第五十三話 意味のある不自由
「檻ではありません」
エルシアは言った。
「骨組みです」
白い間に、いくつもの物語が浮かぶ。
勇者が剣を取る。
聖女が祈る。
追放者が立ち上がる。
悪役令嬢が破滅を回避する。
魔王が世界の敵になる。
恋人が手を伸ばす。
仲間が背中を押す。
敵が立ちはだかる。
見慣れた物語の形。
それらは、今まで俺たちを縛るものに見えていた。
いや、実際に縛っていた。
だが、エルシアの視点では違う。
「役割があるから、人は朝起きられることがあります」
エルシアの声は穏やかだ。
「敵がいるから、怒りに方向が生まれることがあります。愛する相手がいるから、孤独を越えられることがあります。使命があるから、空白に耐えられることがあります」
否定しきれない。
それが腹立たしい。
俺だって、誰かに必要とされた時に立ち上がってきた。
カイトだって、見返す相手がいたから歩けた。
ミオだって、レンに救われる少女という役割の中で、生き延びた部分がある。
それを全部、嘘だとは言えない。
「意味のある不自由」
フロッグが呟いた。
エルシアは頷く。
「完全な自由では、人は壊れました。だから私は、不自由に意味を与えたのです」
「勝手に」
俺は言った。
エルシアがこちらを見る。
「勝手に、です。そこが問題だ」
「本人が同意できるほど安定する前に、骨組みは必要です」
「赤ん坊に名前をつけるのと同じだと?」
「近いものです」
「違う」
声が強くなった。
「名前は、あとから名乗り直せる。でもあんたの役割は、名乗り直そうとした瞬間に軌道修正を起こす」
ミオが小さく頷く。
勇者候補。
救済錨。
魔王候補。
ラベルは、ただの言葉ではない。
出来事を呼ぶ。
人の目を変える。
本人の行動まで誘導する。
エルシアは否定しない。
「はい。役割は、世界と接続しています」
「それを支配と言うんだ」
「支配であっても、必要な支配があります」
白い間が冷える。
その言葉は、女神の本質だった。
善意の支配。
保護の名をした管理。
意味のある不自由。
フロッグが静かに言った。
「女神様の言葉は、全部嘘ではありません」
俺は彼を見る。
フロッグは続けた。
「外側には、本当に意味がありませんでした。役割がなければ立てない人もいます。物語がなければ、自分を保てない人もいます」
「なら」
エルシアが言う。
「あなたは分かるはずです」
「分かります」
フロッグは頷く。
「だからこそ、見せずに縛ることが間違いなのです」
白い間に、沈黙が落ちた。
エルシアが初めて、ほんの少しだけ言葉を失ったように見えた。
フロッグは穏やかに続ける。
「骨組みが必要な人はいます。でも、自分が何に支えられているかを知る権利まで奪ってはいけない」
その言葉は、俺の中に静かに入ってきた。
完全な自由ではない。
完全な破壊でもない。
自分が何に支えられ、何に縛られているかを知ること。
そこからしか、選び直せない。
エルシアは目を伏せる。
「あなたたちは、自由が欲しいのではありません」
彼女は言った。
「壊れずに自由を扱える自分が欲しいのです」
その言葉は、ひどく正確だった。
だから、俺は何も言えなかった。




