第十三話 構造解析
旧リーベル保護院は、町の北西にあった。
石壁に寄り添うように建つ、灰色の大きな建物。
窓は板で塞がれ、門には白い鐘の紋章が打ちつけられている。朝の薄い光の中で見ると、廃墟というより、眠っている施設に見えた。
眠っている。
だが死んではいない。
それが一番嫌だった。
「ここです」
ミオが小さく言う。
彼女は外套のフードを深くかぶっていた。足はまだ少し引きずっている。それでも、ここへ来ると決めてから一度も弱音を吐いていない。
同行者はもう一人。
「いやあ、朝の廃保護院というのは、実に健康に悪いですね」
フロッグが、俺の腰の高さくらいの石に腰かけていた。
「なんでいるんですか」
「バルドさんに頼まれました。君たちだけだと、たぶん無茶をするので」
「無茶しない保証は」
「私がいてもありません」
「役に立つんですか」
「話し相手くらいには」
頼もしいような、そうでもないような。
だがフロッグは、軽口とは裏腹に周囲を鋭く見ていた。
「正面はやめましょう。鐘の紋章が新しい」
俺も鑑定する。
対象:旧リーベル保護院 正門
状態:封鎖中
危険度:中
備考:開閉時、白鐘系統へ通達
「正門は罠ですね」
「罠というより、正しい入口です。正しい入口ほど、監視されているものです」
フロッグは北西を指した。
「搬入口へ」
リナが地図に書き足した場所だ。
北西倉庫裏。
そこには、草に埋もれた木戸があった。
見た目はただの古い扉だ。鍵穴も錆びている。
だが、近づいた瞬間、頭の奥で小さな鐘の残響がした。
「【万能鑑定】」
対象:旧棟搬入口
状態:閉鎖、観測線残存
危険度:中
構造解析:可能
表示が変わっている。
女神教会の鐘を調べた時に、一度だけ見えた派生表示。
構造解析。
意識を合わせると、扉そのものではなく、扉に繋がる細い線のようなものが見えた。
白い糸。
それが壁の中を通り、屋根裏へ伸び、遠くの鐘楼へ繋がっている。
【構造解析】
観測線:残存
起点:搬入口金具
終点:旧棟小鐘
解除候補:金具を鳴らさず、蝶番側から開放
「鍵穴じゃない」
「はい?」
ミオが小声で聞く。
「鍵を開けると鳴る。蝶番を外す」
俺はナイフを取り出した。
だが、錆びた蝶番は見た目より固い。
力任せにやれば音が出る。
その時、ミオが横から手を伸ばした。
「待ってください」
彼女は扉の上部を指差す。
「教会の古い倉庫は、外側の蝶番が見せかけのことがあります。子供が開けないように。本当の留め具は内側の棒で」
「見えるのか」
「少しだけ、隙間が」
ミオは地面に膝をつき、細い枝を扉の下へ差し込む。
何度か探ると、カチリと小さな音がした。
扉が、ほんの少しだけ緩む。
鐘は鳴らない。
俺は思わず息を吐いた。
「助かった」
「昔、保護院の子たちが台所から干し果物を取る時に」
ミオは言いかけて、少しだけ笑った。
「今のは忘れてください」
「覚えておく。重要な技術だ」
フロッグが満足そうに頷く。
「いいですね。救う側と救われる側ではなく、得意分野の違う二人になっている」
「茶化さないでください」
「茶化していません。かなり本質的です」
扉を開ける。
中は暗かった。
古い薬草と埃の匂いがする。床には割れた瓶、壊れた木箱、色褪せた布。壁には、子供の身長を測ったらしい傷がいくつも刻まれていた。
ミオが立ち止まる。
「ここ、覚えています」
「大丈夫か」
「大丈夫ではないです」
ミオは正直に言った。
「でも、進みます」
俺は頷いた。
勝手に手を引かない。
彼女が歩く速度に合わせる。
地下薬草庫は、廊下の奥にあった。
しかし階段の前には、白い鐘の紋章が刻まれた鉄格子が下りている。
「また鐘か」
鑑定する。
対象:旧棟地下格子
状態:施錠、観測線残存
危険度:中
構造解析:可能
備考:誤開放時、旧棟小鐘が鳴動
白い糸が見える。
今度は一本ではない。格子の四隅から、壁の中へ複数の線が走っている。
力で開ければ鳴る。
鍵を使っても鳴る。
たぶん、正規手続き以外では鳴る。
「面倒だな」
「正しい入口ほど監視されている、と言いました」
「じゃあ間違った入口を探す」
俺は壁を見た。
構造解析の表示が揺れる。
周辺構造を解析中。
旧薬草搬送口:閉塞
換気孔:小型
床下空洞:あり
「床下」
床板の一部が、他より少しだけ新しい。
俺が指差すと、ミオがその板の横にある教会文字を読んだ。
「薬草廃棄路。子供立ち入り禁止」
「子供立ち入り禁止ってことは」
「子供が入れたという意味ですね」
フロッグがにこやかに言った。
俺たちは床板を外した。
埃が舞い上がる。
狭い穴だ。俺はぎりぎり通れる。フロッグは余裕。ミオは足首に気をつければ通れそうだった。
「先に俺が」
「私が先です」
ミオが言った。
「教会文字があるかもしれません。暗い場所の薬草庫は、棚に札が残っていると思います」
言い返しかけて、やめた。
「分かった。俺が後ろから支える」
「はい」
ミオは穴へ入る。
怖いはずだ。
旧保護院。閉じた床下。子供立ち入り禁止の文字。
それでも、彼女は進んだ。
地下薬草庫は、思ったより広かった。
乾いた棚が並び、古い瓶と木箱が残っている。奥の壁には、台帳を保管するための小さな鉄扉があった。
その上に、細かな教会文字。
ミオが蝋燭を近づける。
「読めます」
「何て?」
ミオの喉が動いた。
「保護対象移送台帳。旧棟第十七欄」
部屋の空気が止まった気がした。
俺の視界にログが開く。
関連記録を検知。
対象:ミオ
照合候補:【M-17】
フロッグが、いつもの軽い声を少し落として言った。
「ここから先は、彼女の記録ですね」
ミオは鉄扉に手を伸ばした。
その手は震えている。
でも、止まらなかった。
次話、ミオの番号が開示されます。




