第二十一話 北東街道へ
北東街道へ向かう道は、思ったより静かだった。
町の鐘は背後で鳴っている。
カァン。
いつもの白い音。
だが、街道へ続く旧水路を抜けるにつれて、その音は少しずつ遠くなっていった。
代わりに聞こえてきたのは、湿った土を踏む音と、ミオの浅い息だった。
「痛むか」
俺が聞くと、ミオは少しだけ眉を寄せた。
「痛いです」
正直だった。
「でも、歩けます」
「無理なら」
「無理なら言います」
先に言われた。
俺は口を閉じる。
抱えて運ぶのは簡単だ。
たぶん、その方が早い。
でも、早いことと正しいことは同じではない。
ミオはリナから受け取った湿布を足首に巻き、杖代わりの細い枝を持って歩いている。足取りは遅いが、自分の速度で進んでいた。
フロッグは少し後ろからついてくる。
「いやあ、青春ですね」
「この状況のどこが」
「痛い足、怪しい街道、追ってくる教会、向かう先は魔族斥候。だいたい青春は過酷なものです」
「だいぶ偏った青春観ですね」
「長生きなので」
便利な言葉だ。
旧水路の出口は、リーベルの北東にある雑木林へ繋がっていた。
朝の光が木々の隙間から差している。
北東街道はそこから少し進んだ先だ。王都へ向かう商隊や巡礼者が使う道で、普段なら朝から荷車の音がしているらしい。
だが今日は、妙に静かだった。
「人通りが少なすぎます」
ミオが言った。
「分かるのか」
「保護院に寄付を運ぶ商人さんたちは、だいたいこの時間に通っていました。車輪の音がもっと聞こえるはずです」
保護院。
その言葉を、ミオはもう少しだけ普通に言えるようになっていた。
忘れたわけではない。
ただ、怯えるだけの場所ではなくなっている。
それは良いことなのか、まだ分からない。
街道に出ると、すぐに異変は見つかった。
道の端に、木箱が転がっていた。
割れた瓶。散らばった布袋。踏み荒らされた土。
少し先には、横倒しになった荷車がある。
車輪は外れ、荷台には深い爪痕のようなものが残っていた。
「商隊か」
俺は周囲を見回す。
人の姿はない。
死体もない。
それが逆に嫌だった。
「【万能鑑定】」
対象:商隊荷車
状態:破損、積荷散乱
危険度:低
備考:
破損後、積荷が意図的に広げられています。
「意図的」
俺が呟くと、フロッグが荷車の周囲を見た。
「襲撃に見せたい、ということでしょうね」
「見せたい?」
「本当に急いで襲ったなら、もう少し雑になります。これは、雑に見えるよう丁寧に散らかしている」
嫌な言い方だが、分かる気がした。
俺は地面を見る。
土にはいくつもの足跡がある。
人の足跡。
荷を引いた跡。
それから、普通の人間より少し大きく、爪先が鋭い足跡。
「魔族の足跡か」
ミオが近づこうとして、少し足を止めた。
「待ってください」
「何か分かるのか」
「匂いが変です」
ミオは散らばった袋の一つを拾い、口元へ近づけた。
「薬草?」
「はい。眠り草です。保護院では、泣き止まない子に薄く焚くことがありました」
その言い方に、胸の奥が少し重くなる。
「危ない薬なのか」
「量によります。少しなら眠くなるだけです。でも、濃く焚けば、大人でも動けなくなります」
ミオは荷車の内側を指差す。
「ここに、焦げた跡があります。たぶん、袋を破って火にくべたんです」
俺は鑑定を向けた。
対象:荷台焦げ跡
残留成分:眠り草、油、樹脂
危険度:低
推定:
煙による広範囲鎮静。
「商隊は殺されたんじゃない」
「眠らされた可能性が高いです」
ミオの声は硬い。
だが、役に立っている。
彼女はそれを自分でも分かっているのか、怯えだけではない目で荷車を見ていた。
俺は血痕を探した。
あった。
荷車の後ろに、黒く乾いた血が少し。
多くはない。
「血はある。でも人数分じゃない」
「商隊の規模は?」
フロッグが荷車の車軸を指差す。
「この大きさなら、護衛を含めて七人から十人。ですが、ここに残った血は一人分にも届きません」
「つまり、商隊は生きてる可能性がある」
俺の中で【救済衝動】が静かに疼いた。
来た。
分かりやすい。
誰かが危ない。
助けに行け。
今すぐ。
だが、旧保護院で学んだばかりだ。
助けたい時ほど、まず見る。
「【構造解析】」
視界の奥で、街道の痕跡が線になって浮かぶ。
荷車。
足跡。
散らばった積荷。
魔族らしき足跡。
それらが、妙なほど綺麗に森の奥へ伸びていた。
痕跡解析:
魔族斥候足跡、視認性過多。
推定:
隠密行動ではなく、発見誘導の可能性。
「視認性過多」
フロッグが目を細める。
「見つかりやすい足跡、という意味ですね」
「斥候なのに?」
「斥候なのに」
ミオが足跡を見た。
「魔族が、わざと見つかるように歩いたんでしょうか」
「あるいは」
俺は森の奥を見る。
木々の間に、白い光が一瞬だけ揺れた気がした。
「誰かが、魔族を見つけてほしがっている」
その瞬間、遠くで小さな鐘の音がした。
カァン。
町の鐘ではない。
もっと近い。
もっと細い。
森の奥から聞こえた音だった。
視界にログが走る。
軌道修正イベント【魔族襲撃】、進行中。
注意:
対象の追跡は、勇者候補認定ルートへ接続する可能性があります。
「分かってる」
俺は小さく言った。
「でも、商隊は生きてるかもしれない」
ミオが頷いた。
「行きましょう」
「足は」
「痛いです」
ミオは枝を握り直した。
「でも、ここで私が読めるものがあります。薬草の匂いも、保護院で覚えたものです」
その言葉に、俺は息を吐いた。
連れていくのではない。
彼女が役割を持って、ここにいる。
「分かった」
俺は森の奥へ続く足跡を見た。
やけに見つけやすい魔族の痕跡。
眠らされた商隊。
近すぎる鐘の音。
これは罠だ。
だが、罠だと分かっているなら、壊し方を探せる。
「行こう。見つかるための斥候を見に行く」




