それをやると同じ軌道に入る。
「全員、聞いてくれ!」
俺は声を張った。
何人かがこちらを見る。
「持ち上げる場所が違う! 左後ろの支柱だ! そこに力を集める! 門番さん、棒か槍を貸してくれ! てこの支点にする!」
「お前、誰だ!」
「通りすがりのFランク冒険者だ! でも見える!」
言い切った。
説得している時間はない。
俺は門番の槍を半ば奪うように受け取り、荷車の下へ差し込む。
「そこの二人、ここを押してくれ! 母親は子供の名前を呼び続けて! 寝かせるな!」
周囲の人間が動き出す。
一人が動けば、次が動く。
バラバラだった混乱に、少しだけ形ができた。
「せーの!」
槍が軋む。
荷車がわずかに浮いた。
「今だ! 子供を引け!」
若い冒険者が地面に滑り込み、少年の体を引き出した。
母親が泣きながら抱きしめる。
少年は咳き込み、それから大声で泣いた。
泣けるなら生きている。
周囲から歓声が上がった。
俺はその場に座り込みそうになったが、耐えた。
肩が痛い。腕が震えている。だが、少年は助かった。
その瞬間、ログが開く。
称号候補【救済者】
付与条件達成率:91%
過去周回との差異を確認。
単独救助:未選択
共同救助:選択
称賛集中率:低下
軌道偏差:1.3%
「……よし」
ログはそこで終わらなかった。
【万能鑑定】の観測精度が上昇しました。
派生表示:【構造解析】を解放。
解放条件:
対象を支配せず、構造を観測して問題を解決する。
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
称号は避けた。
でも、何も得なかったわけじゃない。
小さい。
相変わらず小さい。
でも、またズレた。
攻略法が少しだけ見えた。
救わないことが自由なんじゃない。
救いの中心を、俺一人にしないこと。
「おい、あんたすげえな!」
誰かが俺の肩を叩いた。
痛い。
「俺じゃない。みんなでやった」
「いや、でも指示したのは」
「ギルドの依頼主は誰ですか。報酬は救助に参加した人で分けてください」
称賛が俺に集まる前に、俺は話を散らした。
みんなでやった。
そういう形にしたかった。
救ったのは俺じゃない。
少なくとも、俺だけじゃない。
救助に参加した若い冒険者が、照れくさそうに笑った。
「俺、今ので銅貨もらっていいのか」
「もらってください。というか、もらってくれないと俺が目立つ」
「変なやつだな、あんた」
「よく言われる予定がある」
「予定?」
「こっちの話」
その時、足元から声がした。
「いいズラし方ですね」
見下ろすと、そこにカエルがいた。
いや、カエルみたいな人がいた。
小柄な体。緑がかった肌。丸い目。古びたローブ。背丈は子供ほどしかないが、声は妙に落ち着いている。
「……魔物?」
「失礼な。賢者です」
「賢者」
「はい。カエルではなくフロッグです」
「それはカエルじゃないんですか」
「種族名と個人名が一致しているだけです」
この世界、面倒くさい。
フロッグと名乗った賢者は、俺の顔をじっと見た。
「君、今の救助で一番大事なことをしましたね」
「子供を助けたことですか」
「いいえ。自分だけの手柄にしなかったことです」
心臓が小さく跳ねた。
「見てたんですか」
「ええ。君の軌道も少し」
軌道。
その言葉を聞いた瞬間、警戒心が跳ね上がる。
「何者ですか」
「フロッグです」
「それは聞きました」
「では、もう少しだけ。私は、自分の回っているものを見すぎてしまった賢者です」
意味が分からない。
だが、冗談で言っている目ではなかった。
フロッグは東門の騒ぎから少し離れた石垣に腰かけた。
「人は、自分の意思で歩いていると思っています。でも実際には、何かの周りを回っていることが多い」
「……重力みたいに?」
「そう。承認、恐怖、孤独、怒り。君の場合は、救済」
俺は息を飲んだ。
ステータスを見られたのか。
「俺のスキルを知ってるんですか」
「スキル名は知りません。ただ、動きを見れば分かります。君は助けを求める声に弱い。でも、助けたあとに自分が中心になってしまうことを怖がっている」
当たりすぎていて、腹が立つ。
「占い師ですか」
「賢者です」
フロッグは真面目な顔で言った。
「君はさっき、同じ場所へ戻りかけました。でも、少しだけ高さを変えた。円ではなく螺旋にしたわけです」
螺旋。
同じ場所へ戻っているように見えても、高さが違う。
「それで、自由になれますか」
「完全には」
フロッグはあっさり言った。
「人間は公転をやめられません。大事なのは、自分が何の周りを回っているのかを知ることです」
「知ったら?」
「一瞬だけ、惑星ではなく宇宙になれます」
よく分からない。
でも、その言葉は胸に残った。
フロッグはギルドの方へ視線を向ける。
「気をつけてください。称号は報酬ではありません。ラベルです。一度貼られると、世界は君をその役割として扱い始めます」
「救済者、ですか」
「やはり出ましたか」
フロッグは目を細めた。
「その先には、たいてい勇者があります」
嫌な予感が形になる。
「勇者になると、どうなります」
「世界中の苦しみが、君の前に運ばれてくる」
フロッグは穏やかに言った。
「そして君は、救わずにはいられなくなる」
ログが開く。
称号候補【救済者】
派生職業候補:【勇者】
東門では、助かった少年がまだ泣いている。
それはいいことだ。
助かってよかった。
その気持ちまで嘘にしたくない。
でも俺は今、自分の足元に、また一本の道が伸びているのを見ていた。
勇者へ続く道が。
次話、女神教会の鐘が何を鳴らしているのか。




