月夜の告白
キースとアーデルハイトは、予約しておいた宿屋の前まで来た。手を繋いだまま――。
他の皆は、先にさっさと宿屋に入ってしまった。
いつの間にか、月には雲がかかり始めていた。星々は悠久のときを越え、美しくまたたく。
「……アーデルハイト」
キースの声はいつもより低く、少し緊張しているようだった。
アーデルハイトは、キースの青い瞳をまっすぐ見つめた。
「…………」
キースは、なにか大切な一言を言おうとしているようだった。
どきんどきん……。
アーデルハイトの胸は高鳴る。
アーデルハイトは、ただ静かにキースの言葉を待つ。きっと、それは自分が今までずっと待ち望んでいた言葉――、アーデルハイトは信じて、そのときを待った。
キースには、まだ迷いがあった。
――星の樹のおばあさんは、自分の気持ちに正直になっていいと言ってくれた――。でも、俺の先には避けられない命を懸けた戦いがある。今だけを見つめて、本当にそれでいいのだろうか……。
しかし二人の手は、しっかりと繋がれたままだ。
夜風が、アーデルハイトの金の髪を撫でる。
キースの瞳には、アーデルハイトしか映っていない。
「……アーデルハイト」
キースはふたたびアーデルハイトの名を呼んだ。キースは意識してそうしたわけではないが、世界でたった一人の愛しいひとを呼ぶような、そんな呼びかたで、アーデルハイトの名を呼んだ――。
「……はい」
アーデルハイトは、いつもの友達感覚とは違う返事をした。その簡潔な二文字の返事には、美しく穏やかな響きがあった。世界でたった一人の愛しいひとへと向けた、特別な声――。たった二文字の言葉に、名を呼ぶ声への返事という単純なことに、アーデルハイトのすべての想いが込められていた。
月が雲間から美しい姿を現す。
『それでも、みんな恋をするわ』
星の樹のおばあさんの声が、キースの頭の中に優しく響き渡る。
『人はそれぞれ、自分らしく生きていいのよ』
キースの瞳には、柔らかな月の光を浴びたアーデルハイトが、まるで月の女神のように見えた。
――ああ。綺麗だな――。
キースは、あふれる気持ちを自分の中に留めておくことはもう出来ない、そう悟った。
――俺は、過去でもなく未来でもなく、今を生きている……! 今を精一杯生きることしか出来ない――、いや、俺は今を精一杯生きることが出来るんだ! 俺は今、俺の気持ちを伝えたい――!
「……好きだ……!」
キースはついに、心の内にあたため続けていた想いを告げた。
「……キース!」
「俺は、アーデルハイトが好きだ!」
自分でもびっくりするくらい、自然と言葉が出てきた。
月や星の輝きのもと、その美しい特別な言葉は違和感なく世界に溶け込んでいく。
――ああ。不思議だ――。この綺麗な月夜の晩にアーデルハイトに自分の気持ちを告げることが、まるで、ずっと前から決まっていたことのように感じる――。
時間が止まったんじゃないか、キースにはそう思えた。
キースは、ただまっすぐアーデルハイトを見つめた――、はずだった。
宿屋の前の庭に、鋤が置かれたままになっていた。キースの目の端に、鋤が映る。
――ああ。すきだ……。
キースは、ぼんやりと鋤を見つめた。
――なんでこの晩このタイミングで、鋤が目の前にあるんだろう――。
「キース……! 私も……、私も……! キースが、好き……!」
キースは頭の中から、いったん鋤を追いやった。
そんなキースの一瞬の隙をついて、アーデルハイトはキースの胸に飛び込んでいた。
「キース……!」
アーデルハイトはキースの首に、しなやかな両腕を回す。
――しまった! 鋤に気を取られている隙に、先手を取られた!
格闘技じゃないのだから、先手もなにもあったもんじゃないし、「隙」というのも妙だが、キースの感覚的には、隙をつかれて主導権を取られてしまったような感じだった。
――男らしく、俺がアーデルハイトを抱きしめようと思ったのに……!
なぜか、ちょっと悔しく思う。
「……てゆーか、あれっ!?」
「え……? 『あれ?』って、なあに?」
アーデルハイトは、潤んだ瞳でキースを見つめる。
「ええっ!? アーデルハイト、俺のこと、好きなの!?」
「なにを今更っ!?」
アーデルハイトは呆れる――、この期に及んで、なにを言う!
「マジでっ!?」
キースがすっとんきょうな声を上げる。
「マジで!」
アーデルハイトが気恥ずかしさにちょっと乱暴に答える。
「マジかっ!?」
「マジだっ!」
「……アーデルハイト……」
――夢じゃ、ないんだろうか……!?
吸い込まれるような満天の星空。まるで違う時間軸の世界に迷い込んだように感じた。でも、確かにアーデルハイトのぬくもりを、息づかいを感じる。柔らかな体を、かぐわしい香りを、感じる。
「キースの……、ばか……」
アーデルハイトは、キースの厚い胸板に顔をうずめた。
「アーデルハイト……」
キースは、強くアーデルハイトを抱きしめた。
――アーデルハイト……! 俺の、俺の大切なひと……!
鋤が、月の光を受け静かに輝いていた。
――ああ……! すきだ……!
だから、なんでこんなときに鋤があるんだ、とキースは内心ツッコミを入れる。
ザワッ!
そのとき突然、キースの背に悪寒が走った。
「なにっ!?」
――なにかの気配を感じる!
アーデルハイトもなにかを感じた。二人は素早く振り返る。
「魔物かっ!? それとも魔族!」
視線の先、暗い闇の中に一人の老人がいた。
――しまった! カイが近くにいない!
キースは、一時でもカイと離れてしまったことを悔やんだ。
――剣がなくても、戦えるが――、でも、もしやつが魔族だったら――!
「違うわ! キース! 彼は……、亡霊よ!」
「亡霊!?」
その気配から、アーデルハイトは老人の正体を感じ取った。
「なーんだ! お化けかあ! 脅かすなよー!」
「……キース。その反応、変じゃない?」
普通、お化けだったらびっくりするものだが、今のキースは逆にホッとしていた。
「アーデルハイト、お化けもわかるのか?」
「ええ。『心霊』の授業でちょっと習ったわ」
「へええ! すげえな!? 魔法学校って、なんでも授業あるんだな!」
「まあね……。『未確認飛行物体』とか『秘境探検』の授業とかもあったわ」
バラエティーの特別番組みたいである。
「そんなことより、どうしてここに幽霊が!?」
アーデルハイトは、その亡霊が悪い性質のものではないと感じた。危険ではないと判断し、話しかけてみることにした。
「……あなたは、どうしてここにいらっしゃるのですか……?」
「……あの鋤は、私が彼女からプレゼントされたものだったのだ」
アーデルハイトの質問には答えず、老人は鋤を指差す。
「彼女……?」
「ここは、昔、私の畑だったのだ。私は、貧しい農家の息子。彼女は領主の娘。身分違いの恋だった――」
「身分違い――」
「私と彼女は本当に想いが通じ合っていた。でも、彼女の幸せを思い、私は自分の想いを隠し、黙って彼女を突き放した。わざと、嫌われるようにしたんだ」
「そう……」
「彼女は、彼女の身分にふさわしい相手と結婚した。私は、生涯独身を貫いた。私は一人働いて、年老いて、そして死んだ。今更未練があるわけでもないはずなんだが、どうしてだろう、またこの世に出てきてしまった。ここの宿屋の使用人が、私の鋤を使ってしまい忘れているからかな」
「……彼女のことを、本当に愛していたんですね。そして、彼女も心からあなたを愛していた……」
「……好きだから、鋤をくれたんだろうな。お茶目な子だったよ」
老人は笑う。
「鋤に、彼女の想いが詰まっているのですよ。今でも、その気持ちが鋤に記憶されている。あなたが恋しいという強い想いが。だから、あなたが呼ばれてしまった。この鋤が、あなたを呼んだのでしょう」
「……そうか……、そんなに私のことを――」
老人の瞳に、涙があふれる。
アーデルハイトは、鋤にそっと手を触れた。
「彼女の『想い』よ、出ておいで……! 彼に連れて行ってもらいなさい。これからは、ずっと彼と一緒にいられるわよ――」
アーデルハイトが語りかけると、鋤から美しい黒髪の女性が現れた。
「鋤造さん!」
老人の名は、鋤造といった。
「数寄子様!」
女性は、数寄子といった。
鋤造と数寄子は抱き合った。長いときを越えて――。
「彼女は、彼女の『想い』が実体化したものです。彼女であって、彼女ではないですが――。でも、間違いなく彼女の魂の大切な一部分です。一緒に、天国に連れて行ってあげてください」
「ありがとう……!」
鋤造と数寄子は笑顔で手を振りながら、天へと昇って行った。
「それだけ、二人は強い想いで結ばれていたのね――」
鋤造の、数寄子の幸せを願い、身を引いた選択は間違ってはいなかったのだろう、とキースは思う。鋤造は、精一杯自分の人生を生きたのだと思う。数寄子も、家庭を守り精一杯自分らしく生きられたのではないかと思う。
――人が心底考えて選んだ道にきっと間違いなんてない。自分の気持ちに正直に生きられないときもある。でも、そんな中でも、きっと最善の生き方が出来るはずなんだ……。だけど……、だけど、二人が幸せになれたらよかったのにな……。
「……俺は、恵まれているんだな……」
キースはそっと呟いた。
「え……? なにが……?」
アーデルハイトがキースのほうを振り返る。
「自分の気持ちに正直になれた!」
アーデルハイトは、キースの言葉に思わず笑顔になった。こぼれんばかりの笑顔に。
「うん……!」
それから、キースは思う。
――あの老人が、魔族でなくて本当によかった! もし、もし今魔族が襲ってきたら……!
油断していた。
「カイとは、一緒に行動をするようにしなくてはな……!」
キースの真剣な表情に、アーデルハイトはキースの言葉の意味がわかった。いつでも、戦闘が出来る状態でなければならないのだ。
ええー……。二人っきりにはなれないの……?
アーデルハイトは、ちょっぴり拗ねようかと思ったが、そんな場合ではない、と思い直す。それに、ここは大人の女性らしい余裕を見せようと考え、二人きりでいたい気持ちを隠すことにした。
「そうね……! どんな恐ろしい敵が襲ってくるかわからないから……!」
キースは気持ちを引き締め、宿へ向かう。
アーデルハイトは、キースに後ろから抱きつきたい、そう思った。そこまで大胆でなくとも、せめてキースの上着の裾を掴みながら歩きたい、そんなちょっぴり甘えてみたい衝動を抑えつつ、キースの後を付いていく。
ねえ、キース。さっきの続きは……?
アーデルハイトが少し唇をとがらせ拗ねているのに、キースは気付かない。
「あ」
突然キースは足を止め、アーデルハイトを見つめる。
「え」
アーデルハイトはどきりとする。
ぎゅっ。
キースはふたたびアーデルハイトの手を握った。
「はぐれないようにな!」
「う、うん……!」
はぐれるもなにも、あと数歩で宿屋の玄関なのだが。
「アーデルハイトは俺が守る」
「うん……!」
カイが近くにいない今、たぶん魔法を使える私のほうが強いよ、とアーデルハイトは思う。でも、アーデルハイトは黙っておいてあげることにした。
キースは私が守るよ。
アーデルハイトは、キースの肩に頬を寄せた。




