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旅男!  作者: 吉岡果音
第八章 実りの季節
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月夜の告白

 キースとアーデルハイトは、予約しておいた宿屋の前まで来た。手を繋いだまま――。

 他の皆は、先にさっさと宿屋に入ってしまった。

 いつの間にか、月には雲がかかり始めていた。星々は悠久のときを越え、美しくまたたく。


「……アーデルハイト」


 キースの声はいつもより低く、少し緊張しているようだった。

 アーデルハイトは、キースの青い瞳をまっすぐ見つめた。


「…………」


 キースは、なにか大切な一言を言おうとしているようだった。


 どきんどきん……。


 アーデルハイトの胸は高鳴る。

 アーデルハイトは、ただ静かにキースの言葉を待つ。きっと、それは自分が今までずっと待ち望んでいた言葉――、アーデルハイトは信じて、そのときを待った。

 キースには、まだ迷いがあった。


 ――星の樹のおばあさんは、自分の気持ちに正直になっていいと言ってくれた――。でも、俺の先には避けられない命を懸けた戦いがある。今だけを見つめて、本当にそれでいいのだろうか……。


 しかし二人の手は、しっかりと繋がれたままだ。

 夜風が、アーデルハイトの金の髪を撫でる。

 キースの瞳には、アーデルハイトしか映っていない。

 

「……アーデルハイト」


 キースはふたたびアーデルハイトの名を呼んだ。キースは意識してそうしたわけではないが、世界でたった一人の愛しいひとを呼ぶような、そんな呼びかたで、アーデルハイトの名を呼んだ――。


「……はい」


 アーデルハイトは、いつもの友達感覚とは違う返事をした。その簡潔な二文字の返事には、美しく穏やかな響きがあった。世界でたった一人の愛しいひとへと向けた、特別な声――。たった二文字の言葉に、名を呼ぶ声への返事という単純なことに、アーデルハイトのすべての想いが込められていた。

 月が雲間から美しい姿を現す。


『それでも、みんな恋をするわ』


 星の樹のおばあさんの声が、キースの頭の中に優しく響き渡る。


『人はそれぞれ、自分らしく生きていいのよ』


 キースの瞳には、柔らかな月の光を浴びたアーデルハイトが、まるで月の女神のように見えた。


 ――ああ。綺麗だな――。


 キースは、あふれる気持ちを自分の中に留めておくことはもう出来ない、そう悟った。


 ――俺は、過去でもなく未来でもなく、今を生きている……! 今を精一杯生きることしか出来ない――、いや、俺は今を精一杯生きることが出来るんだ! 俺は今、俺の気持ちを伝えたい――!


「……好きだ……!」


 キースはついに、心の内にあたため続けていた想いを告げた。


「……キース!」


「俺は、アーデルハイトが好きだ!」


 自分でもびっくりするくらい、自然と言葉が出てきた。

 月や星の輝きのもと、その美しい特別な言葉は違和感なく世界に溶け込んでいく。


 ――ああ。不思議だ――。この綺麗な月夜の晩にアーデルハイトに自分の気持ちを告げることが、まるで、ずっと前から決まっていたことのように感じる――。


 時間が止まったんじゃないか、キースにはそう思えた。

 キースは、ただまっすぐアーデルハイトを見つめた――、はずだった。

 宿屋の前の庭に、(すき)が置かれたままになっていた。キースの目の端に、鋤が映る。


 ――ああ。すきだ……。


 キースは、ぼんやりと鋤を見つめた。


 ――なんでこの晩このタイミングで、鋤が目の前にあるんだろう――。


「キース……! 私も……、私も……! キースが、好き……!」


 キースは頭の中から、いったん鋤を追いやった。

 そんなキースの一瞬の隙をついて、アーデルハイトはキースの胸に飛び込んでいた。


「キース……!」


 アーデルハイトはキースの首に、しなやかな両腕を回す。


 ――しまった! 鋤に気を取られている隙に、先手を取られた!


 格闘技じゃないのだから、先手もなにもあったもんじゃないし、「隙」というのも妙だが、キースの感覚的には、隙をつかれて主導権を取られてしまったような感じだった。


 ――男らしく、俺がアーデルハイトを抱きしめようと思ったのに……!


 なぜか、ちょっと悔しく思う。


「……てゆーか、あれっ!?」


「え……? 『あれ?』って、なあに?」


 アーデルハイトは、潤んだ瞳でキースを見つめる。


「ええっ!? アーデルハイト、俺のこと、好きなの!?」


「なにを今更っ!?」


 アーデルハイトは呆れる――、この期に及んで、なにを言う!


「マジでっ!?」


 キースがすっとんきょうな声を上げる。


「マジで!」

 

 アーデルハイトが気恥ずかしさにちょっと乱暴に答える。


「マジかっ!?」


「マジだっ!」


「……アーデルハイト……」


 ――夢じゃ、ないんだろうか……!?


 吸い込まれるような満天の星空。まるで違う時間軸の世界に迷い込んだように感じた。でも、確かにアーデルハイトのぬくもりを、息づかいを感じる。柔らかな体を、かぐわしい香りを、感じる。


「キースの……、ばか……」


 アーデルハイトは、キースの厚い胸板に顔をうずめた。


「アーデルハイト……」


 キースは、強くアーデルハイトを抱きしめた。


 ――アーデルハイト……! 俺の、俺の大切なひと……!


 鋤が、月の光を受け静かに輝いていた。


 ――ああ……! すきだ……!


 だから、なんでこんなときに鋤があるんだ、とキースは内心ツッコミを入れる。


 ザワッ!


 そのとき突然、キースの背に悪寒が走った。


「なにっ!?」


 ――なにかの気配を感じる!


 アーデルハイトもなにかを感じた。二人は素早く振り返る。


「魔物かっ!? それとも魔族!」


 視線の先、暗い闇の中に一人の老人がいた。


 ――しまった! カイが近くにいない!


 キースは、一時でもカイと離れてしまったことを悔やんだ。


 ――剣がなくても、戦えるが――、でも、もしやつが魔族だったら――!


「違うわ! キース! 彼は……、亡霊よ!」


「亡霊!?」


 その気配から、アーデルハイトは老人の正体を感じ取った。


「なーんだ! お化けかあ! 脅かすなよー!」


「……キース。その反応、変じゃない?」


 普通、お化けだったらびっくりするものだが、今のキースは逆にホッとしていた。


「アーデルハイト、お化けもわかるのか?」


「ええ。『心霊』の授業でちょっと習ったわ」


「へええ! すげえな!? 魔法学校って、なんでも授業あるんだな!」


「まあね……。『未確認飛行物体』とか『秘境探検』の授業とかもあったわ」


 バラエティーの特別番組みたいである。


「そんなことより、どうしてここに幽霊が!?」


 アーデルハイトは、その亡霊が悪い性質のものではないと感じた。危険ではないと判断し、話しかけてみることにした。


「……あなたは、どうしてここにいらっしゃるのですか……?」


「……あの鋤は、私が彼女からプレゼントされたものだったのだ」


 アーデルハイトの質問には答えず、老人は鋤を指差す。


「彼女……?」


「ここは、昔、私の畑だったのだ。私は、貧しい農家の息子。彼女は領主の娘。身分違いの恋だった――」


「身分違い――」


「私と彼女は本当に想いが通じ合っていた。でも、彼女の幸せを思い、私は自分の想いを隠し、黙って彼女を突き放した。わざと、嫌われるようにしたんだ」


「そう……」


「彼女は、彼女の身分にふさわしい相手と結婚した。私は、生涯独身を貫いた。私は一人働いて、年老いて、そして死んだ。今更未練があるわけでもないはずなんだが、どうしてだろう、またこの世に出てきてしまった。ここの宿屋の使用人が、私の鋤を使ってしまい忘れているからかな」


「……彼女のことを、本当に愛していたんですね。そして、彼女も心からあなたを愛していた……」


「……好きだから、鋤をくれたんだろうな。お茶目な子だったよ」


 老人は笑う。


「鋤に、彼女の想いが詰まっているのですよ。今でも、その気持ちが鋤に記憶されている。あなたが恋しいという強い想いが。だから、あなたが呼ばれてしまった。この鋤が、あなたを呼んだのでしょう」


「……そうか……、そんなに私のことを――」


 老人の瞳に、涙があふれる。

 アーデルハイトは、鋤にそっと手を触れた。


「彼女の『想い』よ、出ておいで……! 彼に連れて行ってもらいなさい。これからは、ずっと彼と一緒にいられるわよ――」


 アーデルハイトが語りかけると、鋤から美しい黒髪の女性が現れた。


「鋤造さん!」


 老人の名は、鋤造といった。


「数寄子様!」

 

 女性は、数寄子といった。

 鋤造と数寄子は抱き合った。長いときを越えて――。


「彼女は、彼女の『想い』が実体化したものです。彼女であって、彼女ではないですが――。でも、間違いなく彼女の魂の大切な一部分です。一緒に、天国に連れて行ってあげてください」


「ありがとう……!」


 鋤造と数寄子は笑顔で手を振りながら、天へと昇って行った。


「それだけ、二人は強い想いで結ばれていたのね――」


 鋤造の、数寄子の幸せを願い、身を引いた選択は間違ってはいなかったのだろう、とキースは思う。鋤造は、精一杯自分の人生を生きたのだと思う。数寄子も、家庭を守り精一杯自分らしく生きられたのではないかと思う。


 ――人が心底考えて選んだ道にきっと間違いなんてない。自分の気持ちに正直に生きられないときもある。でも、そんな中でも、きっと最善の生き方が出来るはずなんだ……。だけど……、だけど、二人が幸せになれたらよかったのにな……。


「……俺は、恵まれているんだな……」


 キースはそっと呟いた。


「え……? なにが……?」


 アーデルハイトがキースのほうを振り返る。


「自分の気持ちに正直になれた!」


 アーデルハイトは、キースの言葉に思わず笑顔になった。こぼれんばかりの笑顔に。


「うん……!」


 それから、キースは思う。


 ――あの老人が、魔族でなくて本当によかった! もし、もし今魔族が襲ってきたら……!


 油断していた。


「カイとは、一緒に行動をするようにしなくてはな……!」


 キースの真剣な表情に、アーデルハイトはキースの言葉の意味がわかった。いつでも、戦闘が出来る状態でなければならないのだ。


 ええー……。二人っきりにはなれないの……?


 アーデルハイトは、ちょっぴり拗ねようかと思ったが、そんな場合ではない、と思い直す。それに、ここは大人の女性らしい余裕を見せようと考え、二人きりでいたい気持ちを隠すことにした。


「そうね……! どんな恐ろしい敵が襲ってくるかわからないから……!」


 キースは気持ちを引き締め、宿へ向かう。


 アーデルハイトは、キースに後ろから抱きつきたい、そう思った。そこまで大胆でなくとも、せめてキースの上着の裾を掴みながら歩きたい、そんなちょっぴり甘えてみたい衝動を抑えつつ、キースの後を付いていく。


 ねえ、キース。さっきの続きは……?


 アーデルハイトが少し唇をとがらせ拗ねているのに、キースは気付かない。


「あ」


 突然キースは足を止め、アーデルハイトを見つめる。


「え」


 アーデルハイトはどきりとする。


 ぎゅっ。


 キースはふたたびアーデルハイトの手を握った。


「はぐれないようにな!」


「う、うん……!」


 はぐれるもなにも、あと数歩で宿屋の玄関なのだが。


「アーデルハイトは俺が守る」


「うん……!」


 カイが近くにいない今、たぶん魔法を使える私のほうが強いよ、とアーデルハイトは思う。でも、アーデルハイトは黙っておいてあげることにした。

 

 キースは私が守るよ。


 アーデルハイトは、キースの肩に頬を寄せた。



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