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第二十七話 称号は報酬ではない

 その夜、ギルドの客室で眠ろうとして、眠れなかった。


 体は疲れている。


 北東街道を歩き、白鐘魔導兵を止め、商隊を救い、戻ってから勇者庁の書記官と話し、地下でカイトに会った。


 十分すぎるほど疲れている。


 なのに、頭だけが眠ろうとしない。


 勇者様だ。


 救済者申請。


 勇者候補登録。


 称号は首輪だ。


 言葉が、頭の中で何度も回る。


 窓の外では、町が静かに眠っていた。


 いや、完全には眠っていない。


 どこかで人の声がする。


 商隊が助かった話。


 魔族が出た話。


 転生者が救った話。


 たぶん、俺の話だ。


 俺の知らないところで、俺の形が作られていく。


「眠れませんか」


 隣の部屋から声がした。


 ミオだった。


 扉を少し開けると、彼女も外套を羽織ったまま起きていた。


「そっちも?」


「はい。足が痛いのと、頭がうるさいのと」


「頭がうるさい」


「今日、いろんな人がレンさんを呼びました。勇者様とか、救済者とか、候補とか」


 ミオは廊下の椅子に腰かけた。


 俺も少し離れて座る。


「名前が多いと、どれが本当か分からなくなります」


「ミオも?」


 彼女は小さく頷いた。


「M-17。保護対象。同行証言者。ミオ様」


 最後の言い方に、少しだけ困ったような顔をした。


「様は嫌だったか」


「保護対象よりはましです。でも、私じゃない感じがします」


「分かる」


 分かる、と思った。


 俺も今、自分の名前が遠くなりかけている。


 レン。


 今の俺の名前。


 だが周囲は、もっと便利な名前を用意してくる。


 勇者。


 救済者。


 候補。


 呼ばれ続ければ、いつかそちらの方が強くなるのだろうか。


 その時、胸の奥で小さな音がした。


 カァン。


 窓の外ではない。


 部屋の中でもない。


 内側ではない。


 もっと嫌な場所。


 ステータスの裏側から鳴る音。


 視界にログが開いた。


称号付与処理を確認。


候補:【救済者】

付与率:51%


条件:

複数対象の救済

被救済者による称賛

教会書記による仮申請


「来た」


 俺は沈黙鈴を握った。


 ミオが息を呑む。


「鐘ですか」


「称号の音らしい」


 小さな鈴を掌の中で転がす。


 グースの言葉を思い出す。


 自分の名前を思いながら、一度だけ鳴らす。


 レン。


 勇者ではない。


 救済者でもない。


 少なくとも、それを自分で選んではいない。


 レン。


 沈黙鈴は外へ鳴らない。


 だが、胸の奥で確かに震えた。


沈黙鈴との同期率が上昇。

称号音への内的同意を一時保留。


注意:

社会的ラベルの付与は継続中。


「一時保留」


 俺は苦く笑った。


「拒否ではないんですね」


 ミオが言う。


「らしい。内側で同意しないことはできる。でも、外側で人がそう呼ぶのは止められない」


 ミオは少し考えた。


「称号って、周りの人の目なんですね」


「たぶん」


「だったら、ステータスだけ消しても消えません」


「だな」


 それが一番面倒だった。


 称号が単なる文字なら、黒塗りを剥がすみたいに抗えるかもしれない。


 だが、称号が周囲の目なら。


 商人が俺を勇者様と呼ぶ。


 村人が期待する。


 王国が推薦する。


 教会が記録する。


 それら全部が、俺を少しずつ形作る。


「俺がどれだけ否定しても、誰かにとっての救済者にはなってしまう」


「それは、悪いことですか」


 ミオの問いに、すぐ答えられなかった。


 悪いことではない。


 商隊が助かったのは良いことだ。


 リュカを殺さなかったのも良いことだと思う。


 ミオが自分で歩いていることも。


 保護院の少年が「歩けた」と木札をくれたことも。


 悪いことではない。


 だが、それを全部まとめて「救済者」と呼ばれると、何かが違う。


「悪くない」


 俺は言った。


「でも、俺一人の手柄にされると、たぶん歪む」


「はい」


「それに、俺が救ったから正しい、って話にもしたくない」


 ミオは頷く。


「レンさんが救った人にも、レンさんを救済者にするために配置された人にも、なりたくありません」


 胸に刺さる。


 まっすぐで、痛い言葉だった。


「ごめん」


「謝ってほしいわけではありません」


「うん」


「一緒に気をつけたいです」


 一緒に。


 その言葉で、呼吸が少し楽になる。


 俺一人で救済者という称号に抗うのではない。


 ミオも、自分のラベルに抗っている。


 たぶんフロッグも。


 リナも。


 カイトも、別の形で。


 廊下の奥から、声がした。


「夜中に重い話してんな」


 カイトだった。


 鉄格子の向こうではなく、廊下に普通に立っている。


「出てる」


「明朝出発だから仮釈放だとよ。バルドさん、鍵の管理が雑だな」


「本当に仮釈放ですか」


「疑うな。だいたい合ってる」


 だいたい。


 かなり怪しい。


 カイトは壁にもたれ、俺を見る。


「称号が来たか」


「分かるんですか」


「顔で分かる。貰ったやつは嬉しそうになる。拒んだやつは胃が痛そうになる」


「経験者」


「何度もな」


 カイトは自分の首元を指で叩いた。


「俺にも昔、称号が付いた。逆境の英雄。孤高の剣。追放されし真価。どれも格好いいだろ」


「格好いいですね」


「だから最悪なんだよ」


 彼は笑わなかった。


「格好いい名前は、人を気持ちよく縛る」


 沈黙が落ちる。


 カイトはミオを見る。


「あんたも気をつけろ。保護対象から様付けに変わっても、首輪の素材が変わっただけかもしれない」


 ミオは少しだけ考えた。


「はい。でも、私は自分で気づきます」


 カイトの眉が動いた。


「強いな」


「怖いだけです」


「怖いまま言えるなら、十分だろ」


 それは、彼なりの褒め言葉らしかった。


 視界のログはまだ消えない。


称号候補:【救済者】

状態:内的同意保留、社会的付与進行中


 完全には止められない。


 だが、今はまだ飲み込まれていない。


 俺は沈黙鈴を握り直した。


「明日、王都へ行く」


 誰に言うでもなく呟いた。


「勇者になるためじゃない」


 カイトが鼻で笑う。


「そう言って勇者になったやつを、俺は何人も見た」


「でしょうね」


「でも、そう言わなくなったやつはもっと早く終わる」


 嫌な励ましだった。


 だが、励ましではあった。


 俺は頷いた。


 明日、王都へ向かう。


 称号は保留。


 登録も保留。


 でも軌道は進んでいる。


 なら、その途中で何をズラせるかを見るしかない。


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