第47話 ミオがいない周回
ミオがいない周回。
その記録は、最初から奇妙だった。
始まりの町が違う。
森もない。
奴隷商もいない。
ミオはいない。
だから、俺は少しだけ息ができると思った。
ミオが配置されていないなら、少なくとも彼女は傷つかない。
だが、その考えはすぐに壊れた。
その周回の俺は、別の少女を救っていた。
名前はサラ。
教会ではなく、貴族家から逃げてきた少女。
追われ、怯え、誰にも頼れずにいた。
俺は彼女を助けた。
そして、同行した。
構図は違う。
表情も違う。
でも、中心は同じだった。
救済錨候補:
S-04
救出後同行率:94%
救済者自己肯定回復:大
対象依存形成:進行
ミオが息を呑んだ。
その音は、驚きだけではなかった。
少しの安堵。
少しの痛み。
たぶん、両方だった。
「私じゃなくても」
彼女が言う。
声は小さい。
「よかったんですね」
その言葉は、刃の向きが分からなかった。
自分を責めているのか。
俺を責めているのか。
それとも、構造そのものに呆れているのか。
「よかった、とは」
言いかけて、止まる。
何を言っても違う気がした。
次の記録。
別の周回。
今度は少年だった。
名前はロウ。
魔物に村を焼かれ、復讐心を抱えていた。
俺は彼を救った。
励まし、守り、仲間にした。
その少年は俺を兄のように慕った。
俺は、彼の信頼でまた立ち上がった。
救済錨候補:
R-22
中心重力反応:
救済依存、安定
勇者職移行率:上昇
さらに次。
年老いた薬師。
獣人の姉弟。
処刑されかけた反逆者。
誰かがいない周回では、別の誰かがいた。
空白は、別の形で埋められていた。
俺の胸が冷えていく。
ミオが俺の檻なのではない。
俺が、檻を探す。
誰かを救い、誰かに必要とされ、その関係を支えにして、勇者へ戻る。
ミオだけが特別な檻だったのではない。
それは、彼女の罪ではない。
救いになるはずの事実だった。
でも、ミオの顔はさらに白くなった。
「私は」
彼女は言った。
「代わりがいるんですね」
「違う」
言ってしまった。
まただ。
ミオは俺を見た。
怒ってはいなかった。
ただ、疲れていた。
「分からないんですよね」
その通りだった。
俺は唇を噛む。
「分からない」
ミオは頷いた。
小さく。
その頷きは、許しではない。
ただ、俺が嘘をつかなかったことへの反応だった。
水盤に集計が表示される。
救済錨候補:
M-17
S-04
R-22
その他複数
注記:
救済者は空白を嫌います。
救済者は空白を嫌います。
あまりにも正確で、吐き気がした。
俺は空白が怖い。
誰にも必要とされない時間。
誰も助けていない自分。
何者でもない自分。
その空白を埋めるために、俺は誰かを救ってきた。
ミオは水盤から目を離した。
「レンさん」
「うん」
「私は、嬉しかったんだと思います」
胸が痛む。
「でも、特別だと檻で、特別じゃないと代わりなんですね」
言葉がない。
そんなひどい二択を、彼女に渡していた。
いや、世界が渡したのかもしれない。
でも、俺も受け取っていた。
「変ですよね」
ミオは小さく笑った。
笑えてはいなかった。
「檻じゃないって言ってほしかったのに、代わりがいるって分かると、それはそれで痛いんです」
「変じゃない」
言ってから、また止まりかける。
慰めになるかもしれない。
だが、これは言いたかった。
「たぶん、変じゃない」
ミオは俺を見る。
「たぶん?」
「断言できない」
「そこは、できないんですね」
「できない」
ミオは少しだけ息を吐いた。
泣きそうな息だった。
「私は、あなたにとって特別でいたかった」
「うん」
「でも、あなたが私だけに縛られていたなら、それは怖い」
「うん」
「私の代わりがいるなら、私は私じゃなくてもよかったのかと思ってしまう」
「うん」
「どっちも嫌です」
その言葉は、幼いわがままのようにも聞こえた。
でも違う。
矛盾した痛みを、矛盾したまま差し出している。
俺は、それを綺麗に整理してはいけない。
「どっちも嫌でいいと思う」
ミオは黙った。
「たぶん、どちらかを正解にしたら、また物語になる」
俺は水盤を見る。
M-17。
S-04。
R-22。
記号が並んでいる。
でも、その一つ一つに誰かがいた。
「君は檻じゃない、と俺が言い切ったら、君の怖さを消すことになる。君は代わりじゃない、と言い切ったら、この記録を見なかったことにする」
喉が痛い。
「だから今は、どっちも嫌だって場所にいるしかない」
ミオは長く黙った。
それから、小さく頷いた。
「そこにいるの、嫌ですね」
「うん」
「でも、嘘よりはいいです」
その言葉に、少しだけ救われた。
救われた、と思った自分にまた嫌気が差した。
だが、その感情もある。
消えない。
カイトが低く呟いた。
「最悪の棚だな」
「棚?」
「どこに置いても痛い」
彼なりの言葉だった。
フロッグは黙っていた。
珍しく、何も刺さる言葉を言わなかった。
水盤がまた揺れる。
俺は身構えた。
だが、次に映ったのは記録ではなかった。
水盤の向こうに、見慣れた商人が立っていた。
グース。
彼はいつもの笑みを浮かべていない。
対象:グース
分類:【観測端末】
状態:逸脱
注記:
観測者にも軌道があります。
グースは帽子を脱いだ。
「さて」
彼は言った。
「そろそろ、僕の棚も開く頃だね」




