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第二十四話 救済者申請

「勇者様だ」


 商人の言葉は、森の中に思ったより大きく響いた。


 助けられた人間の声だった。


 悪意はない。


 むしろ、感謝しかない。


 だから厄介だった。


「違います」


 俺はすぐに言った。


「俺は勇者じゃない」


 商人は何度か瞬きをした。


「ですが、あなたが助けてくださった」


「それと勇者は別です」


「謙遜なさらないでください」


 謙遜。


 ほら来た。


 否定が否定として処理されない。


 俺が口を開く前に、ミオが商人の腕を支えた。


「まだ起き上がらないでください。眠り草が残っています」


「あ、ああ。すまない」


「水は少しずつです。いきなり飲むと戻します」


 ミオの声は落ち着いていた。


 足首は痛いはずだ。


 顔色も良くない。


 それでも、彼女は商人たちを順番に診ていた。


 誰から起こすか。


 誰に水を飲ませるか。


 誰を横向きに寝かせるか。


 それを決めているのは、俺ではない。


 ミオだ。


 俺はその事実に少しだけ救われる。


 いや、救われるという言い方も、もう少し疑った方がいい。


 フロッグはリュカの肩に布を巻いていた。


 白鐘杭が抜けた傷は深い。


 だが命に関わるほどではないらしい。


「人族の薬を使うな」


 リュカが低く言う。


「使わないと血が止まりません」


「放っておけ」


「放っておくと、君は倒れます。倒れると運ぶのが面倒です」


「……理由が雑だ」


「雑な理由ほど納得しやすいものです」


 リュカは不満そうに黙った。


 その目はまだ俺を警戒している。


 当然だ。


 人族。


 勇者候補。


 さっきまで自分を倒す役として配置されていた男。


 信用しろという方がおかしい。


 森の外から足音が聞こえた。


 複数。


 商隊の護衛か、村の人間か。


 俺は身構える。


 だが現れたのは、白い外套を着た若い男だった。


 女神教会の印。


 胸には小さな白鐘の飾り。


 後ろには村人らしき男が二人、恐る恐るついてきている。


「ご無事ですか」


 若い男は、息を切らしながらも丁寧に頭を下げた。


「女神教会巡回書記、ノルトと申します。北東街道の異常通達を受け、確認に参りました」


 巡回書記。


 監察官よりは軽い肩書きだろう。


 だが、白鐘の飾りを見ただけで肩が強張る。


 ノルトは倒れた白鐘魔導兵を見て、目を見開いた。


「これは……白鐘魔導兵が停止している」


「知ってるんですか」


「旧式の警護機構です。女神教会のものですが、現在は使用許可が必要なはずで」


「その旧式が魔族の少年に杭を打って、商隊襲撃を演出してました」


 俺はリュカを指した。


 リュカは警戒して短剣を握り直す。


 村人たちが怯えて後ずさった。


「魔族だ」


「やっぱり魔族が」


「違います」


 ミオが言った。


 声は大きくない。


 でも、通った。


「商隊の人たちは眠り草で眠らされていました。あの人が斬った傷は、少なくともここにはありません」


 ノルトはミオを見る。


「あなたは」


「ミオです」


 ミオは少しだけ間を置いてから答えた。


 M-17ではない。


 保護対象でもない。


 ミオ。


 ノルトの表情に、一瞬だけ何かが走った。


 知っているのか。


 それとも、記録と照合したのか。


 彼はすぐに笑みを整えた。


「承知しました。では現場確認を行います」


 ノルトは腰の鞄から書類板を取り出した。


 白い紙。


 教会印。


 俺は嫌な予感を覚える。


「まず、商隊救出者のお名前を」


「書かなくていい」


「いえ、これは必要な手続きです。被害者保護、魔族襲撃記録、救済者申請のために」


「今、何て言いました」


「救済者申請です」


 ノルトは当然のように言った。


「魔族による街道襲撃から商隊を救出し、白鐘魔導兵を停止させた功績は、救済者称号の候補となります」


「いりません」


「称号は報酬です。拒否される方は珍しいですが」


「報酬じゃない」


 俺の声が少し低くなった。


「ラベルだ」


 ノルトは困ったように微笑む。


「お気持ちは分かります。ですが、公的な記録は被害者を守るためにも必要です」


「記録は教会が認めて初めて記録、ですか」


 ノルトの筆が止まった。


「セラ監察官とお会いに?」


「会いました」


「でしたら話が早い」


 まったく早くない。


 むしろ一番嫌な方向に早い。


 ノルトは別の紙を取り出す。


「セラ監察官より、未登録転生者レン様に関する通達が出ています。祝福鑑定未実施のまま魔族襲撃へ関与した場合、緊急保護登録および勇者候補照会へ接続する、と」


「用意がいいですね」


「事前に想定されていた危険ですので」


 想定。


 予定ではなく、想定。


 言葉だけは逃げ道を残している。


 視界にログが開く。


称号付与申請を検知。

候補:【救済者】


注記:

本人拒否は、謙遜として処理される可能性があります。


「やっぱりな」


 俺は小さく呟いた。


 助ければ、称号。


 否定すれば、謙遜。


 黙れば、承認。


 怒れば、責任感の強い勇者。


 逃げ道が全部、美談に繋がっている。


 リュカが俺を見る。


「お前、勇者じゃないって言った」


「言った」


「でも、あいつらは勇者にする」


「そうらしい」


「逃げればいい」


「逃げたら、商隊の証言も、白鐘杭も、全部魔族襲撃の証拠にされる」


 リュカは唇を噛んだ。


 彼も分かっている。


 ここで俺たちが逃げれば、物語は楽になる。


 魔族が襲った。


 勇者候補が追った。


 教会が記録した。


 それで終わる。


 ミオが、ノルトの書類をじっと見ていた。


「そこ、違います」


「え?」


 ノルトが顔を上げる。


「その下の教会文字。『魔族加害確認』ではなく、『魔族加害仮定』です」


 ノルトの笑みが少し硬くなった。


 ミオは続ける。


「仮定なら、確定記録にしないでください」


 静かな声だった。


 だが、ノルトの筆は確かに止まった。


 俺は少しだけ笑いそうになる。


 勇者様ではない。


 救済者でもない。


 ここにいるのは、教会文字を読める少女と、杭を抜ける賢者と、通りすがりを名乗りたい転生者だ。


 ノルトはしばらく黙り、それから書類の一部を書き直した。


「では、仮記録として提出します」


「救済者申請は」


「保留扱いに」


 完全には止まらない。


 それでも、少しだけ遅らせた。


救済者称号付与率:上昇

現在値:42%


注記:

教会記録への異議申し立てにより、即時付与は保留。


 四十二。


 低くない。


 だが、百ではない。


 リュカが立ち上がろうとして、よろめく。


「俺は行く」


「その肩で?」


「人族の町には入らない」


 当然だ。


 俺は無理に止めない。


「どこへ行く」


「森の奥。魔王軍じゃない。けど、人族よりは話が通じる場所がある」


 リュカは俺を見た。


「ノア様は、人族が言うような魔王じゃない」


 ノア。


 その名が出た瞬間、空気が少し変わる。


「知ってるのか」


「知らない。会ったことはない。でも、魔族の子供はみんな聞く。勇者を呼ぶな。勇者は、魔王を作る鐘を鳴らすって」


 意味は分からない。


 だが、忘れてはいけない言葉だと思った。


 リュカは地面に落ちていた白鐘杭を顎で示した。


「それ、持っていけ」


「証拠として?」


「違う。裏を見ろ」


 フロッグが布越しに白鐘杭を拾い、基部を覗き込む。


 そこには、小さく傷のような刻印があった。


 N。


 ただの傷にも見える。


 だが、わざわざ刻まれている。


「魔王軍の印か」


「違う」


 リュカは吐き捨てるように言った。


「ノア様の名前を、人族が勝手に汚す時の印だ」


 胸の奥が冷える。


 N。


 ノア。


 それとも、別の何か。


 俺は白鐘杭を布で包んだ。


 魔族斥候の証拠ではない。


 勇者を作るために、魔王の名前が使われている証拠かもしれない。


 リュカは森の奥へ消えた。


 追わない。


 少なくとも今は。


 背後で商人がまた俺を見た。


 救われた目で。


 白鐘の飾りを持つ書記が、保留にした書類を鞄へしまう。


 勝ったはずなのに、足元に檻の影が伸びていた。


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