表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/18

第十五話 救済者は隠せない

 旧棟の小鐘が鳴った。


 一度だけ。


 それだけで、空気の流れが変わった。


 廃保護院だったはずの建物が、急に目を覚ましたように感じる。壁の中の白い糸が、俺の視界の端で震えた。


軌道修正イベント、進行。

名称:【保護対象回収】

回収隊が旧棟へ接近中。


「逃げ道は」


 俺は台帳室の壁を見回した。


 来た道を戻れば搬入口へ出られる。だが鐘が鳴った以上、正面から囲まれる可能性が高い。


 構造解析を走らせる。


周辺構造:

搬入口経路:危険度上昇

地下排水路:通行可能、狭小

旧礼拝堂裏口:封鎖、外部接近反応あり


「地下排水路」


「臭そうですね」


 フロッグが真顔で言う。


「今それ気にします?」


「気にしないと心が折れます」


 俺は床下の石蓋を探した。


 ミオが台帳の写しを胸にしまい、棚の札を読み始める。


「排水路は、たぶん薬草洗い場の下です。水桶の近く」


「助かる」


 水桶は部屋の隅にあった。


 その下に、丸い鉄の蓋。


 錆びているが、動かせそうだ。


 俺が手をかけた瞬間、上の階から声が聞こえた。


「旧棟内を確認してください。保護対象は負傷しています。乱暴な拘束は禁止です」


 セラの声ではない。


 男の声。教会の回収隊だろう。


 乱暴な拘束は禁止。


 言葉だけは優しい。


 だが、それは拘束すること自体を疑っていない優しさだった。


 続いて、別の声。


「子供が一人、旧礼拝堂側に迷い込んでいます!」


 俺の手が止まった。


 ミオがこちらを見る。


 フロッグも黙る。


 子供。


 迷い込んでいる。


 旧礼拝堂側。


 どう考えても、このタイミングで都合がよすぎる。


【救済衝動】が反応しました。

対象候補:子供

状態:恐怖、孤立

行動優先度が上昇します。


イベント一致率:79%

過去周回名称:【保護院の迷子】


「来た」


 自分でも分かるくらい、声が低くなった。


 助けに行きたい。


 当たり前だ。


 子供が怖がっているなら、助けたい。


 それが罠だとしても、見捨てていい理由にはならない。


 足が、旧礼拝堂の方へ向きかける。


 その袖を、ミオが掴んだ。


「今出たら、記録を持って帰れません」


 声は震えていた。


「分かってる」


「分かっていても、行こうとしています」


「……そうだな」


 認めるしかなかった。


 ミオの指は冷たい。


 それでも、彼女は離さない。


「レンさんが悪いと言っているんじゃありません」


「うん」


「でも、今ここでレンさんが飛び出したら、私はまた保護対象として回収されます。記録も取られます。あの子を助けても、私は戻されます」


 その通りだ。


 でも、心が納得しない。


 俺の中の何かが、子供の声へ引っ張られている。


 助けろ。


 今すぐ。


 考えるな。


 それが、お前の価値だ。


 ステータスが開く。


【救済衝動】干渉中。

行動優先度:上昇


警告。

対象救済を優先しない場合、精神負荷が増大します。


「勝手に増大してろ」


 俺は歯を食いしばった。


 助けないのではない。


 今すぐ飛び出さないだけだ。


 助け方を変える。


 それを、あの鐘の一件で学んだはずだ。


「フロッグさん」


「はい」


「旧礼拝堂側に行くには?」


「表からなら回収隊と鉢合わせます。裏なら排水路から小祈祷室へ出られるかもしれません」


「ミオ」


「小祈祷室なら、子供用の隠し戸があります」


 ミオはすぐ答えた。


「保護院の子が、説教から逃げる時に使っていました」


「重要な技術が多いな、保護院」


「嫌な技術ばかりです」


 少しだけ、彼女の口調に棘が戻った。


 いい傾向だ。


 俺は排水路の蓋を開ける。


 予想通り、臭い。


 フロッグが真顔で一歩下がった。


「私は心が折れました」


「賢者」


「賢者にも限界があります」


「行きますよ」


 俺たちは排水路へ降りた。


 狭い。


 水はほとんど流れていないが、泥と薬草の腐った匂いが混ざっている。ミオの足には厳しい道だ。


「ミオ、無理なら」


「無理です」


 即答。


「でも行きます」


「了解」


 俺はそれ以上言わなかった。


 後ろから支える。


 前へ引っ張らない。


 それだけを意識する。


 排水路の先で、子供の泣き声が聞こえた。


 近い。


 同時に、回収隊の足音も近い。


「保護対象確認。小祈祷室周辺を封鎖」


 声が響く。


 フロッグが小声で言った。


「彼らは子供を人質にしているつもりはないでしょう」


「分かってます」


「保護しているつもりです」


「それが一番面倒なんです」


 小祈祷室の床下に出る。


 上には、すすり泣く子供の声。


 俺は床板の隙間から覗いた。


 小さな男の子が、祭壇の横で膝を抱えている。白い法衣の若い教会兵が二人、扉の前に立っていた。


「危ないから動かないで。すぐ保護してあげる」


 教会兵は優しく言っている。


 だが男の子は怯えていた。


 優しい言葉が、出口を塞いでいるからだ。


 俺の手に力が入る。


 飛び出せば、二人を倒せるかもしれない。


 いや、倒せないかもしれない。


 どちらにせよ、騒ぎになる。


 ミオが俺の隣から床板を見上げた。


「あの子、保護院の子です」


「知ってるのか」


「たぶん。今の保護院の子。袖に縫い印があります」


 ミオはポケットから小さな紙片を取り出した。


 さっき台帳を写した紙の端だ。


「教会文字で、子供にだけ分かる印を書きます」


「何を書く」


「隠し戸。右。三回叩け」


 俺はミオを見る。


「できるか」


「やります」


 ミオは短く言った。


 その顔は青白い。


 でも、目は強い。


 俺は床板の隙間を、構造解析で見る。


小祈祷室 床下構造:

隠し戸あり

開放条件:壁右側の木板を三回押す

教会兵視線:扉側へ集中


 道はある。


 俺が助ける道ではない。


 あの子が自分で逃げる道だ。


 俺は紙片を細く丸め、床板の隙間から押し出した。


 紙片が男の子の足元へ転がる。


 男の子が気づいた。


 拾う。


 読む。


 泣き顔のまま、目が動いた。


 ミオが息を止めている。


 男の子は、ゆっくり右の壁へ近づいた。


 教会兵が声をかける。


「どうしたの。そっちは危ないよ」


 男の子は壁を三回押した。


 小さな戸が、音もなく開いた。


 教会兵が驚いて振り向く。


 その瞬間、俺は床下から木片を投げ、反対側の棚を倒した。


 派手な音。


 教会兵の視線がそちらへ向く。


 男の子は隠し戸へ飛び込んだ。


 ミオが小さく息を吐く。


 俺の視界にログが開いた。


救済行動を確認。

直接救助:未選択

逃走構造の提示:選択


軌道偏差:2.6%


 まだ終わりではない。


 でも、少しだけ変えられた。


 救済者は隠せない。


 なら、救済者の形そのものを変えるしかない。


次話、レンは「助ける」を一度だけ選び直します。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ