第十九話 救済依存
旧保護院の裏手へ抜けると、朝の光が眩しかった。
廃墟の湿った空気から外へ出たせいで、肺が痛いほど冷える。
ミオは肩で息をしていた。
足首は限界に近い。
それでも、彼女は自分の足で立っている。
「少し休む」
俺が言うと、ミオは頷いた。
近くの石壁に身を隠す。
フロッグが遅れて跳ねるようにやってきた。
「白鐘の干渉を抜けましたね。見事です」
「見事って感じじゃないです」
「だいたいの見事は、本人にはそう感じません」
俺は沈黙鈴を見た。
鳴らない鈴。
内側へ鳴る鈴。
まだ胸の奥が震えている。
さっき、もしミオが言わなければ。
持って逃げないで、と。
俺は彼女を抱えていた。
安全な場所へ運ぶつもりで。
そして、彼女の選択を奪っていた。
白鐘は俺を操ったのではない。
俺の中に最初からある衝動を、強く鳴らしただけだ。
それが一番怖い。
中心重力:【救済依存】
観測状態:自覚済み
干渉耐性:上昇
備考:
外部干渉は、既存の中心重力を増幅します。
「既存、か」
俺は苦く笑った。
全部が女神のせいなら、楽だった。
全部がスキルのせいなら、怒れば済んだ。
でも違う。
救いたいのは俺だ。
必要とされたいのも俺だ。
その気持ちが利用されている。
だから、厄介なのだ。
ミオが石壁にもたれたまま、こちらを見る。
「レンさん」
「ん」
「さっき、止まってくれてありがとうございます」
「止めたのはミオだ」
「でも、聞いてくれました」
それだけで、胸が少し痛んだ。
聞く。
たぶん俺は、それが苦手だった。
助ける方が簡単だ。
何かをしてあげる方が、ずっと分かりやすい。
相手の言葉を待つのは、怖い。
相手が自分を必要としないかもしれないから。
「俺は、ミオに必要とされたいんだと思う」
口にした瞬間、ひどく情けない気持ちになった。
ミオは目を見開く。
「たぶん、助けたいだけじゃない。助けた相手に、俺がいてよかったって思ってほしい」
言葉にすると、かなりみっともない。
でも言わないと、また綺麗な言葉に隠れる。
「だから、さっき抱えて逃げようとした。ミオがそうしてほしいか確認する前に」
ミオはしばらく黙っていた。
それから、静かに言う。
「私は、レンさんがいてよかったと思っています」
胸が揺れる。
「でも」
ミオは続けた。
「それを、私の全部にしないでください」
当然のことだ。
でも、その当然が刺さる。
「うん」
「私も、レンさんに助けられたことを、自分の全部にしたくありません」
「うん」
ミオは胸元の写しを押さえた。
「私はM-17かもしれません。ミアだったことも、ミオだったことも、他の名前だったこともあるかもしれません。でも、今ここで怖がって、考えて、逃げると決めたのは私です」
強い。
この子は、俺が思っていたよりずっと強い。
助けられる少女ではない。
助けられたあと、自分が何者かを問い直せる人だ。
フロッグが少し離れた場所で言った。
「お二人とも、いい感じに深刻なところ恐縮ですが」
「何ですか」
「追っ手が来ます」
余韻が短い。
現実はいつもこうだ。
俺は立ち上がり、構造解析を走らせた。
周辺経路:
ギルド方面:最短、教会兵配置あり
市場方面:人通り多、観測密度中
旧水路方面:遠回り、観測密度低
「旧水路」
「遠回りですね」
「でも観測密度が低い」
ミオが頷く。
「行けます」
「足は」
「痛いです」
「じゃあ」
「痛いまま行けます」
それを言われると、止める理由が減る。
俺は手を差し出した。
ミオは一瞬だけ見て、それから握った。
支えるため。
引っ張るためではない。
旧水路へ向かう途中、町の鐘が鳴った。
カァン。
俺は沈黙鈴を握る。
レン。
内側で、小さく音が返る。
白鐘の干渉が少し薄くなる。
沈黙鈴との同期率が上昇。
干渉耐性:微増
成長している。
派手ではない。
剣を振れば敵が吹き飛ぶわけでもない。
でも、少しずつ自分の中の重力に抗う余地が増えている。
それは、今の俺が持てる強さなのだと思う。
「レンさん」
ミオが言う。
「はい」
「今、少し変な顔をしました」
「自分の成長を噛みしめてました」
「こんな状況で?」
「こういう状況だからこそ」
ミオがほんの少し笑った。
その笑顔を見て、救いたいと思う。
でも同時に、隣を歩きたいとも思う。
その二つを、これから何度も間違えるのだろう。
それでも今は、違いを知っている。
旧水路を抜け、ギルド裏へ出た時には、昼近くになっていた。
リナが裏口で待っていた。
「遅いです。心臓に悪いです」
「ただいま」
「言っている場合じゃありません」
リナは俺たちを中へ引き入れた。
バルドの部屋へ向かう途中、彼女が小声で言う。
「セラ監察官から、正式な保護妨害記録が出ました」
「早いですね」
「それと、町の外で魔族の斥候が出たそうです」
足が止まった。
魔族。
このタイミングで。
背中に冷たいものが走る。
ログはまだ出ていない。
でも分かる。
世界が次の手を打ってきた。
次話、第2章完結。
世界は、次の「勇者候補ルート」を用意します。




