第十七話 グースの商売
旧礼拝堂の奥にある書庫は、半分崩れていた。
天井の一部が落ち、棚は斜めに傾いている。床には割れた白い鐘の欠片が散らばっていた。
ミオの言った通りだった。
ここには、ただの保護院には不釣り合いなものがある。
子供を集める施設の奥に、鐘の部品。
しかも、見た目は祈りの鐘ではない。
小さな骨のような白い金属片。薄い円盤。細い針。耳ではなく、頭の奥へ音を差し込むための道具に見える。
「【万能鑑定】」
名称:白鐘子機 破片
状態:破損
用途:保護対象の反応観測、感情同期
危険度:中
「保護対象の反応観測」
俺が読み上げると、ミオの顔が強張った。
「保護院の鐘です」
「鳴ってたのか」
「はい。朝と昼と夜。食事の前。眠る前。泣いている子が多い時も」
泣いている子が多い時。
その時に鐘を鳴らす意味。
慰めではない。
反応観測。
誰がどの音で落ち着くか。
誰がどの言葉で従うか。
誰が、どんな救済に反応するか。
気分が悪くなる。
フロッグは破片を拾い上げ、目を細めた。
「古い型ですね。今の教会の鐘より雑ですが、そのぶん露骨です」
「分かるんですか」
「昔、少し見ました」
「昔が多いですね」
「長生きなので」
フロッグはそれ以上言わない。
言いたくない過去があるのだろう。
俺は破片を一つ布に包んだ。
証拠になるかは分からない。
教会が認めなければ記録ではない。
セラならそう言う。
それでも、何も持たずに帰るよりはいい。
その時、書庫の奥から軽い拍手が聞こえた。
「いやあ、順調に嫌なものを掘り当ててるね」
グースだった。
白い羽飾りの帽子。丸い眼鏡。背中の荷箱。
旧保護院の崩れた書庫にいるには、あまりに場違いな旅商人。
ミオが警戒して一歩下がる。
フロッグは驚かなかった。
「やはり来ましたか」
「やはりって言われると、来づらいなあ」
グースは笑いながら棚にもたれた。
「商売の匂いがしたからね」
「ここで何を売るんですか」
「便利な紙」
グースは荷箱から、薄い白紙を一枚取り出した。
表面に、白い鐘の透かしが入っている。
「教会印を偽装できる紙片。これに適当な文を書けば、半日くらいなら本物の通行許可に見える」
「犯罪ですね」
「この世界では、認められた紙だけが正義だからね。偽物の正義も、短時間ならそこそこ働く」
魅力的な提案だった。
危険でもある。
これがあれば、ミオの移動や記録持ち出しをごまかせるかもしれない。
俺は鑑定する。
名称:白鐘透かし紙
状態:正常
効果:低位教会印の一時偽装
危険度:中
備考:使用時、観測履歴に偽装痕跡が残る
「痕跡が残る」
「そりゃあね。完全犯罪は高い」
「代金は」
グースの笑みが深くなる。
「君のログを一つ」
ミオが息を呑む。
「ログ?」
「【周回記録】の断片。何でもいいよ。前回死亡原因でも、魔王ノアとの会話記録でも、ミオちゃんの過去名称でも」
空気が冷える。
俺はグースを見た。
「見えてるんですか」
「見えてはいない。匂いはする」
「何に使う」
「商売」
「誰に売る」
「欲しがる人は多いよ。女神様とか。魔王様とか。自分の人生が本当に自分のものか不安な人とか」
軽い口調。
だが、言っている内容は最悪だった。
俺のログは、俺だけのものではないのかもしれない。
いや、この世界では最初からそうだ。
観測され、記録され、物語化される。
グースはその流通に関わっている。
「断ります」
俺は言った。
グースは意外そうに眉を上げる。
「即答だ」
「便利そうな紙一枚と、自分たちの記録は釣り合わない」
「記録を隠しても、いずれ誰かが見るよ」
「だからって、俺から渡す理由にはならない」
グースはしばらく俺を見ていた。
それから、嬉しそうに笑った。
「いいね。ノアも昔、同じ顔をした」
魔王ノア。
その名前が出た瞬間、周囲の空気が少し変わる。
「ノアを知ってるんですか」
「少しだけ。彼も、自分のログに値札をつけられるのを嫌がった」
「それで魔王になった?」
「さて。そこから先は有料」
「ログは払いませんよ」
「分かってる」
グースは白鐘透かし紙をしまった。
「じゃあ、無料の助言を一つ」
彼は俺の手元の沈黙鈴を指差す。
「その鈴、鳴らないと思ってるでしょ」
「鳴らない鈴って言ったのはあんただ」
「正確には、外には鳴らない。内側へ鳴る」
グースは自分の胸を軽く叩く。
「教会の鐘が外から君を揺らすなら、沈黙鈴は内側から君の輪郭を鳴らす。握るだけじゃ弱い。自分の名前を思いながら、一度だけ鳴らすんだ」
「鳴らないのに」
「鳴るんだよ。君の中では」
分かったような、分からないような。
だが、沈黙鈴があの黒塗りを剥がしたのは事実だ。
「どうして教えるんですか」
「君がどこまで軌道を外れるか見たいから」
「観測者ですね」
「商人だよ」
グースは笑った。
「ただし、長く見すぎた商人は、たまに商品に情が移る」
それは冗談なのか、本音なのか。
聞く前に、外で足音がした。
回収隊が近い。
グースは帽子を直す。
「そろそろ行くよ。ああ、それと」
彼はミオを見る。
「M-17という番号は、君の全部じゃない。でも、無かったことにすると別の檻になる。気をつけて」
ミオは黙って頷いた。
次の瞬間、グースは棚の影に消えた。
残ったのは、白鐘子機の破片と、少しだけ重くなった沈黙鈴。
沈黙鈴の使用条件が一部判明。
条件:自己名の想起
効果:外部観測音への干渉耐性上昇
俺は鈴を握った。
自分の名前。
レン。
その名前すら、何度も変えられているのかもしれない。
それでも今は、この名前で立つしかない。
外から、セラの声が聞こえた。
「旧棟内の確認を終了します。保護対象を発見次第、丁重に確保してください」
丁重に。
確保。
本当に、この世界は言葉の使い方がうまい。
次話、白鐘監察官セラと正面から向き合います。




