第十六話 助けない勇気ではない
男の子が隠し戸へ消えた。
教会兵たちは、倒れた棚と開いた壁を交互に見ている。
「待て、どこへ行った!」
「小祈祷室に隠し戸なんて聞いてないぞ!」
そりゃそうだろう。
隠し戸は、管理する大人に知られたら隠し戸ではなくなる。
俺たちは床下を戻る。
排水路へ入った男の子を、別の出口で拾わなければならない。
構造解析を走らせる。
小祈祷室隠し戸 経路解析:
出口候補1:旧洗濯場
出口候補2:中庭井戸裏
出口候補3:崩落、通行不可
対象推定経路:旧洗濯場
「旧洗濯場」
ミオがすぐ反応した。
「こっちです」
狭い排水路を進む。
フロッグが最後尾で、教会兵の気配を聞いている。
「追っ手が二人。まだこちらの正確な位置は分かっていません」
「子供は」
「足音が一つ、先へ」
フロッグは耳がいい。
カエルの耳がいいのかは知らない。
旧洗濯場は、半分崩れた石造りの部屋だった。
壁際に古い洗い桶が並び、天井の一部から朝日が差し込んでいる。
男の子は、洗い桶の陰で震えていた。
ミオがゆっくり近づく。
「大丈夫」
男の子はびくりとする。
「保護院の子?」
ミオが袖の縫い印を指差す。
男の子は目を丸くした。
「お姉ちゃんも?」
「昔ね」
「戻らないと怒られる」
「戻りたい?」
ミオの問いに、男の子は黙った。
戻りたいわけではない。
でも戻らないと怒られる。
その二つの違いを、子供はまだうまく言葉にできないのだろう。
俺の中で【救済衝動】がまた疼いた。
抱えて逃げたい。
安全な場所へ連れて行きたい。
だが、それをしたら何が起きるかは分かる。
子供を連れ去った不審な転生者。
教会はそう記録する。
セラは微笑んで言うだろう。
保護対象を増やしましたね、と。
ミオが男の子へ紙を渡した。
「ギルドの薬師さんのところへ行ける?」
紙には、簡単な地図と教会文字の印が書かれている。
「この印を見せれば、薬草の手伝いって言えば通れる。走らなくていい。人が多い道を歩いて」
「お姉ちゃんは?」
「私は、私の記録を取りに来た」
男の子はよく分からない顔をした。
それでも、紙を握る。
俺はしゃがんで、目線を合わせた。
「君を抱えて逃げることもできる」
男の子の目が揺れる。
「でも、そうすると教会は君をもっと強く探す。だから、自分で歩ける道を作る。歩けるか?」
男の子は泣きそうな顔で頷いた。
「怖い」
「怖いまま行けるか」
男の子は、もう一度頷いた。
それで十分だった。
フロッグが旧洗濯場の反対側を指す。
「今なら東の通路が空いています」
男の子は紙を握りしめ、走らずに歩き出した。
途中で一度振り返る。
ミオが小さく手を振った。
男の子は頷き、通路の向こうへ消えた。
俺は息を吐いた。
全身が重い。
助けた。
でも抱えていない。
守った。
でも所有していない。
こんなに疲れるのか。
【救済衝動】への干渉に成功。
行動優先度の自動上昇を一部抑制しました。
条件:
対象の選択可能性を確保した状態で救済行動を完了。
「……報酬みたいに出るな」
「報酬では?」
フロッグが言う。
「君が君自身の重力を少し観測できた。その結果です」
「便利な言い方ですね」
「賢者なので」
ミオが俺の方を見る。
「今のは、助けなかったんですか」
「分からない」
正直に答える。
「俺の中の何かは、今も『抱えて逃げろ』って言ってる」
「はい」
「でも、あの子が自分で歩ける道を作った。たぶん、それも助けることなんだと思う」
ミオは少し考えた。
「助けない勇気、ではないんですね」
「違うと思う」
俺は床に残った小さな足跡を見る。
「助け方を、自分の気持ちよさだけで決めないこと」
口にしてから、胸の奥が少し痛んだ。
これはたぶん、これから何度も間違える。
一度できたからといって、治るものではない。
それでも、一度できた。
その事実は残る。
ミオが小さく笑った。
「じゃあ、私も練習します」
「何を」
「助けられ方を、自分で決める練習です」
言葉が刺さる。
いい意味で。
「それ、かなり大事だな」
「はい」
その時、旧洗濯場の外で白い光が走った。
鐘の音。
さっきより近い。
観測線が再接続されました。
回収隊、経路を再計算中。
フロッグがため息をつく。
「成長を味わう時間は短いようです」
「厄介ごとにだけは好かれてますね」
「何です、それ」
「否定材料がないのがつらいです」
俺はミオの写しを確認した。
M-17。
救済配置。
勇者候補R。
十分ではない。
だが、手がかりにはなる。
「ギルドへ戻る」
俺が言うと、ミオは首を振った。
「その前に、一つだけ」
「何」
「旧礼拝堂の奥に、小さな書庫があります。子供は入れませんでした。でも、大人たちはそこに台帳とは別のものを運んでいました」
「別のもの?」
「鐘の部品です」
フロッグの表情が変わった。
「それは、見た方がいいですね」
また危険な場所へ行く流れだ。
でも、今度は俺が一人で決めたのではない。
ミオが知っている。
フロッグが意味を理解している。
俺は構造を見られる。
三人で判断する。
俺は頷いた。
「行こう。書庫へ」
ログの端で、抑制された【救済衝動】の表示が静かに揺れていた。
次話、グースがまた商売をしに来ます。
代金は、かなり高めです。




