第四十四話 閲覧同意
観測塔の扉は、開いていた。
閉じているようにも見えた。
木でも鉄でも石でもない。
扉というより、境界だった。
そこに立つと、視界に文字が浮かぶ。
入塔者を確認。
自己記録閲覧権:暫定付与
他者記録閲覧権:未付与
誓約:
本人同意なき他者原記録への侵入を禁じます。
「禁じます、って言うんですね」
俺が呟くと、フロッグが頷いた。
「昔は禁じていなかったんです」
「それで?」
「覗きすぎた人たちが壊れました」
軽い言い方ではなかった。
観測塔の中は、思ったより狭かった。
外から見た塔の太さと合っていない。
白い壁。
黒い床。
中央に、透明な水盤のようなものがある。
水ではない。
光でもない。
記録が沈んでいる。
そう感じた。
ノアは入口で止まった。
「俺は後から行く」
「一緒に来ないんですか」
「お前たちの最初の閲覧に、俺がいるべきではない」
「意外と気を遣うんですね」
「気を遣わなかった結果、魔王になった」
笑えない冗談だった。
ノアは外へ残る。
リセとリュカも村へ戻った。
中に入ったのは、俺、ミオ、カイト、フロッグ。
それから。
「やあ」
水盤の向こうに、グースがいた。
当たり前のように。
「また不法侵入ですか」
「ここは僕の古巣みたいなものだから」
「嫌な言い方ですね」
「正確だよ」
グースは水盤を指した。
「ここでは、自分の記録は読める。他人の記録は、本人が開けない限り読めない」
「あなたが説明するんですか」
「案内係の名残だね」
案内係。
また一つ、彼の正体に近づく言葉。
ミオは水盤の前に立った。
表面に、いくつもの文字が浮かぶ。
対象候補:ミオ
自己記録閲覧権:確認
警告:
原記録には、物語化前の感情ログが含まれます。
閲覧後、自己認識に不可逆の変化が生じる可能性があります。
ミオの手が震えた。
俺は一歩動きかけて、止まる。
手を伸ばしてはいけないわけではない。
だが、今伸ばす理由が、自分の不安を消すためなら違う。
「怖いです」
ミオが言った。
「うん」
「見たくないです」
「うん」
「でも、見ないままだと、私はずっと誰かの説明で自分を知ることになります」
彼女は水盤を見つめる。
「それは、もっと嫌です」
俺は、見せてほしいと言わなかった。
一緒に見ようとも言わなかった。
ミオが決めることだ。
たぶん、これまで何度も俺が奪ってきた場所だ。
沈黙が落ちる。
長く感じた。
実際には、数秒だったのかもしれない。
ミオは俺を見た。
「レンさん」
「うん」
「一緒に見てください」
胸が詰まった。
「いいのか」
「はい」
「俺が見たいからじゃなくて?」
「私が、一人で見たくないからです」
その違いを、彼女ははっきり言った。
俺は頷く。
「分かった」
視界にログが開く。
閲覧条件を満たしました。
対象本人の同意を確認。
派生閲覧:【共同閲覧】を一時解放。
共同閲覧。
その言葉が、静かに浮かぶ。
誰かの記録を暴くためではない。
ひとりでは持てない痛みを、同じ画面で見るための機能。
水盤が一度、白く光った。
最初に映りかけたのは、俺の視点だった。
森。
追っ手。
怯える少女。
そこへ駆けつける俺。
助ける俺。
まるで、俺が見たい形に整えられた映像。
違う。
これは、原記録ではない。
物語に近い。
閲覧初期補正を検知。
基準視点:【救済者】
表示傾向:救済成功中心
「ふざけるな」
俺は思わず言った。
塔は、ここでも俺を中心にしようとしている。
ミオが水盤に手を置いた。
「私の視点も出してください」
水盤は応えない。
白い映像だけが続こうとする。
俺は沈黙鈴を握り、ミオを見る。
「一緒に」
その一言だけ言った。
ミオは頷く。
俺たちは同時に水盤へ触れた。
共同閲覧による視点補正を開始。
基準視点:【救済者】から【複数当事者】へ変更。
防衛機構:
物語化補正、低下。
白い映像が歪む。
勇ましい角度が崩れ、泥の匂いが戻ってくる。
俺の背中だけではなく、ミオの震える指、荒い息、追っ手の靴音まで見えるようになる。
共同閲覧は、扉を開けるだけではなかった。
記録を、誰か一人の美談にさせないための鍵だった。
ただし。
注意:
閲覧痛覚の共有は行われません。
記録の解釈責任は、各閲覧者に残ります。
「親切なのか不親切なのか」
俺が呟くと、グースが笑った。
「痛みまで共有できたら、人はすぐ他人の人生を自分のものにするからね」
その通りだった。
水盤の表面が揺れる。
最初の記録が浮かび上がる。
森。
逃げる少女。
追う男たち。
そして、何度も現れる俺。
救出記録照合。
対象:ミオ
回数:17
ミオの息が、止まった。
俺も、息を忘れた。
十七回。
数字では知っていた。
だが、映像になると、数字は刃になった。




