第三十一話 魔王候補の控室
王都の門前で鳴った鐘は、すぐには止まらなかった。
カァン。
カァン。
白い音が、石壁に跳ね返り、人の声を薄く塗り潰していく。
誰かが俺を勇者と呼んだ。
誰かが俺を危険だと言った。
その両方が、同じ輪の中から聞こえてくる。
勇者候補。
魔王候補。
並べてみると、まるで正反対の言葉だ。
だが、今の俺には同じ首輪の色違いに見えた。
「レン様。こちらへ」
ユリウスが前に出た。
彼の声は落ち着いていたが、額にはうっすら汗が浮かんでいる。
「王国勇者庁本部で、いったん事情を整理します」
「整理という名の収容では」
「否定しきれないのがつらいところです」
正直だった。
セラは少し離れた場所から俺たちを見ている。
白鐘監察官。
穏やかな顔。
薄い微笑み。
その背後には、教会関係者が何人か控えていた。
「魔王候補という表示が事実なら、保護の必要があります」
セラが言った。
「俺を?」
「あなたを。あなたの周囲の人々を。そして王都を」
間違ったことは言っていない。
だから腹が立つ。
カイトが小さく笑った。
「便利だな。危ないって言えば閉じ込められるし、立派だって言えば持ち上げられる」
「カイト様も同行を」
「様を付けるな。むず痒い」
ユリウスは苦笑した。
ミオは俺の横にいた。
足の痛みを隠そうとはしていない。
でも、離れようともしない。
「ミオ。無理なら」
「言います」
先に言われた。
最近、これが増えた。
たぶん良いことだ。
俺たちは勇者庁本部へ向かった。
王都の中央通りを進む。
白い石畳。
女神像。
店先から覗く市民。
誰も直接近づいては来ない。
だが、視線だけが降ってくる。
期待。
不安。
好奇心。
恐怖。
全部が混ざって、俺の肩に積もる。
勇者庁本部は、白い建物だった。
白すぎるほど白い。
門柱には女神の紋章と王国旗。
その下に、小さな文字でこう刻まれている。
勇ある者に、正しき物語を。
「嫌な標語ですね」
「私も、初日はそう思いました」
ユリウスが言う。
「今は?」
「慣れました」
「それが一番怖い」
建物の中へ入ると、鐘の音が少し鈍くなった。
外より静かだ。
だが、静かだから安心というわけではない。
白い壁。
整った床。
柔らかい椅子。
温かい茶。
暴力の気配がない。
だからこそ、断りづらい。
通された部屋の扉には、候補者控室と書かれていた。
「候補者」
俺が呟くと、ユリウスは気まずそうに視線を逸らした。
「名称は古いものです」
「古いだけで使ってる」
「はい」
部屋の中には、長椅子と机があった。
壁には歴代勇者の肖像画。
どの顔も、こちらへ微笑んでいる。
微笑み方が似すぎている。
フロッグが一枚ずつ見上げた。
「これはまた、ずいぶん綺麗に並べた墓標ですね」
「墓標」
「だって、みんな同じ顔をしている」
言われて、少し寒くなった。
ユリウスが机の向こうに立つ。
セラも入ってきた。
王国側と教会側。
白い部屋に、二つの白が並ぶ。
「では、現状を整理します」
ユリウスが書類を広げた。
「レン様は、北東街道において魔族事案へ対処し、商隊を救出しました。王国勇者庁としては、勇者候補登録の条件を複数満たしていると判断します」
「登録は拒否します」
「承知しています」
彼は頷いた。
そこへ、セラが続ける。
「一方で、魔王候補表示が出た可能性があります。これは女神教会として看過できません」
「俺が魔王だと?」
「いいえ。候補です」
「軽くなった気がしませんね」
「候補は、未然に保護できます」
保護。
またその言葉だ。
ミオの手が、わずかに強張る。
「つまり」
俺は言った。
「勇者候補登録を受ければ安全。拒否すれば魔王候補として監視。そういう話ですか」
ユリウスは苦い顔をした。
セラは微笑みを崩さなかった。
「かなり乱暴に言えば」
「乱暴じゃない言い方にすると?」
「あなたにとって最も安全な保護分類を選ぶ必要があります」
視界にログが開いた。
選択肢を検知。
A:【勇者候補登録】
B:【魔王候補監視】
注記:
自由選択として提示されています。
「自由選択ね」
笑いそうになった。
いや、笑った。
小さく、乾いた声で。
カイトが横で椅子に座る。
「どっちを選んでも書類の棚に入るだけだな」
「そう見える」
「だったら棚ごと燃やせ」
「その発想から一回離れてください」
「無理だ。俺は燃やす側の人間だ」
フロッグが楽しそうに言う。
「でも、今日はまだ燃やしていませんね」
カイトが黙った。
ユリウスは俺を見た。
「レン様。少なくとも、今すぐ登録を進めることは止めます。ですが、魔王候補監視の手続きも、完全には止められません」
「猶予は」
「半日」
「短い」
「門前の騒ぎを考えると、長い方です」
確かに。
半日。
その間に、どちらの檻に入るか選べと言われている。
俺は沈黙鈴に触れた。
レン。
まだ、名前は残っている。
そして、ステータスの隅に残っていた一行も。
外部照合要求:未処理
発信源:魔王領
照合語:【旧勇者N】
白い控室の中で、その表示だけが黒い染みのように見えた。




