第55話 いちゃいちゃ推進デー
地底から、現れる影。それは、異形の――。
ハッとした。視界に入る、見慣れたテントの天井。
よかった。夢……。
魔族が現れようとする、悪夢だった。
テントの中はまだ暗かったが、アーデルハイトは目を覚ます。うっすらと額に汗がにじみ、自分の鼓動が大きく響くようだった。
皆でリス宅に向かい、ミハイルが一人でいたとき、ミハイルは偶然魔族に遭遇したのだという。友好的な魔族だったとのこと、ミハイルに危険はなかったが、もしもを考えると、ぞっとする。その危機感と恐怖心から悪夢を見てしまったのだろうと、アーデルハイトは振り返る。
本当によかった……。
改めて、ミハイルの無事に胸をなでおろす。
緊張で固くなった体を伸ばし、もう一度眠りにつこうとした、そのとき。
ああっ! しまった――!
アーデルハイトの思考は、まったくあさっての方向へ飛ぶ。
キースに甘えそびれたーっ!
告白から、なんの進展もない。
夜は夜で、自分のテントに黒ウサギが来た嬉しさで、黒ウサギと妖精のユリエと、遊んでから普通に就寝してしまった。
夜! 夜は二人きりで過ごせるチャンスなのに! これじゃあ、今までと変わらないじゃないーっ!
アーデルハイトは、ころんと横向きになる。
あーあ。もっと、いちゃいちゃしたいなあー。
キースの自分への接しかたも、今までとあまり変わりがない。告白とはなんだったのか、小さなため息が出る。
移動中や、みんなと一緒のときは今まで通りでいい。別に急いで次の段階に進みたいわけじゃない。でも、でも、もうちょっとなんか……。
もうちょっと、友だちじゃないトクベツな感じで語り合いたい、そんなことを思う。
アーデルハイトは、隣ですやすやと眠っている黒ウサギを、手元に引き寄せた。
ぎゅうっ。
アーデルハイトは、黒ウサギを抱きしめる。
ぐえっ!?
寝ているところをいきなり抱きしめられ、黒ウサギはジタバタする。
今日は! 今日こそは、もうちょっと頑張ろう!
アーデルハイトは密かに誓う。もうちょっと、これから始まる今日という日を、きらきらした特別な日にしよう、と。
黒ウサギはアーデルハイトの腕の中でもがく。そんなことはおかまいなしに、アーデルハイトは夢見る乙女のように瞳を輝かせる。
今日は、いちゃいちゃ推進デー!
勝手に決めた。本日は、「いちゃいちゃ推進デー」らしい。
「朝だよー! 起きようー!」
妖精のユリエが、アーデルハイトの肩を揺らす。
「えっ!?」
一瞬、どういうことかわからなかった。さっき目覚めたときに、起きたつもりだったのだ。実際は、黒ウサギをしっかり抱きしめながら二度寝してしまっていた。
「あれっ!? 私、寝てたの……!?」
「うん! 寝てた、寝てた。アーデルハイト、全然起きないんだもんー」
えええーっ!
抱えていた黒ウサギを放り出し、アーデルハイトは素早く身支度を整え外に出る。美味しそうな匂いが、漂っている。
「おはようございます」
早起きしていたミハイルが、皆の朝食の準備をしていた。ミハイルの前、湯気を立てている鍋は、森で採った野草たっぷりのスープだった。
「おはよう、ミハイル。ごめん! 寝坊しちゃった!」
「アーデルハイトさん、大丈夫です。僕が早起きしすぎただけですから」
ミハイルの爽やかな笑顔が、眩しい。
ミハイル、女子力高すぎだよー!
「ミハイル……、キースたちは……?」
もしかして、もうとっくに起きたのだろうか。自分が一番遅く起きたのだろうか。恥ずかしくなってきた。
「キースとカイさん、宗徳さんは、それぞれ森の奥に行きました。なにか体を動かしたいみたいですよ」
「ああ……。そう……。みんなとっくに起きてたのね」
一人だけ、朝寝坊。なんとなく決まりが悪い。表情が曇るアーデルハイトの足元、ぴょこん、となにかが跳ねてきた。
黒ウサギだ。
「おかげで安全に過ごせた。本当にありがとう」
黒ウサギは、ユリエ、アーデルハイト、ミハイルに、深々と頭を下げた。
そして、キース、カイ、宗徳にもよろしくお伝えください、礼儀正しくそう告げて、アーデルハイトたちが見送る中、黒ウサギは森の奥へ帰っていった。
「そろそろ、朝ごはんにしますか! 僕、宗徳さんを呼んできます。アーデルハイトさんは、キースとカイさんを呼んできてください」
ミハイルのスープが完成したらしい。ミハイルの話では、宗徳は西のほう、キースとカイは東のほうへ行ったのだという。
「うん。わかった。私、キースとカイを呼んでくるね」
アーデルハイトは、ミハイルの教えてくれたほうへ向かう。
「私、鍋を見てるねー!」
ユリエが火の番をすることになった。ついでにこっそり味見という名の盗み食いをするつもりである。
木々の間に朝日が差し込む。ひんやりとした空気が心地よい。アーデルハイトは、赤や黄色の落ち葉を踏みしめながら歩く。色とりどりの自然の絨毯である。
「キースーッ! カイーッ! ごはん、できたんだってーっ!」
ガサガサッ!
「きゃっ!?」
心臓が止まるかと思った。木の枝が揺れたかと思ったら、目の前に、キースが逆さまになって現れたのだ。キースは、木の枝に足だけをひっかけてぶら下がっている。
「おはよー、アーデルハイト! 気持ちのいい朝だなっ」
「ちょっと! びっくりした……! なにやって……」
ガサガサッ!
「きゃっ!?」
またまた不意打ち。今度は、前方の落ち葉の吹き溜まりになったところから、カイが現れた。落ち葉の中に隠れていたらしい。
「おはようございます。アーデルハイトさん。気持ちのいい朝です」
二人とも、あまり気持ちのよい登場方法ではない。
「なっ、なにをやってたの!? 二人とも!?」
キースが、にかっと笑い、その場で一回転をし、それから地面に降りる。
「朝の鍛錬をしてたんだ! カイにも付き合ってもらってた。どうしても、魔族のことが気になってね……」
いったい、どんな鍛錬をしてたんだ、とアーデルハイトは思ったが、方法については追究しないでおこうと思った。
「昨日は眠れた?」
キースがアーデルハイトに尋ねる。
「う、うん。眠れたよ。ついうっかり、寝坊しちゃった……」
ちょっとうつむき、アーデルハイトは答える。
みんなが危機感を持って鍛錬してるっていうのに……。
自分を恥じる。しかし、アーデルハイトの中で、むくむくと違う思いも湧いてきた。
いちゃいちゃ推進デーのはずなのに、出だしからなんだか失敗だよ……。
ちょっと不謹慎かもしれない。それでも、正直そんな思いもあった。
意図せず、ため息が出る。
「眠れたならよかった! ああ、そうだ! さっき、リスの一家に会ったよ! いっぱいどんぐりを集めてたよ」
当のキースは、アーデルハイトのかすかなため息にまったく気付いていないようだ。
「そ、そう……。それはよかったわ。あ、さっき黒ウサギが、帰っていったよ。キースとカイ、宗徳にもよろしくって」
アーデルハイトは、笑ってみせた。それから、ふと思う。雰囲気は、悪くない。今、森の中にはキースとカイと自分の三人だけ。もしかしたら、今が「いちゃいちゃするチャンス」なのではないか――。
カイがいるけど……、でも、いちゃいちゃタイムに……!
そうだ、いつも通りの朝だけど、キースの笑顔を見れて嬉しいよ、そんな素直な気持ちを伝えようと、アーデルハイトは決意する。
照れくさいけど、思いきってキースに話しかけようとしたとき、キースはカイのほうを向いていた。
「カイー。お前葉っぱだらけだぞー」
カイの頭や体には、落ち葉がたくさんついていた。キースは笑いながら、カイの頭や体についた葉っぱをはらってあげる。
「ありがとうございま……」
カイがお礼を言い終わらないうちに、キースはカイの顔に向け、すくいあげた落ち葉を放り投げる。
「もー! キースはなにするんですかーっ!」
「ははは! スキありーっ!」
「もーっ! さっき言ったお礼、取り消します!」
アーデルハイトは、キースとカイのやり取りをぼんやり見つめる。
ああ……! ちょっといいかも……。これもある種の「いちゃいちゃ」だ――!
自分がされたら絶対怒るだろうが、とりあえず、アーデルハイトには、カイがうらやましく思えた。繰り返し言うが、絶対怒るはずだが。
私も、葉っぱでものせてみる……?
いやいや、とアーデルハイトは首を振る。まるでそれじゃ、ばかみたいだ、と思う。
キースとカイは、落ち葉をかけあって遊んでいる。二人とも、もう葉っぱだらけだ。
「くらえーっ!」
「やりましたねーっ!」
落ち葉をかき集めては、ぶつけ合う。まるで子どもみたいなふざけ合い。
「……じゃなくてっ! 二人とも、ふざけてる場合じゃないわよっ! みんな待ってると思うから、戻ろうっ! ごはんよっ!」
「……はーい」
仲よく揃って返事をする、キースとカイ。仕かけたのはキースだが、ついのってしまうのがカイである。キースとカイは、それぞれ自分の体の葉っぱを落としながら、ちょっぴり悪ふざけが過ぎたと反省している様子。
これじゃ、お母さんみたいだ……。
アーデルハイトは、朝の誓いからどんどん遠のく現実に落胆する。「きらきらした恋人同士らしい一日」とはとても思えない一日の始まり。
まあ、キースの、そーゆー子どもっぽいところも含めて好きになったんだから、しょうがないよね。
アーデルハイトは、苦笑する。
自分だけ、急いで空回りしてもしょうがない。キースはキースだし、私は私。二人で一緒にいられる一瞬一瞬を、大切にできたら、それでいいよね――。
他の恋人たちみたいにいかなくてもいい、誰もが胸をときめかすような恋愛にならなくてもいい。二人なりの、二人だけの関係を大切に築き上げていこう、アーデルハイトはそう思った。
「ああっ!?」
キースが変な声を上げた。前のほうを指差している。
「どうしたんです? キース」
カイが尋ねる。カイもアーデルハイトも、キースの指差す先を見た。
「ああっ!」
カイもアーデルハイトも思わず叫んだ。キースが指差す先にいたのは――。
頭に葉っぱをのせた――、アーデルハイトだった。
「アーデルハイト!?」
キースが叫ぶ。
「私!?」
アーデルハイトも叫んだ。
「アーデルハイトさんが……、二人……!」
カイも叫んだ。
「……私! ア、アーデルハイト!」
頭に葉っぱをのせたアーデルハイトも、叫んだ。
ちょろん。
ん……!?
葉っぱをのせたアーデルハイトのお尻から、太い黄金色の尻尾が現れた。
キツネだ……!
それはどう見ても、キツネの尻尾だった。
ここは、アーデルハイトの張った結界からは外れているので、お肉大好きなキツネも入ってこられるようだ。
キースは、くすっと笑う。キースも、正体がキツネだとわかっているようだ。
「……アーデルハイト」
キースは、キツネのアーデルハイトに話しかける。
「はい!」
キツネは、「アーデルハイト」と呼ばれ、嬉しそうに顔を輝かせた。変身がうまくいったのだと確信し、嬉しかったようだ。
「……頭に、葉っぱがついてるよ」
キースは、優しくそう言いながら、キツネの葉っぱを、そうっとはらった。
ひらり、葉っぱが地面に舞い降りる。たちまち、キツネの姿に戻った。子ギツネだった。
子ギツネは、自分の変身が解かれたことに驚き、目を丸くし固まってしまった。
キースは身を屈め、子ギツネに笑いかける。
「ははは! うまいもんだねえ! まるで瓜二つだったよ!」
子ギツネは、不思議そうな顔で、じっとキースを見つめる。正体がばれて、怒られる、と思ったに違いない。しかし、目の前の人間は、優しそうな瞳でただ見つめている――。
「でも、人間相手に化けるのはやめておきなよ。人間に関わると、ひどい目に合うこともあるからね」
キースは、子ギツネの頭を撫でる。
「じゃあね。元気でな! 天才キツネさん! アーデルハイトは美人だから、化け甲斐があっただろー?」
子ギツネは、うなずくような素振りをしてから、たたっと駆けて行った。心なしか、その足取りはどこか誇らしげで、嬉しそうに見えた。
アーデルハイトは、赤面していた。
もう! キースったら……!
はらり。
一枚、黄金色の葉が枝から舞い降りる。黄金色の葉は、アーデルハイトの頭の上に落ちた。
「こっちのアーデルハイトは、なにに化けるのかな……?」
笑いながら、キースはアーデルハイトの頭の上の葉を取ってあげた。
「……化けたりなんか……、しないもん」
アーデルハイトは、キースの腕に自分の腕をからめた。
しいていえば、「かわいい恋人」に化ける……、かな?
キースはちょっとびっくりした顔になったが、すぐに、きりっとした顔に変化した。俺は大人のイケメンなんです、そして俺たちは、恋人同士だから当然なんです、これが自然なんです、といっているかのよう。耳まで、まっ赤なのは隠せていないが――。
カイは、くすっ、と笑っていた。
「さっ! 戻ろっ!」
アーデルハイトは、明るく声を上げた。隣を歩くカイも、微笑んでいる。朝日が、きらきらしていた。
やっぱり今日は、いちゃいちゃ推進デー!
「ふふふ!」
アーデルハイトは、いたずらっぽく笑った。




