第四十話 檻の名前はミオ
お前の一番甘い場所を見る。
ノアがそう言った時、俺はすぐに分かった。
分かってしまった。
だからこそ、聞きたくなかった。
「やめろ」
俺は言った。
自分でも驚くほど、低い声だった。
ノアは静かに俺を見る。
「まだ何も言っていない」
「言う前に分かる」
「なら、お前も気づいている」
黒鐘の下で、空気が冷える。
ミオは地図の前に立っていた。
M系列保護対象配置拠点。
旧リーベル保護院。
M-17。
過去17回の救出。
繋がってほしくない線が、勝手に繋がっていく。
ついさっきまで、ミオは足を痛めた旅人だった。
リセにそう呼ばれて、少し楽だと言った。
白鐘の追跡糸に向かって、自分の口でそう名乗った。
保護対象でもなく、救済対象でもなく、ヒロインでもなく。
足を痛めた旅人。
その小さな自由が、まだ部屋の隅に残っている気がした。
だからこそ、次の言葉を聞きたくなかった。
「ミオは関係ない」
俺は言った。
「ある」
「関係ない」
「ある」
ノアの声は揺れない。
「その少女は、お前を勇者ルートへ戻すための救済錨だ」
救済錨。
言葉の意味は、聞かなくても分かった。
錨。
船をその場所に留めるもの。
流されないためのもの。
そして、動けなくするもの。
「違う」
俺は即座に否定した。
「ミオは、そんなものじゃない」
「本人の価値の話をしているんじゃない」
「同じだろ」
「違う」
ノアは一歩も引かない。
「配置役割と本人の意思は別だ。俺はそれを何度も言っている」
「なら、言うな」
「言わなければ、お前は目を逸らす」
その通りだった。
腹が立つほど、その通りだった。
視界にノイズが走る。
見たくない。
今は見たくない。
だが、周回記録は開く。
俺の拒否より先に。
関係性照合を開始。
対象:ミオ
関連記録:
初回救出イベント
同行固定
勇者ルート復帰
救済衝動安定化
「やめろ」
俺はログに向かって言った。
当然、止まらない。
過去周回参照:
対象救出後の同行率:100%
恋愛関係移行率:82%
勇者職移行率:高
主人公死亡率:76%
備考:
対象は救済者の中心重力を安定化させる傾向があります。
知っていたログだ。
彼女を初めて救った直後に見た。
あの時は、怖いと思った。
でも、まだ「過去に何度も救った少女」だと思っていた。
今は違う。
その救出自体が、俺を戻すための錨だった可能性がある。
ミオが俺を見る。
彼女の顔から血の気が引いていた。
「レンさん」
「違う」
何に対する違うなのか、自分でも分からない。
「君は違う」
「何がですか」
「君は、俺のために置かれた道具じゃない」
「それは」
ミオは少しだけ笑った。
笑おうとして、失敗した顔だった。
「レンさんが決めることですか」
言葉が刺さった。
深く。
正確に。
俺は何も言えなかった。
ノアが静かに言う。
「そういうところだ」
「黙れ」
「黙れば、事実は消えるか」
「黙れと言った」
カイトが一歩前に出かける。
だが、フロッグが止めた。
「ここは、殴ると負ける場所です」
「分かってる」
カイトは歯を食いしばった。
俺も分かっている。
今ノアを殴れば、楽だ。
怒れば、簡単だ。
ミオを守るために怒った、と言える。
でも、それはまた、俺がミオを理由にすることになる。
沈黙鈴を握る。
レン。
レン。
レン。
名前を思い出す。
勇者でもない。
魔王でもない。
救済者でもない。
ミオの保護者でもない。
レン。
視界のログが、さらに奥を開こうとする。
関係性照合:
対象:ミオ
推定役割:【救済錨】
注意:
本人の意思と配置役割は一致しない場合があります。
最後の一文だけが、かろうじて息継ぎのように見えた。
本人の意思と配置役割は一致しない場合がある。
つまり。
配置されたとしても、ミオの気持ちが偽物とは限らない。
だが。
俺の救いたい気持ちが偽物ではないとしても、救済依存が混ざっているのと同じように。
彼女の感情にも、配置が混ざっているかもしれない。
ミオはログを見えない。
でも、俺の顔で何かを読んだのだろう。
「出たんですね」
彼女が言った。
「私についての、何かが」
「ミオ」
「言ってください」
「今は」
「隠さないでください」
その声は震えていた。
でも、逃げていなかった。
リーベル教会の記録室で、自分の名前を知りたいと言った時と同じ目だった。
旧保護院へ、自分の記録を探しに行くと決めた時と同じ目だった。
俺は息を吸う。
最低な言葉を、自分の口で出す。
「君は、俺を救済ルートへ戻すための救済錨かもしれない」
ミオは瞬きをした。
一度。
二度。
そのあと、視線を落とした。
リセが何か言いかけて、やめた。
ノアも黙っている。
黒鐘が揺れている。
音はない。
だから、ミオの声だけがはっきり聞こえた。
「私は」
彼女は小さく言った。
「あなたに助けられて、嬉しかったです」
俺は胸を掴まれたような気がした。
「でも」
ミオは顔を上げる。
目に涙は浮かんでいた。
それでも、こぼしてはいなかった。
「それも、そう感じるように置かれていたんですか」
「違う」
即答してしまった。
でも、ミオは首を振る。
「分からない、ですよね」
その通りだった。
分からない。
分からないのに、違うと言った。
彼女を安心させたかった。
自分が安心したかった。
そのどちらか、分からない。
ミオは一歩下がった。
ほんの一歩。
でも、その一歩が遠かった。
「レンさん」
彼女は言った。
「私は、あなたの檻なんですか」
黒鐘は鳴らない。
白鐘も届かない。
だから、その問いだけが、どこにも逃げずに残った。
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