第四話 名乗っていない名前
あなたは過去17回、この少女を救出しています。
その表示は、しばらく消えなかった。
ミオは俺の前で不安そうに瞬きをしている。右足首は腫れていた。奴隷商の追跡者に掴まれていた腕にも、赤い指の跡が残っている。
目の前にいるのは、ただ傷ついた少女だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
そう思いたかった。
けれど視界の隅には、無機質な数字が浮かんでいる。
救出後の同行率:100%
恋愛関係移行率:82%
主人公死亡率:76%
少女死亡率:41%
この世界は、最初から彼女を「同行者」として数えている。
ふざけるな、と思った。
彼女は数字じゃない。
俺のイベント報酬でもない。
けれど、そう怒る自分の足元にも別の数字が刺さる。
過去十七回、俺は彼女を同行させている。
つまり俺も、彼女を自分の物語に引き込んできたのかもしれない。
「あの」
ミオの声で我に返った。
「顔色が悪いです。もしかして、怪我を」
「いや。怪我はしてない。肩はちょっと痛いけど」
棍棒がかすめた肩がじんじんする。だが動く。
俺は水袋を差し出した。
「飲んで。ゆっくりでいい」
「……ありがとうございます」
ミオは両手で水袋を受け取った。水を飲む仕草は慎重だった。喉が渇いているはずなのに、一気に飲まない。誰かに怒られることを警戒しているみたいに。
鑑定の表示が自然と浮かぶ。
名称:ミオ
状態:恐怖、飢餓、右足首捻挫、慢性疲労
所属履歴:女神教会保護院
備考:一部情報が秘匿されています。
「女神教会保護院っていうのは?」
ミオの肩がびくりと跳ねた。
聞き方を間違えた。
「悪い。無理に答えなくていい」
「……孤児を預かる場所です」
ミオは水袋を握ったまま、視線を落とした。
「私はそこで育ちました。でも、今年になってから、保護院の人が変わって……働き先が決まったって言われて」
「それが、さっきの連中?」
ミオは小さく頷く。
「神殿の外に出たら、馬車に乗せられて。変だと思って逃げました。そしたら、追われて」
教会。
保護。
働き先。
奴隷商。
言葉だけなら、どれも社会に存在しそうなものだ。けれど組み合わせると、ひどく嫌な形になる。
「町に着いたら、衛兵かギルドに相談しよう」
「ギルド……」
ミオの顔に怯えが戻る。
「ギルドも教会と繋がっています。私が戻されるかもしれません」
「じゃあ、まずは情報を集める。いきなり突き出したりはしない」
そう言ってから、俺は自分の言葉に危うさを感じた。
俺はこの子をどうするつもりだ。
保護する?
守る?
連れていく?
その全部が、過去十七回の俺がやったことなのかもしれない。
ミオは俺を見ている。
期待と不安が混ざった目だった。
放っておけない。
その感情は、本物だ。
本物だからこそ怖かった。
【救済衝動】が反応しています。
対象:ミオ
状態:孤独、恐怖、保護欲求
行動優先度が上昇しています。
「表示するな」
「え?」
「いや、こっちの話」
俺は深呼吸した。
何を選べば、同じ軌道から外れる?
助けないことか。
それは違う。
助けないことが自由だなんて、そんな雑な話ではないはずだ。
問題は、彼女を俺の人生の理由にしてしまうことだ。
「ミオ」
「はい」
「俺は町まで行く。君の足じゃ一人で森を抜けるのは危ない。だから町までは一緒に行こう」
ミオの表情が少し明るくなる。
俺はその前に、はっきり付け加えた。
「ただし、同行じゃない。町までの一時護衛だ。その先どうするかは、君が決める」
ミオはきょとんとした。
「私が、ですか」
「君のことだから」
自分で言って、少し苦かった。
当たり前のことのはずなのに、わざわざ言わなければならない。
ミオは水袋を見下ろした。
「私が決めても、いいんですか」
「いい。というか、俺が決めることじゃない」
その瞬間、視界に新しいログが浮かんだ。
過去周回との差異を確認。
通常同行宣言:未選択
一時護衛宣言:選択
軌道偏差:0.4%
たった0.4。
けれど、初めて数字が変わった。
同じ道の上で、爪先一つぶん横へずれたような感覚がある。
ミオはまだ戸惑っていた。
「でも、私はお金もありません。行く場所もありません」
「それも町で考えよう」
「レンさんは」
「ん?」
「どうして、そんなふうに言えるんですか」
答えに困った。
俺だって、そんなに立派な人間じゃない。
このままミオに頼られたら、安心する自分がいる。守ってほしいと言われたら、たぶん嬉しい。誰かの役に立てる自分に、まだ価値があると思える。
だからこそ、ここで全部を引き受けてはいけない。
「俺が決めたら、楽だからだよ」
「楽?」
「君の行き先を俺が決めて、君が俺を頼って、俺が君を守る。それはたぶん、俺にとってすごく分かりやすい。でも、分かりやすい道って、だいたい危ない」
ミオは意味を探すように俺を見ていた。
今の説明で分かるはずがない。
でも、それでいい。
俺自身、まだ分かっていない。
俺は彼女の足首を、直接触れない距離から確認した。
「添え木にできそうな枝を探す。歩く時は肩を貸すけど、痛かったらすぐ言ってくれ」
「はい」
俺は近くの枝を拾い、外套の裂けた布で簡単に足首を固定した。
ミオは痛みに顔をしかめたが、泣かなかった。
泣けないほど、泣いたあとだったのかもしれない。
森を出るころには、日が少し傾いていた。
道の向こうに町が見える。
石壁に囲まれた小さな町。
門の上には、白い鐘の紋章が掲げられていた。
ミオがそれを見て、肩を固くする。
「あれが、始まりの町リーベルです」
「始まりの町って、いかにもだな」
冗談のつもりで言った。
だが次の瞬間、頭の奥で鐘が鳴った。
白い部屋で聞いたものと同じ音。
カァン、と。
イベント一致率:73%
過去周回名称:【始まりの町への到着】
町の鐘は、まだ鳴っていない。
それなのに俺の耳には、確かにその音が聞こえていた。
俺は、その音を聞きながら決めた。
まず、ミオを教会へ戻さない。
次に、俺の前回死亡原因を調べる。
この二つを確かめるまでは、女神の言う第二の人生なんて信用しない。
次話、冒険者ギルドで「今回」という言葉が漏れます。




