第52話 月夜の告白
手を繋いだまま、歩く。宿屋は、もう目の前。
前を歩いていたカイやミハイル、宗徳、妖精のユリエは、さっさと宿屋に入ってしまったようだ。
ああ。胸がいっぱいだ。
キースは、アーデルハイトと手を繋いで歩いている「今」というときを強く感じていた。
胸は二個だけど。
人体構造にも思いを馳せた。馳せなくてもいいことに、馳せるところが安定の「キース・クオリティ」である。
いつの間にか、月には雲がかかり始めていた。星々は悠久のときを越え、美しくまたたく。
キースには、まだ迷いがあった。
星の樹のおばあさんは、自分の気持ちに正直になっていいと言ってくれた――。でも、俺の先には避けられない、命をかけた戦いがある。今だけを見つめて、本当にそれでいいのだろうか……。
しかし二人の手は、しっかりと繋がれたままだ。
アーデルハイトの手のひらのぬくもり、優しい香り。
キースの心には、アーデルハイトしか映っていない。
「……アーデルハイト」
キースは立ち止まり、アーデルハイトの名を呼んだ。キースは意識してそうしたわけではないが、世界でたった一人の愛しいひとを呼ぶような、そんな呼びかたで、アーデルハイトの名を呼んだ――。
エメラルドグリーンの瞳が、キースを見上げる。
「……はい」
アーデルハイトの返事は、いつもと違っていた。その簡潔な二文字の言葉には、美しく穏やかな響きがあった。たった二文字の言葉のはずなのに、時を止める力があるような気がした。
『それでも、みんな恋をするわ』
星の樹のおばあさんの声が、雲間から現れた月のように、キースの心に蘇る。
『人はそれぞれ、自分らしく生きていいのよ』
柔らかな月の光を浴びたアーデルハイトが、まるで月の女神のように見えた。
ああ。きれいだな――。
キースは、あふれる気持ちを自分の中に留めておくことはもうできない、そう悟った。
俺は、過去でもなく未来でもなく、今を生きている……! 今を精一杯生きることしか出来ない――、いや、俺は今を精一杯生きることができるんだ! 俺は今、俺の気持ちを伝えたい――!
「……好きだ……!」
キースはついに、心の内にあたため続けていた想いを告げた。
「……キース!」
「俺は、アーデルハイトが好きだ!」
自分でもびっくりするくらい、自然と言葉が出てきた。
月や星の輝きのもと、その美しい特別な言葉は違和感なく世界に溶け込んでいく。
ああ。不思議だ――。この綺麗な月夜の晩にアーデルハイトに自分の気持ちを告げることが、まるで、ずっと前から決まっていたことのように感じる――。
本当に時間が止まってしまったんじゃないか、キースにはそう思えた。
キースは、ただまっすぐアーデルハイトを見つめた――、はずだった。
宿屋の前の庭に、鋤が置かれたままになっていた。キースの目の端に、鋤が映る。
ああ。すきだ……。
キースは、ぼんやりと鋤を見つめた。
なんでこの晩このタイミングで、鋤が目の前にあるんだろう――。
「キース……! 私も……、私も……! キースが、好き……!」
キースは頭の中から、いったん鋤を追いやった。
そんなキースの一瞬の隙をついて、アーデルハイトはキースの胸に飛び込んでいた。
「キース……!」
アーデルハイトはキースの首に、しなやかな両腕を回す。
しまった! 鋤に気を取られている隙に、先手を取られた!
格闘技じゃないのだから、先手もなにもあったもんじゃないし、「隙」というのも妙だが、キースの感覚的には、隙をつかれて主導権を取られてしまったような感じだった。鋤に隙に好きにという、三連コンボを感じつつ。
俺のほうが、アーデルハイトを抱きしめようと思ったのに……!
なぜか、ちょっと悔しく思う。
「……てゆーか、あれっ!?」
「え……? 『あれ?』って、なあに?」
アーデルハイトは、潤んだ瞳でキースを見つめる。
「ええっ!? アーデルハイト、俺のこと、好きなの!?」
「なにを今更っ!?」
アーデルハイトは呆れ声で叫んでいた。この期に及んで、なにを言う、と。
「マジでっ!?」
キースが、すっとんきょうな声を上げる。
「マジで!」
アーデルハイトが、赤面しつつちょっと乱暴に答える。やけくそなのか、目が、すわっている。
「マジかっ!?」
「マジだっ!」
「……アーデルハイト……」
夢じゃ、ないんだろうか……!?
吸い込まれるような満天の星空。まるで違う時間軸の世界に迷い込んだように感じた。でも、確かにアーデルハイトのぬくもりを、息づかいを感じる。柔らかな体を、香りを、感じる。
「キースの……、ばか……」
アーデルハイトは、うつむいてしまった。
「アーデルハイト……」
キースは、今度こそ、強くアーデルハイトを抱きしめた。
アーデルハイト……! 隙あり、だ……! 俺の、俺の大切なひと……!
鋤が、月の光を受け静かに輝いていた。
ああ……! すきだ……!
だから、なんでこんなときに鋤があるんだ、とキースは心の中叫ぶ。
ザワッ!
そのとき突然、キースの背に悪寒が走った。
「なにっ!?」
なにかの気配を感じる!
アーデルハイトもなにかを感じたようだった。二人は素早く振り返る。
「魔物かっ!? それとも魔族!」
視線の先、暗い闇の中に一人の老人がいた。
しまった! カイが近くにいない!
キースは、一時的でもカイと離れてしまったことを悔やむ。
剣がなくても、戦えるが――、でも、もし相手が魔族だったら――!
「違うわ! キース! 彼は……、亡霊よ!」
「亡霊!?」
亡霊。にわかには信じられないようなアーデルハイトの言葉だったが、景色から切り取られたような老人の異質な雰囲気は、肉体を持った生きた人間とはあきらかに違うという、圧倒的な説得力がある。
キースは一呼吸置いたあと、
「なーんだ! お化けかあ! 脅かすなよー!」
と、胸をなでおろしていた。
「……キース。その反応、変じゃない?」
普通、お化けだったら怖がるものだが――、今のキースは逆に安堵していた。
「アーデルハイト、お化けもわかるのか?」
素朴な疑問だった。
「ええ。『心霊』の授業でちょっと習ったわ」
「へええ! すげえな!? 魔法学校って、なんでも授業あるんだな!」
「まあね……。『未確認飛行物体』とか『秘境探検』の授業とかもあったわ」
バラエティーの特別番組みたいである。
「というか――、どうしてここに幽霊が!?」
授業に感心している場合じゃなかった。
「わからない。でも、危険な霊じゃないみたい」
アーデルハイトは、その亡霊が悪い性質のものではないと感じたようだった。アーデルハイトは、落ち着いて老人の霊に話しかけていた。
「……あなたは、どうしてここにいらっしゃるのですか……?」
老人の霊が、ゆっくりと口を開く。
「……あの鋤は、私が彼女からプレゼントされたものだったのだ」
アーデルハイトの質問には答えず、老人の霊は鋤を指差す。
「彼女……?」
「ここは、昔、私の畑だったのだ。私は、貧しい農家の息子。彼女は領主の娘。身分違いの恋だった――」
「身分違い――」
老人は、とつとつと過去を語りだした。
「私と彼女は……。本当に想いが通じ合っていたんだ。本当さ。でも、彼女の幸せを思い、私は自分の想いを隠し、黙って彼女を突き放した。わざと、嫌われるようにしたんだ」
キースとアーデルハイトは、顔を見合わせた。老人が、嘘を言っているようには思えなかった。キースもアーデルハイトも、老人の話に耳を傾けた。
「彼女は、彼女の身分にふさわしい相手と結婚した。私は、生涯独身を貫いた。私は一人働いて、年老いて、そして死んだ。今更未練があるわけでもないはずなんだが、どうしてだろう、またこの世に出てきてしまった。ここの宿屋の使用人が、私の鋤を使って、しまい忘れているからかな」
「……彼女のことを、本当に愛していたんですね。そして、彼女も心からあなたを愛していた……」
アーデルハイトがそう述べたのは、老人の霊を慰める気持ちもあったのかもしれない。
「……好きだから、鋤をくれたんだろうな。お茶目な子だったよ」
そう言って、老人は笑う。
アーデルハイトは、月明かりに照らされた鋤を見つめてから、静かに微笑む。
「鋤に、彼女の想いが詰まっているのですよ。今でも、その気持ちが鋤に記憶されている。あなたが恋しいという強い想いが。だから、あなたが呼ばれてしまった。この鋤が、あなたを呼んだのでしょう」
「……そうか……、私のことを――」
老人の瞳に、涙があふれる。
アーデルハイトは、鋤にそっと手を触れた。
「彼女の『想い』よ、出ておいで……! 彼に連れて行ってもらいなさい。これからは、ずっと彼と一緒にいられるわよ――」
アーデルハイトが語りかけると、鋤から美しい黒髪の女性が現れた。
「鋤造さん!」
老人の名は、鋤造といった。
「数寄子様!」
女性は、数寄子という名のようだった。
鋤造と数寄子は抱き合った。長いときを越えて――。
「彼女は、彼女の『想い』が実体化したものです。彼女であって、彼女ではないですが――。でも、間違いなく彼女の魂の大切な一部分です。一緒に、天国に連れて行ってあげてください」
「ありがとう……!」
鋤造と数寄子は笑顔で手を振りながら、天へと昇って行った。
「それだけ、二人は強い想いで結ばれていたのね――」
鋤造の、数寄子の幸せを願い、身を引いた選択は間違ってはいなかったのだろう、とキースは思う。鋤造は、精一杯自分の人生を生きたのだ、とキースは信じた。そして数寄子は夫を愛し、家庭を守り精一杯自分らしく生きられたのではないか、そう思った。
人が真剣に考えて選んだ道に、きっと間違いなんてない。自分の気持ちに、正直に生きられないときもある。でも、そんな中でも、きっと最善の生きかたができるはずなんだ……。だけど……、だけど、二人が幸せになれたらよかったのにな……。
「……俺は、恵まれているんだな……」
キースは、そっと呟いた。
「え……? なにが……?」
アーデルハイトが、キースのほうを振り返る。キースは、アーデルハイトの瞳を見つめた。そして、大きな声で叫んだ。
「俺は、自分の気持ちに正直になれた! ちゃんと、想いを伝えられた……!」
「キース……!」
アーデルハイトの顔に、明るい輝きが広がっていく。
「うん……! 私も、素直になれた……!」
笑い合う。二人を隔てるものは、なにもなかった。
それから、キースは思う。
あの老人が、魔族でなくて本当によかった! もし、もし今魔族が襲ってきたら……!
油断していた。
「カイとは、一緒に行動をするようにしなくては……!」
キースの重みのある声色に、アーデルハイトはキースの言葉の意味がわかったようだった。いつでも、戦闘ができる状態でなければならないのだ。
「そうね……。いつ、どんな恐ろしい敵が襲ってくるかわからないから……!」
キースは気持ちを引き締め、宿へ向かう。
「あ」
突然キースは足を止め、アーデルハイトを見つめる。
「え」
アーデルハイトは、短い声を上げた。
ぎゅっ。
キースは、ふたたびアーデルハイトの手を握った。
「はぐれないようにな!」
「う、うん……!」
はぐれるもなにも、あと数歩で宿屋の玄関なのだが。
キースは、前を見つめていた。少し低い声で、一言だけ告げる。
「アーデルハイトは俺が守る」
「うん……!」
アーデルハイトは、キースの肩に頬を寄せた。




