第六十四話 保護したかった人
セラは、白鐘監察官だった。
女神教会の規則を守る者。
保護対象を回収する者。
選択能力のない者に、危険な自由を与えない者。
彼女は、ずっとそう名乗ってきた。
だから、自己名宣言を求められた時、少しだけ言葉に詰まった。
「私は、セラです」
白鐘が鳴る。
今まで人を従わせるために鳴っていた鐘が、今だけ彼女自身の内側を叩いた。
自己名宣言を確認。
観測負荷警告を確認。
自己観測同意を確認。
中心重力を表示します。
セラの前に、文字が浮かぶ。
対象:セラ
中心重力:【保護依存】
注記:
他者を保護可能対象として分類することで、自己の正当性を維持しています。
セラは、瞬きをしなかった。
保護依存。
それは侮辱ではなかった。
あまりにも正確な名前だった。
彼女は、保護したかった。
誰かが傷つく前に、危険な場所から遠ざけたかった。
ログの奥に、古い記録が浮かんだ。
まだ監察官になる前のセラ。
教会の保護院で、外へ出たいと泣いた子供を止められなかった日の記録。
自由を認めた。
本人の意思だと信じた。
その子は、次の朝には戻らなかった。
旧記録:
対象保護失敗
分類:【自由選択の許可】
セラの自己責任認識:固定
あの日から、彼女は自由という言葉を信用できなくなった。
本人が嫌がっても、分かっていないだけだと思った。
自由を望む声を、未成熟な反応として処理した。
ミオにも、そうした。
M-17にも、そうした。
数えきれない保護対象に、そうしてきた。
「私は」
セラの声は、いつものように整っていなかった。
「私は、人を救っていたつもりでした」
白鐘は答えない。
端末の上で、次の命令書が震えている。
保護対象回収命令:
未同意対象を回収し、女神教会管理下へ戻すこと。
今までなら、彼女は判を押した。
保護のために。
規則のために。
相手が自分で選べる状態にないから。
セラは羽ペンを取る。
そして、命令書の一部を書き換えた。
保護対象対応手順:
一、対象へ危険説明を行う。
二、選択肢を提示する。
三、対象の自己名宣言を確認する。
四、強制回収は緊急生命危機時に限る。
小さな変更だった。
世界を変えるほどではない。
でも、彼女にとっては大きすぎる変更だった。
白鐘が、低く鳴る。
再選択を確認。
対象:セラ
中心重力:【保護依存】
行動:強制回収から説明へ変更
軌道偏差:更新
セラは椅子に座ったまま、長く目を閉じた。
「保護は、やめません」
彼女は誰にともなく言った。
「でも、もう、保護という言葉で名前を消しません」
白い間で、そのログを見たミオが、息を呑んだ。
許したわけではない。
傷が消えたわけでもない。
それでも、世界のどこかで、保護の形が一つだけ変わった。
それは、奇跡よりずっと地味な、けれど確かな再選択だった。




