奇談散歩【68】池袋四面塔稲荷大明神
≪享保の頃 ( 徳川幕府八代将軍吉宗の頃 ) 高田雑司ヶ谷と板橋を結ぶ街道と礫川と東長崎を結ぶ街道の四ツ辻付近 ( 現在の西部線池袋駅東口 ) は、夕方になると追いはぎや辻斬りが出没し、夜はその難を逃れる為通行する人が途絶えました。
享保六年の夏、一晩で十七名の辻斬残骸があり、この不祥事を憂いて、池袋村民有志六十四人が雑司ヶ谷鬼子母神威光山法明寺第二十二世日相上人に供養をお願いし、享保六年九月、法華経のお題目を刻した石塔を建立して無縁仏の霊冥福を供養しました。
正面には、お題目、右側面には、北の方板ばしみち、左側面には、南方高田雑司ヶ谷道が記され、道標としても使われました。
霊験あらたかな、この塔は四面塔尊と称され、以来、法華経の功徳により災難は解消されました。【 四面塔尊の由来 池袋四面塔尊奉賛会より 】≫
「池袋四面塔稲荷大明神」は「四面塔尊」と「稲荷大明神」が祀られている神社で、池袋駅前公園の入口から左に見える御社が、この「池袋四面塔稲荷大明神」です。稲荷大明神のご祭神は、社名から拝察するに、五穀豊穣の神様である宇迦之御魂命でしょうか?
当時、池袋村であったこの周辺は鬱蒼とした森が広がりうら寂しく、板橋宿に通じる道を往来する旅行人や宿場で遊ぶために懐に金を入れた人たちを狙って、夜間に追いはぎや辻斬りが頻繁に出没し、通行も途絶がちになり、さらに人気の無いことから事件が …… と悪循環が続いていました。
享保六年には、一晩で十七名が斬殺されるという辻斬りがあり、それを憂いた池袋村の有志が雑司が谷法明寺の日祖上人に願い出て、この石塔を建立したのが供養の始まりと伝わっています。石塔は道標としても使われ、元々は鬼子母神参道から板橋宿へと向かう「板橋みち」と呼ばれる道の脇に建っていたのですが、昭和31年に現在の地に移動しています。
池袋怪談といえば「巣鴨プリズン跡地」が有名ですが、この「池袋四面塔稲荷大明神」も、池袋では有名な心霊スポットで、事件が起こる度に その祟りが囁かれています。
≪ 四面塔に関する逸話を調べてみると、1959年7月の「週刊東京」に「四面塔にたたられた怪異」という記事を見つけた。
〈 中 略 〉
丸物百貨店のなかった頃、池袋駅の構内の邪魔とばかりに四面塔を移動させたところ、怒りに触れて当時の駅長が2、3日でポックリ死んでしまったとある。また終戦後、西武池袋線であまりに事故が多いことから、易者に見てもらったら「四面塔を粗末にしているからだ」と言われたが、当時は駐留軍の兵隊たちが物珍しさに小便をひっかけていたりしていたのだ。その後、西武池袋駅は駅員たちが始発電車の出たあとで、四面塔を掃き清めるようになった。
この塔を移転するときは、人夫8人が下敷きになって亡くなった。これ以上事故がないようにと、祠を立てた──どこまで本当なのかわからないが、そんな怪異のエピソードが書かれていた。≫
【 池袋で「人が巻き込まれる事件」が多発する怪奇 花房 観音 】
東洋経済オンライン記事 2022/06/03 付
上記の記事によると、四面塔に関する噂は、
昭和の頃、パルコの前身である丸物百貨店で、屋上遊具のヘリコプターの落下事故があり、その僅か五日後に同百貨店の7階から6階に降りる階段で、女性が何者かに頭を殴られるという通り魔事件が発生して、1959年7月の「週刊東京」に「四面塔にたたられた怪異」という記事にまとめられています。
その後も1999年9月4日の「池袋通り魔殺人事件」など、大きな事件の後には「四面塔の祟り」が囁かれているといいます。
重大な事件の後にはオカルトめいた噂が人々の口の端にのぼるもので ……
池袋で事件が発生する度に「四面塔の祟り」の噂が繰り返され、心霊スポットとして有名になって地域に定着した様子が伺えますね。
哀しいことですが、繁華な場所に事件は付き物なので、むしろ「四面塔稲荷大明神」さまが数々の惨劇から守ってくださっている、惨劇に遭遇した犠牲者の方たちを鎮魂して下さっている、と考えた方が良いような気がします。
ええ、もふもふ狐っ娘の神使さま達が池袋の平和をですね ……




