奇談散歩【78】和霊騒動②『君臣船浪宇和島』
『君臣船浪宇和島 (くんしんぶね なみのうわじま)』
幕末明治期に作られた宇和島の和霊騒動を題材とした歌舞伎・浄瑠璃の演目。
初演は明治6年( 1873 )10月、大阪・筑後芝居。作者は河竹能進( 1825~1886 )
御家騒動は歌舞伎・浄瑠璃などの好材料ですが、この『和霊騒動』が舞台にかかったのは明治と意外に遅く、初演後は明治~昭和にかけて複数回上演され、2013年には、当代猿之助さんが『伊予の宇和島伊達歌舞伎』(宇和島400年祭)で公演。和霊神社に舞を奉納しています。
この物語の元となった『和霊騒動』で亡くなった山家清兵衛は、疲弊した藩の財政を立て直し、産業を興すなど善政をおこない、藩主を補佐して忠誠を尽くした人で、領民からも敬慕されていたといいます。
【 君臣船浪宇和島、あらすじ 】
宇和島藩主「伊達遠江守」が大阪在番の留守中、家老の「大橋右膳」が殿の愛妾「お辰の方」と密通し、お家横領を企て、一味の「和気三右衛門」に命じ、用金護送の役目で出発した忠臣「山辺清兵衛」を、三津ヶ浜の宿屋で殺害させて用金を奪う。清兵衛の亡霊は遠江守の前に現れて悪人の謀反を告げて、毒殺されそうになっている殿を助けた。謀反のたくらみが露呈し、お辰の方は自害。清兵衛の息子「清之助」は父の仇討ちを果たす。
前回御紹介した『和霊騒動』、山家清兵衛の最期は ≪ 刺客数名に館を襲撃されて、寝所の蚊帳を切り落とされ、そのなかで身動き出来ず刺し殺された ≫ と伝わり、宇和島では、清兵衛を偲んで、その命日には蚊帳を吊らないという ※風習がありました。蚊帳を吊ることも少なくなってきた令和では、この風習も廃れていくのかもしれません。
宇和島の山家家は一時断絶しましたが、仙台五代藩主吉村に請い、仙台藩の山家正蔵頼次の三男平三郎を迎えて清兵衛の苗跡を継がせました。
その後、山家清兵衛は和霊神社に祀られ、いまも宇和島の地を守護しています。
※ ≪ 昭和61年 ( 1986年 ) 頃の『愛媛新聞』に、当時の山家家・桜田家の当主の「そのような伝説は聞いたことがない」旨の発言が掲載 ≫
そろそろと蒸し暑くなり蚊帳を吊る時期になると、「清兵衛さまは無念だっただろうな」と、ふと思い、誰言うとなくこの日は蚊帳を吊らないでおこうと示し合わせが出来たのかもしれません。
都市伝説もジンクスもなんとなく自然発生するんですよね……




