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旅男!  作者: 吉岡果音
第八章 実りの季節
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第52話 月夜の告白

 手を繋いだまま、歩く。宿屋は、もう目の前。

 前を歩いていたカイやミハイル、宗徳、妖精のユリエは、さっさと宿屋に入ってしまったようだ。


 ああ。胸がいっぱいだ。


 キースは、アーデルハイトと手を繋いで歩いている「今」というときを強く感じていた。


 胸は二個だけど。


 人体構造にも思いを馳せた。馳せなくてもいいことに、馳せるところが安定の「キース・クオリティ」である。

 いつの間にか、月には雲がかかり始めていた。星々は悠久のときを越え、美しくまたたく。

 キースには、まだ迷いがあった。


 星の樹のおばあさんは、自分の気持ちに正直になっていいと言ってくれた――。でも、俺の先には避けられない、命をかけた戦いがある。今だけを見つめて、本当にそれでいいのだろうか……。


 しかし二人の手は、しっかりと繋がれたままだ。

 アーデルハイトの手のひらのぬくもり、優しい香り。

 キースの心には、アーデルハイトしか映っていない。

 

「……アーデルハイト」


 キースは立ち止まり、アーデルハイトの名を呼んだ。キースは意識してそうしたわけではないが、世界でたった一人の愛しいひとを呼ぶような、そんな呼びかたで、アーデルハイトの名を呼んだ――。

 エメラルドグリーンの瞳が、キースを見上げる。


「……はい」


 アーデルハイトの返事は、いつもと違っていた。その簡潔な二文字の言葉には、美しく穏やかな響きがあった。たった二文字の言葉のはずなのに、時を止める力があるような気がした。

 

『それでも、みんな恋をするわ』


 星の樹のおばあさんの声が、雲間から現れた月のように、キースの心に蘇る。


『人はそれぞれ、自分らしく生きていいのよ』


 柔らかな月の光を浴びたアーデルハイトが、まるで月の女神のように見えた。


 ああ。きれいだな――。


 キースは、あふれる気持ちを自分の中に留めておくことはもうできない、そう悟った。


 俺は、過去でもなく未来でもなく、今を生きている……! 今を精一杯生きることしか出来ない――、いや、俺は今を精一杯生きることができるんだ! 俺は今、俺の気持ちを伝えたい――!


「……好きだ……!」


 キースはついに、心の内にあたため続けていた想いを告げた。


「……キース!」


「俺は、アーデルハイトが好きだ!」


 自分でもびっくりするくらい、自然と言葉が出てきた。

 月や星の輝きのもと、その美しい特別な言葉は違和感なく世界に溶け込んでいく。


 ああ。不思議だ――。この綺麗な月夜の晩にアーデルハイトに自分の気持ちを告げることが、まるで、ずっと前から決まっていたことのように感じる――。


 本当に時間が止まってしまったんじゃないか、キースにはそう思えた。

 キースは、ただまっすぐアーデルハイトを見つめた――、はずだった。

 宿屋の前の庭に、(すき)が置かれたままになっていた。キースの目の端に、鋤が映る。


 ああ。すきだ……。


 キースは、ぼんやりと鋤を見つめた。


 なんでこの晩このタイミングで、鋤が目の前にあるんだろう――。


「キース……! 私も……、私も……! キースが、好き……!」


 キースは頭の中から、いったん鋤を追いやった。

 そんなキースの一瞬の隙をついて、アーデルハイトはキースの胸に飛び込んでいた。


「キース……!」


 アーデルハイトはキースの首に、しなやかな両腕を回す。


 しまった! 鋤に気を取られている隙に、先手を取られた!


 格闘技じゃないのだから、先手もなにもあったもんじゃないし、「隙」というのも妙だが、キースの感覚的には、隙をつかれて主導権を取られてしまったような感じだった。鋤に隙に好きにという、三連コンボを感じつつ。


 俺のほうが、アーデルハイトを抱きしめようと思ったのに……!


 なぜか、ちょっと悔しく思う。


「……てゆーか、あれっ!?」


「え……? 『あれ?』って、なあに?」


 アーデルハイトは、潤んだ瞳でキースを見つめる。


「ええっ!? アーデルハイト、俺のこと、好きなの!?」


「なにを今更っ!?」


 アーデルハイトは呆れ声で叫んでいた。この期に及んで、なにを言う、と。


「マジでっ!?」


 キースが、すっとんきょうな声を上げる。


「マジで!」

 

 アーデルハイトが、赤面しつつちょっと乱暴に答える。やけくそなのか、目が、すわっている。


「マジかっ!?」


「マジだっ!」


「……アーデルハイト……」


 夢じゃ、ないんだろうか……!?


 吸い込まれるような満天の星空。まるで違う時間軸の世界に迷い込んだように感じた。でも、確かにアーデルハイトのぬくもりを、息づかいを感じる。柔らかな体を、香りを、感じる。


「キースの……、ばか……」


 アーデルハイトは、うつむいてしまった。


「アーデルハイト……」


 キースは、今度こそ、強くアーデルハイトを抱きしめた。


 アーデルハイト……! 隙あり、だ……! 俺の、俺の大切なひと……!


 鋤が、月の光を受け静かに輝いていた。


 ああ……! すきだ……!


 だから、なんでこんなときに鋤があるんだ、とキースは心の中叫ぶ。


 ザワッ!


 そのとき突然、キースの背に悪寒が走った。


「なにっ!?」


 なにかの気配を感じる!


 アーデルハイトもなにかを感じたようだった。二人は素早く振り返る。


「魔物かっ!? それとも魔族!」


 視線の先、暗い闇の中に一人の老人がいた。


 しまった! カイが近くにいない!


 キースは、一時的でもカイと離れてしまったことを悔やむ。


 剣がなくても、戦えるが――、でも、もし相手が魔族だったら――!


「違うわ! キース! 彼は……、亡霊よ!」


「亡霊!?」


 亡霊。にわかには信じられないようなアーデルハイトの言葉だったが、景色から切り取られたような老人の異質な雰囲気は、肉体を持った生きた人間とはあきらかに違うという、圧倒的な説得力がある。

 キースは一呼吸置いたあと、


「なーんだ! お化けかあ! 脅かすなよー!」


 と、胸をなでおろしていた。


「……キース。その反応、変じゃない?」


 普通、お化けだったら怖がるものだが――、今のキースは逆に安堵していた。


「アーデルハイト、お化けもわかるのか?」


 素朴な疑問だった。


「ええ。『心霊』の授業でちょっと習ったわ」


「へええ! すげえな!? 魔法学校って、なんでも授業あるんだな!」


「まあね……。『未確認飛行物体』とか『秘境探検』の授業とかもあったわ」


 バラエティーの特別番組みたいである。


「というか――、どうしてここに幽霊が!?」


 授業に感心している場合じゃなかった。


「わからない。でも、危険な霊じゃないみたい」


 アーデルハイトは、その亡霊が悪い性質のものではないと感じたようだった。アーデルハイトは、落ち着いて老人の霊に話しかけていた。


「……あなたは、どうしてここにいらっしゃるのですか……?」


 老人の霊が、ゆっくりと口を開く。


「……あの鋤は、私が彼女からプレゼントされたものだったのだ」


 アーデルハイトの質問には答えず、老人の霊は鋤を指差す。


「彼女……?」


「ここは、昔、私の畑だったのだ。私は、貧しい農家の息子。彼女は領主の娘。身分違いの恋だった――」


「身分違い――」


 老人は、とつとつと過去を語りだした。


「私と彼女は……。本当に想いが通じ合っていたんだ。本当さ。でも、彼女の幸せを思い、私は自分の想いを隠し、黙って彼女を突き放した。わざと、嫌われるようにしたんだ」


 キースとアーデルハイトは、顔を見合わせた。老人が、嘘を言っているようには思えなかった。キースもアーデルハイトも、老人の話に耳を傾けた。


「彼女は、彼女の身分にふさわしい相手と結婚した。私は、生涯独身を貫いた。私は一人働いて、年老いて、そして死んだ。今更未練があるわけでもないはずなんだが、どうしてだろう、またこの世に出てきてしまった。ここの宿屋の使用人が、私の鋤を使って、しまい忘れているからかな」


「……彼女のことを、本当に愛していたんですね。そして、彼女も心からあなたを愛していた……」


 アーデルハイトがそう述べたのは、老人の霊を慰める気持ちもあったのかもしれない。


「……好きだから、鋤をくれたんだろうな。お茶目な子だったよ」


 そう言って、老人は笑う。

 アーデルハイトは、月明かりに照らされた鋤を見つめてから、静かに微笑む。


「鋤に、彼女の想いが詰まっているのですよ。今でも、その気持ちが鋤に記憶されている。あなたが恋しいという強い想いが。だから、あなたが呼ばれてしまった。この鋤が、あなたを呼んだのでしょう」


「……そうか……、私のことを――」


 老人の瞳に、涙があふれる。

 アーデルハイトは、鋤にそっと手を触れた。


「彼女の『想い』よ、出ておいで……! 彼に連れて行ってもらいなさい。これからは、ずっと彼と一緒にいられるわよ――」


 アーデルハイトが語りかけると、鋤から美しい黒髪の女性が現れた。


(すき)造さん!」


 老人の名は、鋤造といった。


数寄子(すきこ)様!」

 

 女性は、数寄子という名のようだった。

 鋤造と数寄子は抱き合った。長いときを越えて――。


「彼女は、彼女の『想い』が実体化したものです。彼女であって、彼女ではないですが――。でも、間違いなく彼女の魂の大切な一部分です。一緒に、天国に連れて行ってあげてください」


「ありがとう……!」


 鋤造と数寄子は笑顔で手を振りながら、天へと昇って行った。


「それだけ、二人は強い想いで結ばれていたのね――」


 鋤造の、数寄子の幸せを願い、身を引いた選択は間違ってはいなかったのだろう、とキースは思う。鋤造は、精一杯自分の人生を生きたのだ、とキースは信じた。そして数寄子は夫を愛し、家庭を守り精一杯自分らしく生きられたのではないか、そう思った。


 人が真剣に考えて選んだ道に、きっと間違いなんてない。自分の気持ちに、正直に生きられないときもある。でも、そんな中でも、きっと最善の生きかたができるはずなんだ……。だけど……、だけど、二人が幸せになれたらよかったのにな……。


「……俺は、恵まれているんだな……」


 キースは、そっと呟いた。


「え……? なにが……?」


 アーデルハイトが、キースのほうを振り返る。キースは、アーデルハイトの瞳を見つめた。そして、大きな声で叫んだ。


「俺は、自分の気持ちに正直になれた! ちゃんと、想いを伝えられた……!」


「キース……!」


 アーデルハイトの顔に、明るい輝きが広がっていく。


「うん……! 私も、素直になれた……!」


 笑い合う。二人を隔てるものは、なにもなかった。

 それから、キースは思う。


 あの老人が、魔族でなくて本当によかった! もし、もし今魔族が襲ってきたら……!


 油断していた。


「カイとは、一緒に行動をするようにしなくては……!」


 キースの重みのある声色に、アーデルハイトはキースの言葉の意味がわかったようだった。いつでも、戦闘ができる状態でなければならないのだ。


「そうね……。いつ、どんな恐ろしい敵が襲ってくるかわからないから……!」


 キースは気持ちを引き締め、宿へ向かう。


「あ」


 突然キースは足を止め、アーデルハイトを見つめる。


「え」


 アーデルハイトは、短い声を上げた。


 ぎゅっ。


 キースは、ふたたびアーデルハイトの手を握った。


「はぐれないようにな!」


「う、うん……!」


 はぐれるもなにも、あと数歩で宿屋の玄関なのだが。

 キースは、前を見つめていた。少し低い声で、一言だけ告げる。


「アーデルハイトは俺が守る」


「うん……!」


 アーデルハイトは、キースの肩に頬を寄せた。

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