第50話 二組のデート
いわし雲が浮かぶ空は、明るい青。まだ夕食には早い時刻だが、キースたちは次の町に降り立つ。
この町を過ぎると山野が広がり、その次の町まではだいぶ距離があると、お世話になった村の長に教えてもらったのだ。
皆と会話しつつ歩きたいため、カイは人の姿に変身する。
「キース」
アーデルハイトが、キースに話しかけていた。
「あの……、今更だけど……、この前、マントを貸してくれてありがとう」
「え」
キースはなんのことかわからない様子で、足を止める。
「あの……、居眠りしちゃったとき。なんだかずっと、お礼を言うの忘れてたなって……」
「ああ! なんだ、あの山で、マントを敷いたときのことか」
キースはようやく思い出し、そんなことでわざわざ礼なんて言わなくていいのに、と白い歯を見せる。
「お礼言うのが遅れて、ごめん……」
アーデルハイトはうつむき加減で、所在なげに金の髪をすくって耳にかけていた。頬も耳も、ほんのり赤い。
「はは、今度はなんで謝るんだよ!?」
「いや、だって……」
「そんなことより、体調はもう大丈夫なのか?」
「うん……」
そのとき、妖精のユリエはキースの肩にちょこんと座っていたのだが、なにかを察したのか、キースの肩から飛び立つ。
ああ。アーデルハイトさんとキース、いい雰囲気になるかもって思って、離れたのか。
ユリエは二人きりで話せるよう気を利かせたんだな、そう思ってカイもさりげなく歩き出した。
少し前方に、宗徳とミハイルが並んで歩いていた。
ユリエは、ぱたぱた飛んでいき、宗徳の肩に座る。
「むっ!? ユリエ殿……!」
初めてユリエに座られた宗徳は、驚いたようだ。
「宗徳! 宗徳の髪、二つ結いにしてもいい?」
宗徳の動揺などお構いなしに、宗徳のダークブラウンの髪を小さな手で触りながら、明るい声でユリエが話しかける。
いいわけがない。たぶん。
カイは、宗徳の心情を思う。そして、なにゆえ二つ結いなんだ、とも思う。
「ユ、ユリエ殿、それでは、お願いする」
えっ、宗徳さん、お願いするの!?
きっと、唐突過ぎた焦りと緊張のためなのだろう、宗徳は心にもないだろうことを口走る。
「やったあ! ちょっとやってみたかったんだ!」
ユリエは、無造作に束ねてあった宗徳の髪をほどき、手で梳いてあげながら二つ結いにし始めた。
いいのか!? 宗徳さん!
宗徳の目は、泳いでいた。やはり、いいわけがない。
「むーねのり! かーわいい! かーわいい、かーわいい、むーねのーりさん!」
おかしな節をつけながら、ユリエが楽しそうに歌う。カイは一瞬宗徳に同情の色を示したが、
俺のおかしな女装姿に比べたら、かわいいもんです……。
宗徳によってバニーガールの恰好をさせられてしまったカイの心に、ちょっぴり黒い感情がよぎった。慌ててカイは、首を左右に振る。
いや! ここは宗徳さんに同情すべきところです!
黒い自分を速攻で反省した。
黒い色は、あのバニーガールの衣装の色だけでたくさんだ! 心まで黒くなってはだめだ……! 白だ! 俺は白いウサギを目指すんだ……!
カイは一人、わけのわからない高みを目指していた。当然ながら、カイがウサギを目指す必要はない。
ここは、花や緑に彩られた、美しい町だった。宿屋の白壁には素焼きの鉢が吊り下げられ、赤い花が目にも鮮やかだ。
「よーし、これで安心!」
キースは、代表して早めに宿を予約した。早い時間だったので、難なく予約できた。ドラゴンのゲオルクたちは、予約の際宿屋の厩舎に預ける。
「夕ごはんにも早いし……。せっかくだから、各自自由行動にしようか!」
皆に提案する。買いものや見たい店など、それぞれ希望があるだろうという思いからだった。
「そうですね。夕ごはんのころになったら、この食堂前に集合しましょう」
ミハイルが、目の前に見える食堂を指差した。ミハイルのお眼鏡にかなう、石造りの落ち着いた佇まいの食堂だった。きっと、料理も最高に違いない。
「キースはどうするの?」
アーデルハイトが、キースに尋ねる。
「そうだなあ。特に買い物もないし……」
キースは辺りを見回す。紅葉した街路樹の葉が、誘うように揺れている。
「とりあえず、この町を適当に散策しようかな」
「わ、私も! 私も一緒に行っていい?」
そう提案したアーデルハイトは、なぜかまばたき多めだった。手のひらも、思いっきりグーに握っている。
まさか、断ったら殴る、そういう意味か?
一瞬キースはひるんだが、いやまさか、と思い直す。
特に、怒らせるようなことしてないと思うし。それじゃ被害妄想強めだな。
ちょっと笑ってしまった。もちろん、アーデルハイトが凶暴であるとは思っていない。
今のキースの気分としては、あくまで散策の気分だったので、同行してくれるのはむしろ大歓迎だ。
「ん? もちろんいいよ。でも別にただ歩くだけだけど……」
「うん……!」
アーデルハイトの顔が、みるみる明るく輝く。
なんだろう? アーデルハイト、嬉しそうだな……?
キースはよくわからないけれど、アーデルハイトが喜んでいる様子を嬉しく思う。
「キース」
カイが、キースに話しかける。
「俺、剣の姿に戻りますね。ちょっと疲れたので休みます」
「え」
キースの反応を待たずに、素早くカイは剣の姿になった。
カイ。疲れるようなことしてないと思うんだけど……。もしかして、すねてんのかなあ。
祭りでバニーガールにされてしまったことを、カイはまだ怒ってるのかな、とキースは想像する。
剣となったカイはキースの腰に収まり、結果、キースとアーデルハイト、二人だけで行動という形になった。
オレンジと黄色に色づく葉の下を、二人は並んで歩く。
よかった。お二人の時間となったな。
宗徳は、キースとアーデルハイトの背を、眩しそうな目で見送る。
「私は宗徳とデートしよっと!」
えっ。
ユリエだった。
ユリエは宗徳の肩に座って、にこにこしている。
しまった……! ユリエ殿と一緒とは……! 髪をほどく機会を逸した!
二つ結いにかわいくされてしまった宗徳は、頬を赤くしながら困惑する。
でも、いたずらっぽい「デート」という言葉が、宗徳の胸に響いていた。
デート……!
相手が小さな妖精ではあるが、宗徳にはとても嬉しく感じられた。胸の中にあたたかいものが静かに広がっていく。
「宗徳さん、レディをどちらにエスコートされるんですか?」
ミハイルが、くすくすと、からかうように言う。
「さ、さあ……。女の人、いや、女の妖精が喜ぶところって、どこだろう……?」
真面目な顔で宗徳がミハイルに尋ねる。ミハイルは、吹き出してしまった。
「綺麗なところ、美味しいものがあるところ、かわいいものがあるところじゃないですか?」
「ええ……!? 難しいな……」
さらに真剣な顔で考え込む宗徳。何度も言うが、そんな宗徳の髪は二つ結いだ。
「僕は寺院などがないか、探してみようかと思います。この地の僧侶や神官のかたがたとお話してみたいです」
そう言い残しミハイルは、すたすたと歩き去る。
「え……、えええ!?」
宗徳は、勝手に熱くなる自分の頬を感じながら、戸惑う。
「宗徳。どこにエスコートしてくれるの?」
ユリエは小首をかしげながら、無邪気に笑う。
う。うむ……。これは、難題だ……。
宗徳は目を閉じ、考え込んだ。はた目には、脇に刀を差し、熟考する武人の姿そのものだった。なにかを悟ろうとする、孤高で高潔な雰囲気が、意図せず醸し出されている。しかし、その実はデートの場所について、だった。
そしてしつこいようだが――、髪は愛らしい二つ結いである。
アーデルハイトが話しかけてこないので、キースも黙っていた。
それは決して、居心地の悪い沈黙ではなかった。風はあくまで柔らかく、穏やかな時間、そう感じられた。
どこに行こうかな。
目の前に、黄色の花で飾られたアーチがあった。
「わあ、きれい……!」
アーデルハイトは、美しい花のアーチに瞳を輝かせる。
「ちょっと行ってみようか」
「うん……! お店の入り口かなあ? 素敵なアーチね!」
花のアーチがなにを意味するのかわからない。人を歓迎するような雰囲気に感じられたので、入ってみることにした。
「こんにちは。いらっしゃい!」
エプロン姿の上品な印象のおばあさんが、笑顔で出迎えてくれた。奥には豪華な屋敷が見える。屋敷の前の緑あふれる庭園に、白いテーブルと白い椅子が並べられている。テーブルの上には、ティーカップやポットやケーキが乗っており、これからお茶会でも催されるようだった。
「あ。すみません。あんまり見事なアーチだったんで、つい入っちゃったけど……」
キースがおばあさんに勝手に入ったことを詫びる。屋敷は店などではなく、個人の住居のようだ。
「いえいえ! 来てくれてありがとう。さあどうぞ、お二人さん、座ってお茶でも飲んでいってくださいな」
「え……」
「私は若い人とお話しするのが大好きなの! あなたがたのような人が来るのを楽しみに待っていたのよ」
キースとアーデルハイトは顔を見合わす。
「さあ、遠慮しないで! 出会ったのはなにかのご縁でしょうから、一緒に午後のお茶を楽しみましょう!」
おばあさんは、明るく優しい笑顔。とても悪い人には見えない。
「いいんですか? じゃあ、遠慮なくいただきまーす!」
キースは、本当に遠慮なく白い椅子に座った。
「キ、キース!」
「お嬢さん、心配しないで大丈夫よ。私はただの暇を持て余したおばあさんだから」
アーデルハイトも、おばあさんに促されるまま椅子に座った。
「このお茶、とっても美味しいのよ。一人で飲むのはもったいないお茶なの。あなたがたが来てくれて本当によかった」
おばあさんは楽しそうにそう言いながら、白いティーカップにお茶を注ぐ。ふわりとよい香りが漂う。
「これを入れると、さらに美味しいのよ」
おばあさんは、黄色の星型の砂糖のようなものをティーカップの脇に添えた。
「へえ! かわいい砂糖だねえ! ありがとうございます、いただきます!」
キースは勧められるままに星型の砂糖を入れ、お茶を飲んだ。
「美味しい!」
そうキースが叫んだ瞬間。急にキースの目の前の風景が変わった。
あ、あれ!?
キースがいるのは、緑あふれる庭園ではなくなっていた。それはまるで――、輝く明かりに囲まれた漆黒、夜空のような場所だった。そんな不思議な場所に、どういうわけか浮かんでいた。
ここは、いったい……!?
無数の明かりは、美しい星々、そうとしか思えなかった。しかし手を伸ばせば、触れそうなくらいに明るく近く見える。
アーデルハイトは……!
アーデルハイトの姿はなかった。ただ、目の前に先ほどのおばあさんがいた。
「ふふふ。ここは、あなたの意識の深いところよ」
おばあさんは、優しい笑顔でそう告げた。
「俺の……、意識の深いところ……!?」
キースは身構えた。とっさに腰にある滅悪の剣に手を伸ばしたが、
ない……! カイが、いない……!?
カイの姿も、なかった。
キースは、おばあさんを睨む。しかし――、どういうわけか、キースの目にはこの老婆が、いまだ悪い存在とは思えなかった。そして今の自分の状況も、危険とは思えなかった。すべてがあいまいで、でもその中でも受け入れられる感覚がある。まるで、夢の中のようだ。
どういう、ことだ……?
「私はね、若い人のお話を聞くのが大好きなの。特に、恋愛の話を聞くのが大好き! あなた、誰かに聞いてもらいたい恋の悩みがあるんじゃない?」
おばあさんは、少女のようないたずらっぽい笑顔を見せる。
「恋の……、悩み……?」
「さっきも言ったけど、ここはあなたの意識の少し深い場所よ。あなたが普段の意識では気付かない悩みや思いがあるはずよ。それを私に話してみてちょうだいな」
「普段の意識では気付かない……」
星々は、美しい光を投げかける。吸い込まれそうだ、とキースは思う。
「……恋とは……、人は……」
キースは、自分でも思いもよらない質問をしていた。
「……もし、自分の命が長くないかもしれない、戦いに行かねばならないと知っているのなら、誰かを本当に好きだと思っていても、その気持ちは自分の中だけで抑えておくべきなのでしょうか。相手の幸せを思うなら、恋は進めるべきではないのでしょうか」
あれ。なんで俺、そんなこと訊いてるんだろう――。
それは、自分でも気付かない、心の奥底で抱えていた疑問だった。
「……だからあなたは、自分の気持ちに気付かないふりをしているのね。そのうえ、自分がお相手の気持ちを知ることがないように、無意識にガードしているのね」
「え……?」
「もともとの鈍感さもあるけれど、自分でブレーキをかけていたのね」
「ええ……!?」
「ごめんなさいね。私、話していると色々わかっちゃうひとなの」
おばあさんは、ふふふ、と笑う。
「……人の命は短いわ。いつ死ぬかなんて誰もわからない。健康で丈夫な人だって、病気や災害、事故や不幸な出来事で急に天国に旅立ってしまうこともあるものよ」
「はい……、それはそうですが……」
「それでも、みんな恋をするわ」
「…………」
「精一杯恋をして、楽しんで、学んで、辛い思いもして、一生懸命生きているの」
星が流れていく。美しい軌跡を残して。
「大丈夫よ。まだ来ていない、起こっていない未来を考えて気持ちを抑え込む必要なんてないのよ。それより、自分の気持ちに正直になって、今をめいっぱい生きて。誰でも皆、迷いつつ自分の気持ちに従って、現在を生きて、そして未来を創っていくべきなのよ」
「でも……」
「それに彼女はもう、あなたの運命を知っているんでしょう?」
「はい……」
「それなら、判断するのは彼女よ。将来の伴侶として、なんの不安もなく感じられる人と恋をするのも彼女の自由、戦う使命を持つ人と恋をするのも彼女の自由。彼女の気持ちまであなたがコントロールしようとしたって駄目よ。あなたは、自分の本当の気持ちに素直になればそれでいいのよ。そうすることによって、あなたが幸せになれるだけじゃない、あなたの周りも幸せになるのよ」
「本当の……、気持ち……」
おばあさんは、キースの頬に両手をそっと添えた。あたたかい手だった。
「大丈夫よ。あなたがあなたらしいほうが、みんな笑顔になるの。人はそれぞれ、自分らしく生きていいのよ」
そう言って、おばあさんはにっこりと笑った。
「自分らしく……」
「そう! この星々のように、皆、輝いていいの!」
満天の星。ひとつひとつが異なる美しい輝きを放つ。
ああ……。きれいだな……。俺も、こんなふうに輝くように生きられたら――。
キースは、優しい光を放つ星に手を伸ばした。
「あれっ……!?」
そこで、キースはハッとした。
「えっ……!?」
アーデルハイトの声もした。
「アーデルハイト……!」
二人は驚いた顔で周りを見回した。
いつの間にか、おばあさんは消え、緑あふれる庭園も、豪華な屋敷も、お茶も白いテーブルも、すべて消えて無くなっていた。
キースとアーデルハイトは、公園の中にいた。
「あれ……。ここは……?」
目の前に、黄色に色づく星形の葉をつけた老木があった。
「あっ……! これは『星の樹』よ!」
アーデルハイトが叫んでいた。
「星の樹……?」
「ええ。星の樹の老木は、人に夢を見せることがあるって、聞いたことがあるわ」
「星の樹……。あの庭園やお茶は、この老木が見せた夢だったのか――」
あのおばあさんは、この「星の樹」だったんだ――。
さわさわと、枝が風に揺れた。一枚、星型の葉が風に乗り宙を舞う。まるで、流れ星のようだった。
「ありがとう……! おばあさん……!」
キースは、星の樹の老木に手を触れ、そっと目を閉じた。
ふふふ。あなたらしく、それでいいのよ。
おばあさんが笑っているような気がした。
「おかげ様で、お寺のご住職と有意義なお話が出来ました」
ミハイルが笑って報告する。
「私たち、不思議な体験をしたの」
アーデルハイトはそう言って微笑んだ。アーデルハイトやカイの話では、それぞれあの時間、美しい夢のようなものを見ていたそうだ。キースは黙って微笑みながらうなずく。
本当に……。不思議な体験だった――。
瞳を閉じれば、あの星々の光が浮かぶようだった。
「私! 私、宗徳にアップルパイをご馳走になったの! とってもかわいいお店で、アップルパイも美味しかったー! 宗徳はパフェを食べてたの! とっても素敵なデートだったの!」
ユリエが目をきらきらさせながら、満面の笑みで報告する。
えっ……。宗徳が、かわいいお店で、パフェ……。
ユリエと宗徳以外、一同絶句した。
「う、美味かったぞ! パフェとやら!」
頬を染めながら宗徳がパフェの感想を述べる。髪はやはり二つ結いだった。
「一個のジュースを、ふたり一緒にストローで飲んだりしたんだよねー!」
声を弾ませ、ユリエは満足そうな笑顔。
えっ……。宗徳が……。
ユリエと宗徳以外の面々は、言葉を失った。
宗徳は、新しいゾーンに足を踏み入れたようだ。




