第三十話 勇者という檻
王都の門は、白かった。
高い石壁。
女神の紋章。
王国旗。
門の上には、大きな鐘が吊るされている。
街を守る鐘。
勇者を迎える鐘。
そしてたぶん、人の役割を鳴らす鐘。
門前には、思ったより多くの人がいた。
兵士。
教会関係者。
王国勇者庁の役人。
それから、物珍しそうに集まった市民。
嫌な予感がする。
というより、もう予感ではなかった。
ユリウスが馬車を降りた瞬間、数人の役人が駆け寄ってきた。
「ユリウス書記官」
「勇者候補は」
「北東街道の救済者が到着したのですか」
言葉が早い。
こちらが口を開く前に、周囲が勝手に物語を進めていく。
ユリウスは困ったように俺を見た。
「申し訳ありません。前倒し準備の通達が出たようです」
「知ってます」
「おそらく中継所の鐘が」
「知ってます」
二回言ってしまった。
ユリウスは少しだけ黙り、頭を下げた。
「止めます」
意外な言葉だった。
「できるんですか」
「完全には難しいです。ですが、少なくとも、本人の同意なき登録式は手続き上問題があります」
この人は、制度の中にいる。
だが、制度そのものではない。
そこを間違えると、たぶん全部が雑になる。
「お願いします」
俺が言うと、ユリウスは頷いて役人たちの方へ向かった。
その時、人垣の奥から白い法衣が見えた。
セラだった。
白鐘監察官。
穏やかな顔。
柔らかな微笑み。
相変わらず、書類の上から歩いてきたような女。
「レン様。ミオ」
セラは一礼した。
「無事に王都へ到着され、何よりです」
「俺たちを無事に到着させたいなら、門前で儀式の準備をしないでほしいですね」
「儀式ではありません。確認です」
「便利な言葉だ」
セラは微笑んだまま、ミオを見る。
「ミオ。足は」
「痛いです」
「教会施療院へ」
「行きません」
即答だった。
セラの笑みがほんの少しだけ薄くなる。
ミオは続けた。
「必要なら、自分で頼みます」
短い言葉。
だが、旧保護院へ向かう前の彼女なら、ここまで言えなかったかもしれない。
俺は少しだけ息を吐く。
セラは俺へ視線を戻した。
「北東街道での件、報告を受けています。魔族斥候を殺さず、商隊を救出したそうですね」
「その言い方だと、殺さなかったことが悪いみたいですね」
「事実確認です」
「事実確認なら、白鐘杭のことも入れてください」
「確認中です」
まただ。
都合の悪いものは確認中。
都合のいいものは手続き済み。
門の鐘が揺れた。
まだ鳴っていない。
だが、空気がもう鳴る準備をしている。
役人の一人が巻物を広げた。
「未登録転生者レン。北東街道における魔族事案への対処、商隊救出、街道保全の功績により、王国勇者庁は勇者候補としての登録審査を」
「待ってください」
ユリウスが割って入る。
彼にしては強い声だった。
「本人は登録審査への同意を保留しています。現時点で進めるのは手続き違反です」
役人が戸惑う。
セラは静かに言った。
「緊急時における保護登録は、本人同意より公益を優先できます」
「勇者候補登録は保護登録ではありません」
ユリウスが返す。
セラの目が、少しだけ動いた。
初めて見た。
この二人も、完全に同じ側ではない。
だが、門前の群衆はそんな細かい手続きを待ってくれない。
「勇者様なの?」
「魔族を助けたって本当?」
「でも商隊も助けたんだろ」
「女神様の使徒だ」
声が増える。
期待。
好奇心。
不安。
称賛。
疑い。
全部が混ざって、俺の周りに輪を作る。
カイトが横で低く言った。
「これが檻だ」
「見れば分かる」
「見えてるうちはまだいい」
彼の声は笑っていなかった。
フロッグは門の鐘を見上げる。
「鳴りますね」
「止められますか」
「物理的に止めると、かなり目立ちます」
「目立つのはもう手遅れです」
「それもそうですね」
ミオが俺の袖を掴んだ。
引き止めるためではない。
確認するため。
「レンさん」
「ん」
「名前を忘れないでください」
短い言葉だった。
沈黙鈴を握る。
レン。
今の俺の名前。
勇者でも。
救済者でも。
候補でも。
魔王でもなく。
レン。
門の鐘が鳴った。
カァン。
白い音が、王都の壁に反響する。
ステータスが勝手に開く。
職業候補:【勇者】
登録進行率:68%
条件:
魔族事案への対応
複数対象の救済
民衆による認知
王国勇者庁による推薦
「拒否する」
俺は言った。
声は鐘に負けなかった。
「俺は勇者候補登録を受けない」
群衆がざわめく。
役人が固まる。
セラは静かに俺を見ている。
ユリウスは、ほっとしたような、困ったような顔をした。
俺は続ける。
「北東街道で助けたのは俺一人じゃない。ミオが眠り草を見抜いた。フロッグさんが杭を抜いた。カイトが村の避難を手伝った。ユリウスさんも手続きを止めてる。商隊も村人も、自分の足で動いた」
言葉を切る。
「それを俺一人の勇者譚にするな」
静かになった。
一瞬だけ。
本当に、一瞬だけ。
だが、その一瞬のあとで、群衆の中から声がした。
「手柄を独り占めしないなんて」
「やっぱり本物だ」
「謙虚な勇者様だ」
笑いそうになった。
いや、もう笑うしかない。
拒否が、また美談に変わる。
俺の言葉が、俺の意思ではなく、勇者らしさの証明として処理される。
視界のログが激しく揺れた。
勇者候補登録進行率:上昇
本人拒否:謙虚性として処理
共同救済主張:統率適性として処理
「本当に、逃げ道を塞ぐのが上手い」
俺は沈黙鈴を強く握る。
レン。
レン。
レン。
鐘の音の奥で、別の表示が開いた。
職業候補:【勇者】
代替ラベル:【魔王候補】
注記:
同一対象への複数ラベル付与を確認。
観測者による分類が揺れています。
魔王候補。
背筋が冷える。
だが、不思議と驚きはなかった。
旧勇者N。
ノア。
勇者として扱えなくなった者を魔王と呼ぶ。
線はもう繋がっていた。
セラが、ほんのわずかに目を細める。
「何か見えましたか」
「ええ」
俺はログを見たまま答えた。
「檻に入らないなら、檻の外の怪物にするわけか」
群衆には意味が分からないだろう。
だが、セラには届いた。
ユリウスにも。
カイトにも。
ミオは袖を掴む手に少しだけ力を込めた。
「レンさん」
「大丈夫」
大丈夫ではない。
でも、今はそう言った。
勇者候補。
魔王候補。
二つのラベルが、同じ画面に並んでいる。
どちらも俺ではない。
どちらも、俺に貼られようとしている。
俺は顔を上げ、王都の白い門を見た。
この先に、勇者の檻がある。
そしてたぶん、魔王の出口も。
どちらへ進むにしても、もう「知らなかった」では済まない。
俺は沈黙鈴を握ったまま、一歩前へ出た。
鐘はまだ鳴っている。
だが、内側の小さな音も消えていなかった。
その時、ステータスの隅に、もう一行だけ表示が増えた。
外部照合要求を検知。
発信源:魔王領
照合語:【旧勇者N】
誰かが、こちらを見返した。




