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奇談散歩【77】和霊騒動①

和霊騒動われいそうどうは、元和6年6月29日(1620年7月28日)に発生した宇和島藩のお家騒動のことである。山家清兵衛事件ともいう。Wikipediaより≫


 宇和島藩は、慶長十九年( 1614年 )に伊達政宗の長男である伊達秀宗が十万石を与えられて伊予に築いた藩で、父の伊達政宗は秀宗に「五十七騎」と呼ばれる家臣を付け、その中の山家清兵衛公頼は筆頭家老として藩政を執っていた。

 当時の宇和島藩は豊臣時代から領主の入れ替わりが頻繁に行われ、領内は疲弊して経済的に困窮していた。そのため秀宗は六万両を父の政宗から借り入れることとなり、元和四年( 1618年 )には、その返済方法で藩内に意見の対立が生じた。その後、清兵衛の献策によって、借入金のうち三万石を政宗の隠居料として分割返済することで決着がついた。

 この一件や、翌五年( 1619年 )の大坂城石垣修築工事を請け負ったことが発端となり、藩の運営を巡って、藩内に意見の対立が起こり、特に山家清兵衛と、その政敵 桜田玄蕃元親は度々衝突を起こしていた。

 そして、この桜田玄蕃により、大坂城石垣修復工事を担当した清兵衛が不正を行ったと虚偽の報告がされる。日頃から、父の政宗から信任が厚い山家清兵衛を疎んじて、桜田玄蕃を重用していた藩主秀宗はこの告言を信じ、清兵衛には蟄居の沙汰が下った。


 元和六年六月二十九日、雨の深夜に山家邸が襲撃され、清兵衛とまだ幼い四男を含むその家族が無残に殺害された。主犯は桜田玄蕃一派といわれたが、玄蕃本人は襲撃当日、大坂に赴任しており、その背後には ※秀宗の命があったといわれる。

 また、清兵衛暗殺事件を知った政宗は激怒して秀宗を勘当し、さらに幕府に宇和島藩の改易を願い出た。しかし、後見役の桑折左衛門、秀宗の正室 亀姫の兄である井伊直孝の幕府への嘆願と老中 土井利勝、柳生宗矩などによる取り計らいもあり、宇和島藩は改易を免れ、後に政宗も秀宗の勘当を解いた。


 しかし ―――

 事件後、寛永九年( 1632年 )、秀宗正室・桂林院 ( 亀 姫 ) の三回忌法要の際、強風によって寺院の梁が落下し、清兵衛の政敵であった桜田玄蕃が下敷きとなって圧死した。以降、清兵衛の政敵だった者や暗殺に与した者が海難事故や落雷により次々と変死し、清兵衛の祟りの噂が人々の口の端に上った。

 この祟りを鎮めるために、藩主 秀宗は「児玉(みこたま)明神」という祠を建立したが、その甲斐なく秀宗も病の床につき、長男、二男、六男は早世し、さらに藩内に地震・台風と凶事が続いた。

 その後、二代藩主 宗利により「山頼和霊神社」として社殿が建立され、その後、代々の藩主の崇敬を得て、五代藩主 村候が大規模な社殿を造営、広く宇和島庶民の崇敬を集めることとなった。この村候が住民総参加の祭りを奨励したので、令和の今も、毎年7月23日・24日に開催される「和霊大祭」には多くの人々が訪れて賑わいをみせている。


※ ≪ この事件の真相は史料が極めて少なく明らかではない。しかし、仙台の四代藩主伊達綱村の宇和島藩二代藩主宗利宛書状に「兼て及承候ハ、秀宗公山家清兵衛と申者御成敗」とあり、清兵衛殺害が秀宗の命によったことは明らかである。≫

≪ それ以前にも、反清兵衛派は清兵衛暗殺を企てて、秀宗生母・龍泉院の七回忌の法要にて、当時法要の責任者だった清兵衛を茶坊主を使って毒殺しようとしたが、これは未遂に終わっている。≫「和霊騒動」Wikipediaより



和霊神社(われいじんじゃ)

 所在地:愛媛県宇和島市和霊町1451

 電話番号:0895-22-0197

 最寄駅:JR四国予讃線宇和島駅下車後、徒歩約7分

 基本無休、無料の駐車場有・普通車15台/観光バス4台

 宇和島市街地の北端、鎌江城跡に鎮座する山家清兵衛を祀った神社。

 藩政草創に尽力しながら、凶刃に倒れた功臣、山家清兵衛公頼を慕う領民たちが、城北森安の八面荒神の境内に小祠を設けて公頼一族の霊を祀ったとも言われる。地域の崇敬も厚く、7月23・24日の和霊大祭は有名。毎年、1月2日・3日には刀剣武術の居合いの奉納が行われる。


丸之内和霊神社まるのうちわれいじんじゃ)

 所在地:愛媛県宇和島市丸之内1-4-3 市指定記念物( 史 跡 )

 最寄駅:JR四国予讃線宇和島駅下車後、徒歩約13分

 丸之内和霊神社の社地は、宇和島藩初代藩主伊達秀宗の家老職総奉行、山家清兵衛公頼の邸宅跡で、現在は宇和島城の建つ城山の南東麓に鎮座する。

 和霊騒動の後に邸宅は取り払われ、藩の倉庫敷地となっていたが、明治二年( 1869年 )年版籍奉還により国有地となった。その頃に小祠を建て、和霊神社( 丸之内 )と称した。

 本殿裏の石造りの井戸は、山家清兵衛の四男美濃が事件時に投げ入れられて亡くなった場所と言われている。井戸の上には祠が祭ってあり、子供の守護神として多くの参詣者が訪れ、現在も御供えが絶えない。


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