第46話 勇者レインとミア
第143周回。
公開題名、聖癒の勇者レイン伝。
教会の地下で読んだ写本では、それは美しい物語だった。
勇者レイン。
少女ミア。
魔王ノア。
愛と救済と自己犠牲。
女神に祝福された勇者譚。
だが、水盤に映った原記録は、紙の上の美談とは違っていた。
レインは、善良だった。
それがまず、つらかった。
悪人なら楽だった。
傲慢で、身勝手で、ミアを道具として見ていたなら、今の俺は切り捨てられた。
でも、違った。
レインは本気で人を救っていた。
傷ついた村人を癒やし、倒れた兵士を背負い、泣く子供に笑いかけた。
そして、そのたびにミアを見た。
彼女が笑うと、レインはまた立ち上がれた。
彼女が心配すると、レインは無理をした。
彼女が「あなたは必要な人です」と言うと、レインは勇者でいられた。
対象:レイン
中心重力:【救済依存】
安定因子:【ミア】
注記:
同行者の信頼により勇者職維持率が上昇。
安定因子。
嫌な言葉だった。
ミオは黙って見ている。
水盤の中で、ミアはレインに寄り添っていた。
今のミオより少し大人びて見える。
たぶん、長い旅をした後なのだろう。
彼女はレインの手を握り、静かに言う。
「私がいます」
優しい声だった。
嘘ではない。
役割だけでもない。
でも、その言葉は、レインをさらに勇者に縛った。
次の場面。
夜の野営。
レインは眠っていない。
ミアも起きている。
「休んでください」
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃありません」
「俺が休んだら、誰が」
言いかけて、レインは黙る。
ミアは悲しそうに笑った。
「私が、あなたにそう思わせているんですか」
レインは否定する。
「違う」
その声は、今の俺と同じだった。
ミオが小さく震えた。
俺も、何も言えなかった。
原記録は、さらに奥を映す。
魔王ノアとの戦い。
白い光。
黒い炎。
崩れる城。
写本では、レインはミアの祈りを受け、魔王を討ったことになっていた。
だが、原記録では違う。
レインは迷っていた。
ノアの言葉を聞いてしまっていた。
勇者も魔王も、分類でしかない。
その真実に触れかけていた。
その時、ミアが叫ぶ。
「レイン!」
助けを求める声ではない。
止める声でもない。
ただ、彼を失いたくない声。
レインは振り向いた。
その瞬間、彼の迷いは消えた。
ミアを守る。
それだけが残った。
分岐点:
魔王ノアの言葉を聞く
ミアを守る
選択:
ミアを守る
結果:
勇者職維持
魔王討伐ログ生成
俺は息を呑む。
レインはミアを愛していた。
だから、真実より彼女を選んだ。
それは美しい。
同時に、檻だった。
ミオが水盤を見る。
「ミアは、嬉しかったんでしょうか」
「分からない」
「記録には」
表示が出る。
対象:ミア
感情ログ:
安堵
愛情
罪悪感
自己否定
死亡時未送信発話:
私がいなければ、あなたは自由でしたか。
ミオが口元を押さえた。
俺の視界が揺れる。
死亡時未送信発話。
口にできなかった言葉。
物語には残らなかった言葉。
写本では、ミアは勇者を信じて微笑んだ聖女のように書かれていた。
原記録では、彼女は最後に自分を疑っていた。
「改変箇所」
俺は呟く。
水盤に表示が重なる。
公開写本への改変:
関係性依存を純愛へ変換
死亡時自己疑念を信仰へ変換
記憶初期化処理を女神の祝福として記述
純愛。
信仰。
祝福。
綺麗な言葉が、痛みを覆っていた。
ミオは涙をこぼしていなかった。
でも、顔色は白かった。
「私は」
彼女は言った。
「ずっと、こうだったんですか」
「ミオ」
「レインさんを支えて、勇者でいさせて、最後に自分を疑って」
俺は何も言えない。
言えば、また彼女の痛みを自分の言葉で包んでしまう気がした。
水盤の最後に、もう一つ表示が出る。
第143周回終了処理。
対象:レイン
処理:記憶初期化
実行者:【エルシア】
対象:ミア
処理:配置記録へ統合
エルシア。
女神の名が、黒塗りなしで出た。
その瞬間、塔の壁がわずかに震えた。
どこか遠くで、白い鐘が鳴りかけた。
だが、まだ届かない。
水盤は次の記録を準備している。
ミオが俺を見る。
「次を見ます」
「休んでも」
「休んだら、怖くて戻れなくなります」
そう言われると、止められなかった。
次の記録には、ミオの姿がなかった。




