第十八話 白鐘監察官セラ
セラは、旧礼拝堂の中央に立っていた。
白い法衣。
首元の鐘飾り。
穏やかな表情。
廃墟の埃の中でさえ、彼女だけが書類の上にいるように清潔だった。
その周囲に、教会兵が四人。
剣を抜いてはいない。
それが余計に厄介だった。
彼らは暴力をしに来たのではない。
保護しに来たのだ。
本人たちは、たぶん本気でそう思っている。
「レン様。ミオ」
セラは俺たちを見つけると、少しだけ安堵したように微笑んだ。
「無事で何よりです」
「無事を願うなら、道を空けてください」
「それはできません」
「でしょうね」
俺はミオの位置を確認した。
彼女は俺の後ろではない。
横にいる。
胸元には、M-17の写しと白鐘子機の破片。
手は震えているが、隠れてはいない。
フロッグは少し離れた柱の影にいる。いつでも動ける位置だ。
セラは俺たちの手元を見た。
「記録を持ち出しましたね」
「写しです」
「正規の手続きを経ていない写しは、記録ではありません」
予想通りの返答。
俺は思わず笑った。
「便利ですね、その理屈」
「記録は、誰もが勝手に作れるものではありません。だからこそ、人を守れます」
「人を守るために、人の名前を番号にするんですか」
セラの表情は変わらない。
「保護対象番号は、個人を消すためではありません。混乱や改名、移送履歴がある対象を正確に追跡するためです」
「追跡」
「保護です」
言い直しが早い。
けれど、今たしかに追跡と言った。
ミオが一歩前に出た。
「私は、M-17なんですか」
セラはミオを見る。
その目は優しい。
優しいまま、残酷だった。
「あなたはミオです。ただし、教会管理上はM分類第十七保護対象です」
「私は、何度も別の名前で記録されています」
「保護対象の中には、環境変化や心的負荷により、名前の認識が揺らぐ者もいます」
「違います」
ミオの声が震えた。
だが、続けた。
「私が揺らいだんじゃありません。記録が私を揺らしています」
セラは少しだけ沈黙した。
「あなたは今、未登録転生者レン様の強い影響下にあります」
来た。
セラの矛先が俺へ向く。
「彼はあなたを救いました。その事実が、あなたの判断に大きな偏りを与えています。救われた相手に従いたくなるのは自然な反応です」
「それは」
否定しようとして、言葉が止まる。
完全には否定できない。
ミオが俺に安心を感じているのは事実だ。
俺がミオを助けたいと思うのも事実だ。
その二つは、確かに判断を歪める。
セラはそこを突いている。
正しさを刃物みたいに薄く研いでいる。
「ですから、いったん距離を置く必要があります」
セラはミオへ手を差し伸べる。
「保護院へ戻りましょう。安全な場所で、あなたの意思を改めて確認します」
ミオの足が、ほんの少し動いた。
怖いのだ。
当然だ。
セラの言葉は、全部が嘘ではない。
救われた相手に従いたくなる。
判断が偏る。
距離を置く必要がある。
どれも、ある面では正しい。
だからこそ怖い。
俺はミオを見た。
何か言いたい。
こっちに来い。
行くな。
俺が守る。
全部、言える。
全部、言ってはいけない気がした。
ミオが、自分で息を吸った。
「私は、戻りません」
声は小さい。
でも、礼拝堂に通った。
セラの眉がわずかに動く。
「理由を聞いても?」
「私の記録を、私がまだ読めていないからです」
「その記録は、あなたの心を傷つけます」
「もう傷ついています」
ミオは破れた写しを握る。
「でも、知らないまま戻される方が怖いです」
セラは静かにミオを見た。
そして、ゆっくりと言った。
「あなたは、自分で選べる状態ではありません」
ミオの顔が白くなる。
俺の中で何かが切れそうになった。
だが、その前にフロッグが口を開いた。
「その言葉は便利ですね」
セラがフロッグを見る。
「フロッグ賢者。あなたも関与していましたか」
「少しだけ。観察者ですので」
「観察だけなら問題ありません」
「では観察した結果を。あなたはミオさんの意思を確認していません。確認する前に、無効だと決めています」
セラは微笑む。
「危険状態にある意思は、保護下で確認するべきです」
「つまり、あなたが安全と認めた場所で、あなたが有効と認めた言葉だけが意思になる」
礼拝堂が静かになった。
セラの笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。
「詭弁です」
「ええ。そちらの得意分野かと」
フロッグ、意外と刺す。
教会兵の一人が前へ出ようとした。
セラが手で制す。
「これ以上の議論は不要です」
彼女は首元の白鐘飾りに触れた。
嫌な予感。
俺は沈黙鈴を握る。
グースの言葉を思い出す。
自分の名前を思いながら、一度だけ鳴らす。
レン。
今の俺の名前。
たとえ過去にレインだったとしても。
たとえ別の周回で違う名前だったとしても。
今ここで、ミオの隣に立っている俺の名前。
レン。
内側で、音が鳴った。
外には聞こえない。
でも、胸の奥で小さな鈴が震えた。
セラの白鐘が、澄んだ音を放つ。
カァン。
白鐘干渉を検知。
対象:【救済衝動】
行動優先度を強制上昇。
ミオがよろめいた。
白鐘の音は、彼女にも届いている。
俺の体が反射で動きかける。
抱えて逃げろ。
守れ。
考えるな。
沈黙鈴が反応。
自己名想起:レン
外部観測音への干渉耐性が上昇。
足が止まった。
完全には止まらない。
でも、一瞬だけ考える余地ができた。
その一瞬で、ミオが俺の袖を掴んだ。
「持って逃げないで」
息が止まる。
「私を持って逃げないで。私と逃げて」
白鐘がもう一度鳴る。
俺はミオの手を握った。
引っ張るのではない。
確認する。
「走れるか」
「走ります」
「フロッグさん」
「右の柱。古い懸垂幕があります」
構造解析。
右柱。
古い布。
上部の留め具。
構造解析:
懸垂幕固定具、劣化。
切断時、礼拝堂中央を遮蔽可能。
俺はナイフを投げた。
刃が留め具を切る。
古い白布が、ばさりと落ちた。
視界が遮られる。
教会兵が動揺する。
「逃がさないでください」
セラの声だけが冷静だった。
俺たちは走った。
俺がミオを連れて逃げるのではない。
ミオと一緒に、彼女が選んだ方向へ走る。
その違いは小さい。
でも、今の俺にはとても大きかった。
次話、レン自身の中心重力が見えてきます。




