ホゾンヌ
「カイ! やっぱり俺とお前は一緒にいないとダメなんだ!」
宿屋の部屋の扉を開けるや否やキースは叫ぶ。
「俺は、お前に傍にいて欲しいんだ……!」
一同、床に突っ伏した。
「いきなりなにを叫んでるんですかーっ!?」
カイが顔を真っ赤にして叫ぶ。ミハイルと宗徳は顔面蒼白になった。
カイ、ミハイル、宗徳はこう思っていた。
キースとアーデルハイトさんが二人きりになるように、気を遣って皆で先に宿屋に入った。綺麗な星空の晩だし、いい雰囲気だったし、二人の仲が少しでも進むんじゃないかと思った。それが、どういうことだろう。開口一番、カイと離れてはダメだ、とは……?
まさか……! アーデルハイトさんではなく、カイへ愛の告白!?
いやあ、まさか。それは、ないない、と一同首を左右に振る。
「なんだ……? なんでお前ら首を振ってんだ? それに、みんななんか変な顔して」
皆、「無」の表情になっていた。最悪のことは考えたくない、と思っていた。最悪のこと――、それは皆がうかつにも思い浮かべてしまった、前述の想像である。皆の妙な空気にキースは首をかしげる。
「やはり、油断は出来ない。いつ敵に襲撃されるかわからないからな――」
キースは真剣な表情で話す。
「なにかあったんですか!?」
カイは、瞬時にキースの言葉の意味を悟る。そして、先ほどの奇妙な誤解を恥じた。ミハイルと宗徳も同時に理解し、よかったと胸をなで下ろす。
キース。言いかたが悪いよ。唐突すぎるし。
みんな、知らず知らずのうちに頭の中が恋愛モードになっていた。キースとアーデルハイト、二人の恋がうまくいくことを願いすぎたがための思考の暴走だった。幸か不幸かキースはまったく気付いていない。
「ああ。今回は、まったく危険な相手ではなかったが――。もし、あれが魔族だったらと思うとぞっとする」
「そうですか……! すみませんでした……。そうですよね、あなたを一人にすべきではありませんでした。危険な行為でした。気を利かせたつもりでしたが、軽率でした」
「ん? 気を利かせた?」
キースはきょとんとした顔になる。
「はい」
「へ……?」
「アーデルハイトさんと、少しでも二人の時間を過ごせるように、と」
キースは少し上を向き、なにかを思い返しているようだった。
「……あーっ! だからか! だからみんなさっさと先に行ってしまったのかーっ!」
「今気付いたんですか!?」
一同、突っ伏した。
カイは思った。甲斐がない、と。ダジャレみたいだ、と思ったが、この人には繊細な気遣いはほとんど通用しない、しかも、わざとらしいんじゃないかと逆に心配になるほどわかりやすい気の遣いようだったのに、全然伝わらないんだ、改めてそう思い知らされていた。
鈍感、恐るべし。
「そうかー! そうだったのか! ありがとう……、って、んんっ!? なにそれ!? どーゆーこと!? みんな、俺とアーデルハイトのこと、いったい……!?」
「……キースの気持ちは、みんな伝わってますよ」
アーデルハイトさんの気持ちも、とカイは言おうとしたが、とりあえず黙っておいた。
「えっ……!」
キースはとたんに顔が真っ赤になる。
――俺の気持ちがみんなに伝わってるって!? な、なんで……!?
キースは動揺していた。
――どーゆーことだろう……、どうして、なんで、どうゆう……、ドゥーユーノウ……。
キースは混乱していた。
「ええと……。そ、それじゃあ……」
「ちゃんと、伝えたんですか? あなたの気持ちを。アーデルハイトさんに」
「えっ……」
キースはうろたえる。
「……伝えたんですか?」
もう一度、ゆっくりとした口調でカイは尋ねた。
「な……、カイ……、なにを言って……」
「どっちなんですか! いい加減伝えたんですか? 伝えられなかったんですか!? チャンスだったのに!」
もどかしくなり、ついカイはキースに詰め寄る。
「い、言ったよ……。伝えた……。俺の気持ち……」
「ほんとですかっ!?」
「ああ……」
「それで!? それでどうでした!? アーデルハイトさんも気持ち、打ち明けてくれたんですかっ!?」
「うん……」
キースは頬を染めながら、こくんとうなづいた。なんだか女の子みたいである。
カイとミハイルと宗徳は、瞳を輝かせ身を乗り出し、キースの次の言葉を待つ。これまた、まるで女子の反応である。
どうだったんだろう!? アーデルハイトさんは、絶対キースのことが好きなはず! 気持ちを伝え合ったなら、うまくいったってことでいいんだよね!?
キースはうつむいたままだ。
えーい! 早く続きを教えんかーいっ! と思ったが、皆忍耐強かった。
ううむ。まあいいか。そっとしておいてあげよう。二人の様子を見たら、嫌でもすぐわかるから。嫌でも。
皆がそろそろ寝る支度をしようとした、そのとき。
「……アーデルハイトも、好きだって言ってくれた。俺たち、付き合うことになった」
キースがとうとう白状した。
わっ!
一同思わず歓声を上げた。
ついにオープンになった! これで、めんどくさくなくなる……!
二人の想いがついに通じ合った、そのこともおおいに喜ばしく素直に嬉しかったが、変な気遣いが要らなくなる、皆その点も嬉しかった。あとは二人の問題だ、なんだか解放された気分。
「キース! よかったですねえ! よかった! ついに、ですね! おめでとうございます!」
皆、輝くような笑顔。バンザイまでしている。
「あ、あれえ……。なんか……、みんな、俺たちの気持ち、前から知ってたみたいな反応……」
「知ってましたよ!」
皆、声を揃えた。
「お互いの気持ちを知らないのは、キースとアーデルハイトさんだけです!」
キースは床に突っ伏した。
宿屋の部屋に入ってきたアーデルハイトの顔を見て、妖精のユリエはすべてを悟った。
「アーデルハイト……! よかったね……! ついに想いを伝え合ったの!?」
ユリエはアーデルハイトに抱きついた。
「えっ!? ど、どうしてユリエちゃん、わかったの……!?」
「だって、アーデルハイト、ちゃあんと顔に書いてあるもーん!」
「えええっ!? 顔に書いてある!?」
アーデルハイトは急いで鏡を見る。
「ほんとだ……! 書いてある……!」
アーデルハイトの頬は上気し、顔はすっかり、にやけていた。
「アーデルハイト、おめでとーっ!」
「ユ、ユリエちゃん……! ありがとう……!」
アーデルハイトは、ユリエをぎゅっと抱きしめた。
「わー! 苦しいよ! アーデルハイト!」
思わず強く抱きしめすぎていた。
「ご、ごめん! ユリエちゃん!」
「もー。アーデルハイト。そーゆーのは、キースにしてあげて!」
ユリエとアーデルハイトは笑い合った。
「よかったね……! アーデルハイト! これからも、喧嘩しないで仲良くね……!」
「うん……!」
「ちゃんと、自分の気持ちはなんでも素直にキースに伝えてあげてね。キースは超鈍感だから」
「うん……!」
それは、アーデルハイトも重々承知である。
アーデルハイトも、なかなかの鈍感だけどね。
ユリエは、そう思ったが言わないでおいた。
似た者同士なのかな。
ユリエは、クスッと笑った。
翌朝早めの朝食を済ませ、出発することにした。
「みんな、出発だ!」
ペガサス、ドラゴン、翼鹿に乗り、一同は空を駆ける。
昼どきをだいぶ過ぎても、眼下には山野が広がるだけだった。
「そろそろ、降りようかーっ!」
昼食と休憩のため、山の中に降りることにした。
「村の長が教えてくれた通り、この辺は山とか野原ばかりですね」
ミハイルが、荷物から保存食を取り出しながら話す。
「なんか食えそうなものも探してみようか」
皆、それぞれ保存食を携帯している。キースも保存食を持っていたが、一応山の中も探してみようと思っていた。
「でも、ちょっと遅くなってしまいましたし、保存食も消費しないと古くなる一方ですから」
保存食を食べるいいタイミングだった。
「そうだな。俺もだいぶ古い保存食があるはずだ」
そう言いながら宗徳が、自分の荷物の奥のほうを探る。新しい物から古い物まで無造作に詰め込んであるようだった。
「あっ……!」
宗徳が小さな叫び声を上げた。
「宗徳さん、どうしたんですか?」
ミハイルが、宗徳の手の中にある保存食を見た。
「ああっ……!」
思わず、ミハイルも叫んでいた。
「宗徳さんの保存食が……!」
ミハイルも宗徳も、叫んだきり固まっていた。
「んん? どうしたんだ? 保存食がどうかしたのか?」
キースも宗徳の保存食を覗き込んだ。
「うわっ!?」
保存食に、顔があった。
「顔……! 顔があるぞ! しかも、なんか……、かわいい!」
保存食には、黒目がちの瞳と口角の上がった口があった。
「こ、これは……!?」
宗徳の手が驚きで震える。手から離さないのは、かわいい顔だったので、なんとなく放り投げるのはかわいそうに思えたからだ。
「……うーん。古くなって、魂が宿ってしまったんですね」
ミハイルが、そう判断した。
「ほんとね……。あまりにはかない弱々しい魂だから、私もミハイルも気付かなかったのね……」
アーデルハイトもミハイルの見立てにうなづく。
「こ、これはいったいどうしたら……?」
宗徳は、手のひらに乗る小さな魂に戸惑う。保存食の、愛らしい口元が微笑んでいる。
「保存食だし、古いとはいえまだ消費期限内だから、食べてあげるのがいいんじゃないでしょうか?」
ミハイルが、恐ろしい提案をした。
「えええっ!? こ、こやつを食え、と言うのかっ!?」
宗徳の手は大きく震えた。
「うーん。普通に考えたらかわいそうですが、この場合はそれが最善の気がします」
黒い瞳が、輝いていた。ぱちぱちと、まばたきまでしている。
「保存食……、保存食ちゃん……、ほぞん……、ホゾンヌちゃん……」
宗徳が呟く。
「ああっ! だめですよっ! 名付けたりしちゃ! 『縁』が出来上がってしまう……!」
ミハイルが叫ぶ。
「え、縁……?」
「そしたら、食べられないじゃないですかーっ!」
「確かに……」
宗徳の心に、保存食を愛おしむ気持ちが生まれていた。
どうしよう……。俺にはとても、こやつを食うことが――。
黒い影が、宗徳の背後に接近してきた。
サッ!
「ああっ!」
黒い大きな鳥だった。
鳥が、宗徳の手から保存食をかすめ取っていった。
「ホゾンヌ……!」
一瞬の出来事だった。
ホゾンヌは、鳥のお昼ごはんと化した。
「ああ……。保存していた期間は長かったが、一瞬の別れだった……」
宗徳は呆然と呟く。
「よかったんですよ……。宗徳さん……。宗徳さんには、ホゾンヌを食べることは出来なかったでしょう……?」
ミハイルが、宗徳の肩にそっと手を置いた。
「ホゾンヌは、誰かに食べられることが幸せなんですよ……」
「ああ……。そうだな……。ホゾンヌ……、よかったな……」
「そっかあ……。食べられることが本望だったんだ。ホゾンヌは、幸せになったんだな……」
キースも呟く。アーデルハイトもカイもユリエも、そっとうなづいた。
宗徳とミハイルは、鳥の飛んで行った東の空を眺めた。青い空は、どこまでも青く高かった。
「いただきます!」
キースは保存食を食べた。勢いよく食べたので、そこに顔があったかどうかはわからない。
ただ、美味しかった。キースは、命を頂く気持ちで食べた。
宗徳とミハイルの瞳には、青い空にホゾンヌの笑顔が見えたような気がした。




