第54話 黒ウサギとリス一家
眼下に広がる緑の大地が、金色に染まっていく。
空を移動しているキースたちは、暗くなる前に森へ降り立つことにした。
「次の町まで、たどり着けなかったなあ」
キースは、んーっ、と伸びをしてからテントを設営し始めた。
ミハイル、宗徳、アーデルハイトも各自自分のテントを所持している。それぞれの、テントが並ぶ。
アーデルハイトが、拾った小石を皆のテントの周囲に並べ始めた。
「オオカミや、危険な動物が近づかないよう、肉食動物除けの一時的な結界を張るわね」
特殊な結界を張るのだという。
「へえー。肉食動物向けの一時的な結界、そんなものもあるんだ」
キースが感心しながら、アーデルハイトのてきぱきとした動作を見つめる。
「実は、前も野宿のとき、ちゃんとこれをやってたのよ。キースには説明しなかったけど」
「全然気付かなかった」
「ただ、この術にはちょっぴり欠点があるんだけど」
「欠点……?」
「ええ。草食動物が集まりやすくなるの」
そう言って、アーデルハイトは笑った。
「なるほどー。ここは安全だって草食動物もわかるのかな?」
「そうみたいね」
石を置き終わると、アーデルハイトは両手を挙げ、呪文を唱えた。
「お肉食べたいやつー、ここに入って来ちゃだめー!」
えっ!? それが呪文?
キース、人の姿に変身中のカイ、妖精のユリエ、ミハイル、宗徳は目を丸くした。
「魔法使いの呪文は、本当に幅広いですね」
退魔士のミハイルも驚いていた。
「結構、生活に根差した魔法が多いのよ」
アーデルハイトは、いたずらっぽく言って肩をすくめる。
「それにしても、すげえ呪文の言葉だなあ……。肉食動物がだめって、お肉食べたい人間は、この結界内に入って来れんの?」
キースは素朴な疑問をぶつける。
「肉食獣向けだけど、人間でも、ものすごーいお肉好きな人は、入りにくいかもね」
「へーえ。面白いねえ! ちなみに、この結界が張ってあるとき、結界内の人はお肉食べられなくなるとかある?」
「別に、そんなことはないと思うわ」
「じゃあ、結界内に入って来た草食動物を食ってもいいの?」
「いいけど、それはかわいそうだから、ルール違反よ。大丈夫だけど、そういうことは普通やらないわ」
かわいそうだから自粛するのか、不謹慎かもだけどちょっと面白いな、とキースは思う。
「だよねえ。せっかく安全なところだって思って来てくれたのに、それを食べちゃあだめだよねえ」
そんな話をしていたら、いつの間にか、ぴょこん、と跳ねる小動物の姿が目に入る。黒いウサギだった。早速、ここが安全と察知した草食動物であるウサギが入ってきたのだ。
「ウサギーッ! かわいいーっ!」
妖精のユリエが瞳を輝かし、黒ウサギのツヤツヤした毛を撫でてあげる。
「黒ウサギ……!」
なぜか、カイがびくっとした。「黒ウサギ」というワードが、すっかりトラウマになっている。
「カイーッ! 見てみろよ! 黒ウサギだぜ! かわいーよなあ! まあ、あの祭りのときのお前も……」
キースが余計な一言を口走る。すべて言い終える前に、カイの飛び蹴りがさく裂していた。
「ああっ! 見て! リスよ!」
アーデルハイトが指差す。今度はリスが入ってきた。ちょこまか動く小さな姿が愛らしい。アーデルハイトもユリエも、顔を見合わせ笑顔になる。小さなリスは、ちょこまかと動き愛嬌を振りまく。
「かわいいな」
思わず、宗徳もリスに手を伸ばす。なんとリスのほうから、宗徳に近寄って来た。
「どんぐり、食うか?」
宗徳が、リスに尋ねた。ぷるん、リスの耳が動く。
「食う」
キースがリスの声の吹き替えをした。宗徳は笑い、近くに落ちていたどんぐりをリスに手渡してあげた。
「ありがとう。お前は優しい男だ」
リスの声担当になったキースは、リスに代わって返事をした。リスは、もらったどんぐりを、あっという間に頬袋に入れた。
「そうだ。貯蓄は大事だぞ」
リスに貯蓄の大切さを改めて説くキース。
後ろから、別のリスが来た。
「お前にも、どんぐりをあげよう」
リスに微笑みかけ、どんぐりを拾う宗徳。新手のリスも、宗徳の手からどんぐりをもらう。
「ありがとう。お兄ちゃん、優しいねえ!」
キースが後から来たリスの声も担当することにした。裏声で言う。このリスは、キースの中で女の子設定らしい。
さらにもう一匹、リスが来た。
「はい。お前にもどんぐり」
宗徳は三番目にやって来たリスにも、ちゃんとどんぐりをあげた。
「ありがとう。優しい若人よ」
またアフレコ担当キース。今度は老人設定。
「……なにやってんのかなあ。キースと宗徳は」
アーデルハイトは、微笑ましい様子に思わず笑みをこぼす。
「本当にありがとう。お礼にあなたがたを、私たちのおうちに招待します」
ん……!?
キースの声ではなかった。
「今、誰がしゃべったんですか?」
ミハイルが尋ねる。この中の、誰の声でもなかった。
「おもてなししますよ」
また違う声。
「こっちへどうぞ」
三匹のリスが並んでいた。
「ま、まさか……!?」
一同、顔を見合わせた。
「あなたたちがしゃべったの?」
妖精のユリエが、リスに尋ねる。
「そうです!」
リスたちは揃ってうなずいた。
「ええーっ! リスが、しゃべったーっ!」
皆、仰天した。まさか、リスが人の言葉を話すとは……、と。
「私たちは、家族なんです。さあ、こっちです。私たちの家に、どうぞいらしてください」
真ん中にいるリスがそう言い、
「安全な場所で素敵な贈り物をもらえた、そのお礼がしたいのです」
その右隣のリスがそう言葉を添えた。
「みんな、遊びに来てー!」
三番目、一番小さなリスが、大きな黒い目をきらきらさせた。
リスたちは、どんぐりのお礼にもてなしたいらしい。飛び跳ね、時々振り返りながら案内しようとする。
「せっかくだから、行ってみる……?」
キースが皆に尋ねる。
「うん!」
黒ウサギが、代表して返事をした。
「黒ウサギ! お前もしゃべれるんかーい!」
黒ウサギも、人語を解し、語る者だった。
「それに、黒ウサギ。お前もリス宅へ行く気か!」
黒ウサギも、ちゃっかり混ざってキースたちと同行しようとしていた。なにもしてないのに、もてなされる気満々だ。
一気に行く方向に傾いたが、ミハイルは、
「オレグたちがいるから、僕はここで留守番します」
ドラゴンのオレグやゲオルク、ペガサスのルーク、翼鹿の吉助の傍にいることにしたようだ。キース、アーデルハイト、カイ、宗徳、ユリエ、黒ウサギが、ぞろぞろと三匹のリスに付いていく。
リスに導かれて歩く集団とウサギ、異様な光景である。
ミハイルは、自分の荷物から本を取り出した。
あの、きゅーちゃん著の専門書ではない。旅に出る際、これだけは持っていこうと決めた、古い退魔の本だ。
自分の礎となっている、幾度となく読み返してきた大切な本。しかし読むたびに、新たな発見があるとミハイルは思う。ぼろぼろのページをめくる。
一人になってどのくらい時が過ぎただろうか。突然、ミハイルの背に悪寒が走る。
これは……!
かすかに耳鳴りもする。体が警報を鳴らしているようだった。
異変を察知したオレグ、ゲオルク、ルーク、吉助が、ミハイルを守るように集まった。
魔族……!
木々の向こう、馬に乗った老人の姿が見える。おそらく魔界から、突然地上世界に現れたのだ。魔族、といっても、その魔族の姿は人間の老人と見た目は変わりなかった。しかし馬のほうは、骸骨の馬だった。
「闇の者よ――」
ミハイルが大きな魔法の杖を手にし、退魔の呪文を唱えようとした、そのときだった。
「地上世界の人間よ。私に戦う意思などない。無用なことはやめよ」
老人の、朗々とした言葉が響き渡った。
え……。戦う意思がない……?
確かに、老人の佇まいには敵意や攻撃しようとする気配がないように思えた。
「きのこ採りだ。私は、こちらの世界のきのこが好物でな。ただ採取に来たのだ」
「えっ、きのこ……!」
きのこ採りの老人だった。
なんと平和な――、そう思ったミハイルの脳裏に、あの魔族を客とする宿屋の主人の話が思い出された。
「では、私は失礼する。私の探すきのこは珍しく、なかなか見つけるのが大変なものだからな」
「あのっ……!」
立ち去ろうとする老人を、ミハイルは呼び止めた。
「なにか私にご用かな?」
「魔族のお客さんを泊める宿屋さんから、魔界では、戦が起きていると聞きましたが――」
「ああ。あの宿屋か。私もお世話になったことがあるぞ」
老人はそううなずいてから、
「そうだ。最近も、小国が攻め入られ、滅ぼされたという。あの小国には、ギルダウスという名将がいたそうだが、残念ながら大国の圧倒的な武力には敵わなかったようだ」
「ギルダウスという名将……」
「消息不明らしいが、たぶん、生きてはおらんだろうな」
「……そういった滅ぼされた国が、地上世界に進出する、そういったことは考えられるでしょうか?」
老人は、少し首をかしげた。
「あまり現実的ではない、と私は思うがな。私のような地上世界を好む者は、少数派だからな。しかし――、今の私のように、あちらからこちらの世界に来るのは簡単だ。きのこに限らず、こちらにしかない資源もある。そして、我々は強い。組織的な侵攻が今後もないとは言い切れんな」
「そうですか……」
「そなたは退魔士、というやつなんだろう?」
「はい」
「気をつけてな。魔に対する力をつけたのだろうが、それでも戦いは、なるべく避けるほうがいい。魔族の力は魔物のそれとは段違いだ」
「ありがとうございます。そして、申し訳ありませんでした」
ミハイルは、出会ってすぐ戦おうとしたことを詫びた。老人は片手を振って、なにも謝ることはない、と笑った。実際、人間や地上世界の生物にとって、魔族は脅威なのだから、と。
「あの……!」
ミハイルは、背を向けようとする老人に、さらに呼びかけた。
「これ、岩塩です。きのこ料理によく合うと思います……!」
ミハイルは老人に「マイ調味料」を差し出した。
「おお。ありがとう。それは嬉しいな」
「どうぞお気をつけて……! あなたの国が、安泰でありますように……!」
「ありがとう。そなたの世界も、末永く平和であるよう――」
老人と骸骨の馬は、森の奥へ消えていった。
ミハイルは、そっとため息をついた。
もし戦うことになったら、きっと僕は負けていた――!
皆がいたらどうだっただろう、と考える。
いや……。キースたちがいたとして、戦う羽目になったとしても――。
負けていたのかもしれない。ミハイルは、いつまでも老人の消えた森の奥を見つめ続けていた。
「リスの家は、樹齢千年もあるんじゃないかと思われる、巨木のうろの中だった。とても立派な家で、内部も豪華、リスの使用人までいた。いただいたお茶も菓子も、素晴らしいものだった」
帰ってきて早々、ミハイルに報告したのは黒ウサギだった。
「なんで黒ウサギが説明役っ!?」
キースは、黒ウサギに主導権を取られてしまったよう、納得いかない様子で叫ぶ。
「とても金持ちのリス家だった。俺もいつかあんなふうに出世したい」
黒ウサギは、続けて自身の輝く未来への決意を表明する。ウサギの立身出世とはいったい、とキースは思う。
「ミハイル。これ、リスさんたちからのおみやげ。ミハイルのぶんの焼き菓子だ」
「うわあ、ありがとうございます! とても美味しそうですね……!」
くるみとナッツたっぷりの焼き菓子だった。リスが作った焼き菓子なので、サイズこそとても小さいけれど。
「すごいおもてなしですね。僕は――」
ミハイルは、魔族に出会ったこと、そのときの会話を、皆に報告した。
「そんなことがあったのか……!」
「ええ。人間に友好的な魔族で、本当によかったです」
「ミハイルが無事で、本当によかった――」
キースはミハイルの肩に両手を置き、深い安堵のため息をつく。
「キース。そんな、おおげさですよ」
ミハイルは、ちょっと驚いたようだったが、心配するキースに笑って返した。
「おおげさなんかじゃない……! ミハイルの身に、なにかあったら……!」
ゲオルクたちも無事で、よかった――。
皆に緊張が走り、それから無事を喜び合う和やかなときが訪れる。
様々なことを話し合った。魔族のこと、危険な目にあったときの対処について、連携についてなど。
夕食後、それぞれのテントに入ろうとしたときだった。
「この安全な地帯。今晩は、俺もここで眠ってもいいか?」
黒ウサギ、まだいた。しかも、結界内で過ごすことを願い出ていた。
「ええ。いいわよ。もちろん……!」
アーデルハイトは、黒ウサギに笑顔で答える。
「では、よろしく頼む」
そのままその場で眠るのかと思いきや、黒ウサギはぴょこん、ぴょこんとアーデルハイトとユリエの後をついていく。
ちゃっかり黒ウサギは、ちゃっかりアーデルハイトとユリエのテントで一晩を過ごすことにしたようだ。
「あいつ、オスだから、アーデルハイトたちのテントはおかしくねえ?」
キースがカイに率直な疑問をぶつける。
「やきもちですか?」
カイが笑いながら、からかう。
キースは、カイの不意打ちに一瞬面食らうが、
「そーだよ! やきもちだよ!」
胸を張って堂々とやきもち宣言をした。
星がまたたく、澄んだ空気の夜。カイとキースの笑い声が弾けた。
それから遠くない未来のこと――。黒ウサギはなにがしかの謎の努力の末、見事出世を果たす。ウサギ穴の豪邸に住み、ウサギの使用人を雇い、さらにはこの地域のウサギ界隈を牛耳ることになる。ウサギだから、兎耳る。
そして――、魔族の老人は、魔界の自宅で、ミハイルの岩塩をひとつまみ、今日もきのこを美味しく召し上がるのだった。




