第十話 前回職業、勇者
ギルドマスターの部屋は、思っていたよりも狭かった。
壁一面に地図。棚には依頼記録。机の上には書類の山。
その奥に座っていたのは、片目に傷のある中年の男だった。筋肉質で、座っているだけでも圧がある。
「レンだな」
「はい」
「Fランク登録初日に、奴隷商の追跡者を撃退。東門の荷車事故で子供を救助。さらに女神教会から照会。派手に動いてるな」
「できれば地味に生きたいです」
「その割には騒ぎの中心にいる」
まったくだ。
ギルドマスターはミオを見る。
「そっちの嬢ちゃんが、教会保護院から逃げた子か」
ミオの肩が震えた。
俺は一歩前に出る。
「彼女を引き渡す話なら断ります」
「まだ何も言ってねえ」
「言いそうだったので」
ギルドマスターは鼻で笑った。
「安心しろ。俺は教会の犬じゃない。ただ、この町で教会と完全に無関係でいるのは難しい」
彼は机の上の書類を一枚投げてよこした。
女神教会からの照会文。
そこには、俺の名前とミオの特徴が書かれていた。
照会内容:
新規登録者レンについて、女神教会保護対象ミオとの接触を確認。
保護対象の安全確認および身柄保全に協力を求む。
身柄保全。
嫌な言葉だ。
「保護院から奴隷商に流されかけたと聞きました」
ギルドマスターの片目が細くなる。
「証拠は」
「追跡者が『教会印つきの商品』と言っていました」
「言葉だけか」
「今は」
「なら正面から教会を叩くには弱い」
分かっている。
だからこそ厄介だ。
ギルドマスターは椅子にもたれた。
「ミオの件は、こちらで一時保護扱いにできる。薬師の診断書を付ければ、足が治るまでの数日は引き渡しを延ばせる」
「その後は」
「証拠を探すか、町を出るか、教会と交渉するかだな」
選択肢はある。
あるように見える。
しかし、どれも細い。
その時、ギルドマスターが別の書類を取り出した。
「それと、お前自身の件だ。教会はお前を『女神の祝福を受けた可能性がある者』として確認したがっている」
「祝福を受けた人間は、みんな確認されるんですか」
「普通はない。転生者でも、初日に照会が来るのは珍しい」
転生者。
この世界では、やはり珍しくないのか。
「確認されるとどうなります」
「教会で祝福鑑定を受ける。適性が高ければ勇者候補として王都へ推薦」
「断れますか」
「形式上はな」
形式上。
つまり実質は難しい。
俺の視界にログが浮かぶ。
職業候補:【勇者】
付与条件達成率:38%
まだ38。
けれど、もう候補として表示されている。
ギルドマスターは俺をじっと見た。
「お前、何か隠してるな」
「誰にでも隠し事はあります」
「うまい返しじゃない。下手な返しだ」
否定できない。
「隠したいなら、教会の記録室には近づくな」
俺は目を上げた。
「記録室?」
「祝福鑑定の前に、過去の勇者譚を読ませる慣習がある。女神に選ばれた者が、どんな道を歩むべきかを学ばせるためだ」
どんな道を歩むべきか。
また道だ。
また、誰かが用意した軌道だ。
だが同時に、記録室という言葉に【周回記録】が反応している。
関連地点を検知。
過去周回記録との照合率:高
行くべきではない。
行けば観測される。
だが、行かなければ何も分からない。
◇
その日の夕方、俺たちは女神教会へ向かった。
もちろん、正面から祝福鑑定を受けに行くわけではない。
フロッグの紹介で、教会の写本係をしている老人に会えることになった。老人はギルドマスターに昔借りがあるらしく、短時間なら記録室の外縁だけ見せてくれるという。
「いいんですか」
ミオが不安そうに言う。
「よくない」
「じゃあ」
「でも、知らないまま戻される方が怖い」
ミオは何か言いたそうだったが、黙って頷いた。
教会の裏口で、写本係の老人と合流する。
老人は俺たちを見るなり、ため息をついた。
「若いのは、どうして危ない書物ほど読みたがるのかね」
「読まないと危ない理由が分からないので」
「読んだせいで危なくなることもある」
正論だった。
それでも老人は、俺たちを奥へ通してくれた。
記録室は地下にあった。
石造りの長い階段を降りると、空気が冷たくなる。壁には白い燭台。炎は揺れていない。
棚には分厚い本が無数に並んでいた。
勇者譚。
聖女記。
魔王討伐録。
表紙には美しい金文字で題名が刻まれている。
だが【万能鑑定】で見ると、別の表示が重なった。
名称:第143周回記録の物語化写本
公開題名:聖癒の勇者レイン伝
原記録名:閲覧不可
背筋が冷えた。
第143周回。
物語化写本。
聖癒の勇者レイン。
俺はその本に手を伸ばした。
老人が眉をひそめる。
「それは古い勇者譚だ。初めて読むなら、もっと分かりやすいものが」
「これを」
俺の声は、自分でも分かるくらい固かった。
本を開く。
そこには、聖癒の手を持つ勇者レインの旅が記されていた。
始まりの町リーベル。
教会保護院から逃げた少女ミアを救う。
東門の事故で子供を助け、救済者の称号を得る。
冒険者ギルドで勇者候補となる。
仲間と共に魔王ノアを討伐する旅へ出る。
名前が少しずつ違う。
レンではなくレイン。
ミオではなくミア。
だが、出来事はあまりに似ていた。
似ているどころではない。
これは俺たちだ。
過去の俺たちの物語だ。
ミオも横から本を覗き込み、顔を失ったように青ざめる。
「ミア……?」
彼女の唇が震えた。
「私、これ」
その先は言葉にならなかった。
俺は本を閉じかけた。
見せるべきではない。
そう思った。
まただ。
俺は彼女を守るという顔で、彼女が知る権利まで取り上げようとしている。
ミオの手が、震えながら本の端を押さえた。
「閉じないでください」
「ミオ」
「怖いです。でも、私の名前があるなら、私も知りたい」
その声は細かった。
けれど、確かに彼女自身の選択だった。
俺の視界が乱れる。
【周回記録】が、堰を切ったように開いた。
周回記録、一部復元。
前回職業:【勇者】
前回選択スキル:【聖癒の手】
前回同行者:【ミオ】
前回討伐対象:【魔王ノア】
前回死亡原因:閲覧不可
まだだ。
肝心なところが見えない。
俺は本のページをめくった。
終盤。
魔王城。
勇者レインは魔王ノアと対峙する。
だが、その先の数ページが不自然に白紙だった。
いや、白紙ではない。
文字がある。
ただ見えないように塗り潰されている。
俺は塗り潰しに意識を集中させた。
頭痛が走る。
閲覧権限が不足しています。
「知るか」
俺は沈黙鈴を握った。
昨夜グースから渡された鳴らない鈴。
頭の奥の鐘の音が少しだけ遠ざかる。
黒塗りの文字が、一瞬だけ剥がれた。
前回死亡原因:【女神エルシアによる記憶初期化】
世界が沈黙した。
ミオが小さく息を呑む音だけが聞こえた。
女神。
エルシア。
俺を転生させた女神。
第二の人生を差し上げますと微笑んだ女神。
その名が、俺の前回死亡原因に表示されている。
次の瞬間、記録室の鐘が鳴った。
カァン。
白い部屋と同じ音。
老人が慌てて振り向く。
「まずい。誰かが閲覧を検知した」
棚の奥にある女神像の目が、白く光った。
警告。
管理層に検知されました。
俺は本を閉じた。
手が震えている。
怖い。
怖いが、それ以上に腹が立っていた。
女神は俺を転生させたのではない。
記憶を消して、また同じ場所へ戻した。
何度も。
たぶん、何度も。
俺は光る女神像を睨んだ。
「女神様」
声は低く掠れていた。
「あんた、俺を転生させたんじゃない。戻したんだな」
女神像は何も答えない。
ただ、白い目でこちらを見ていた。
観測するように。
第1章完結です。
第2章では、ミオの一時保護期限と女神教会からの正式照会が動き出します。




