第47話 愛のキューピッド
魔物は去った。それでも、この山の異質な空気は変わらない。
暗く、不気味な雰囲気の森。
しかしとりあえず危険な気配は感じられないので、キースたち一同はその場で昼食後の休憩をとっていた。
眠い……。
アーデルハイトは、猛烈な眠気に襲われていた。昨晩まったく眠られなかったうえに、魔物を退治しようと魔力を使ってしまったのである。無理もない話だった。
こてん。
必死に起きていようと努めていたアーデルハイト。睡魔という「魔」、恐るべし。ついに隣に座ったキースの肩にもたれかかるようにして眠ってしまった。
キース。ごめんね。変なやきもち――。
眠りの中では、素直になれた。
「あら。寝ちゃったよ」
キースは心配そうにアーデルハイトの寝顔を見下ろす。体調がまだ万全ではないだろうことと、大技を繰り出したことで疲れているのだろうと、鈍感なキースもさすがに察した。
俺の肩で、すやすや、眠ってる……。
皆の手前もあり、意識しないよう努めたが、どうしても胸の鼓動が速くなる――。
ええい、この子はアーデルハイトじゃない! ええと、おじさん、疲れ切って居眠りするおじさんだと思うんだ――!
キースは心の中で、アーデルハイトをおじさんだと思うことにした。滑らかで光り輝く金髪ではなく、滑らかで光り輝く肌色の頭部を想像し――。
無理あるな。
キースが己の想像力の限界を感じたとき、ミハイルが立ち上がった。
「この山は魔の空気が強い! 僕は、ちょっと辺りを見てきます!」
ミハイルはなぜか慌て気味にそう言い切ると、そそくさと森の奥へ向かった。
「俺も! 俺もちょっと周りを見てこようと思う!」
宗徳もその場から立ち上がり、ミハイルとは反対側の森の奥へ向かう。
「俺は、ちょっと剣の姿で休みます!」
カイはそのように言い残し、キースの返事もまたずに剣の姿へ変化してしまった。
「私! 私はルークにブラッシングしてあげよーっと!」
妖精のユリエは、少し離れたところで休んでいるペガサスのルークたちの元へ飛んでいった。
「あ、あれ……? みんな……?」
呆気にとられるキース。キースと熟睡してしまったアーデルハイトを残し、あっという間にそれぞれどこかへ行ってしまった。カイだけはすぐ傍にいるが、剣の姿なので、実質キースとアーデルハイトが二人きりのような状況である。
「ああ。そうか。アーデルハイトが起きないよう、気を遣ったのか」
二人きりになるように気遣った、という考えに、残念ながらキースは至らない。
でも、この姿勢じゃ、疲れは取れないだろうなあ。
キースは、アーデルハイトが起きないようなるべく体を動かさないようにしつつ、自分のすぐ脇にある荷物の中から、防寒用のマントを取り出し、草の上に広げた。
俺は傍にいるから、安心して眠りな。
アーデルハイトを、マントの上にそっと横たわらせた。
なぜか、誰も戻ってこないなあ。
森は静かなままだった。ミハイルや宗徳が、魔物や野生動物に遭遇している可能性はないと思えた。もっともミハイルも宗徳もそれぞれ相当な戦士であるとキースは認めているので、その点は安心していた。
そうか。大きいほうだったか。
食後のリアル、とキースは一人勝手に納得していた。
風が通っていく。一人黙って座っているうちキースは、あの「新しい感覚」について考え始めていた。
この、なにやら不気味な山でも、あの深い感覚を掴めるのだろうか。
自分自身を自然の一部として、自我を解き放ち自然に溶け込み、そして自らの命というものを深く感じ取る――。「魔の磁場が強い」とミハイルが言っていたこの山で、それを行うことは、もしかしたら違う側面が見えるのではないか、そんな気がした。
やってみよう、とキースは思った。
剣を握らなくても、こうして座っているだけでも……。意識は自由に巡らせるはず――。
キースはそうとは知らずに、瞑想をしていた。目をつむりゆっくりと深い呼吸を繰り返し、山の中に自分という「個」を解き放つ。
表層の禍々しい気配ではなく、もっと深淵なる山の「核」となるものに意識を向ける。
大いなる自然。純粋なエネルギー。
今度はその中の、小さなひとつの命としての自分を感じ取る――。
すると、ビリビリとした、あの感覚が蘇ってきた。
強い、エネルギー! 同じだ! どんな場所でも、この感覚は掴めるのか……!
もっと、鍛錬し、極めれば集中の時間も短縮できるはず、そうキースは確信していた。
『人の子よ』
突然、キースの頭の中に男性の声がした。
「誰だっ!?」
『声を上げるな。ご婦人が起きてしまうだろう?』
頭の中で響いている不思議な声は、あくまで穏やかだった。そこに殺気や敵意など危険な要素は感じられない。
『私は、お前の意識に語りかけている。お前も、心の中で語りかけるだけでいい。それで私には通じる』
心の中で語りかけるだけ……?
何者かわからないが、キースも心の中で相手に語りかけてみることにした。
『あんた、いったい何者だ?』
『私は……。そうだな。いうなれば、この山の主ってところだな』
『この山の主……! どうして、この山の主が俺に……?』
『さっき、お前は私に意識を向けた』
『ああ……! さっき新しい感覚を試したからか……!』
『お前は、面白いな』
『なんか……、すみません。迷惑なこと、しちゃったかな?』
『いやいや。お前のような人間は初めてだ。面白かった。大抵の人間は、この山を恐れ近づきもしない。人間はいつかず、魔物が住みつく一方だ』
『そうですか。迷惑じゃなかったらよかった』
『ところで人の子よ。ここでこうして話しているのもなにかの縁。というより、私にとって稀有なチャンスだ。お前にとって迷惑でしかないかもしれないが――、お前にひとつ、頼みたいことがある。引き受けてくれないだろうか』
『俺に、お願い……?』
キースは首をかしげた。いったい、山の主のお願いとはなんだろう、と思った。
空気が一瞬、変わった。
『わ!』
いきなり、キースの目の前に深い緑色の髪をした、美しい青年が現れた。
『私だ。人間の姿をとってみた。サイズも人間サイズにしてみたぞ』
山の主は穏やかな笑みを浮かべた。しかし、そうはいってもやはり「魔の気の強い山」の主である、底知れぬ恐ろしさと迫力が感じられた。
『俺にお願いって、なんだ?』
キースはここで気おされてはならないと、対等の姿勢を心がけた。
敵意はないようだが、アーデルハイトに危険が及んではならない……!
『ふふ。案ずるな。お前やご婦人に危害を与えるつもりはない』
『あ! 俺の考えを読んだな! ずるいぞ!』
『ふふふ。すまない。ご婦人は、お前にとってとても大切な人のようだな』
『……そうだ! 俺にとって、大切な人だ!』
キースは、きっぱりとそう山の主に伝えた。
『……頼みというのは、他でもない。私の大切な存在に、これを渡して欲しいのだ』
山の主は、美しく輝く緑色の宝石の原石をキースに手渡した。
『あなたの、大切な存在……?』
『人間でいうと、大切な人、だ』
『あなたの、大切な人――』
『私の北側の隣の、山の主だ』
『ええっ! そうなの!?』
『彼女とは……。北の山の主とは、満月の夜に語り合っている。そして一年に一度の特別な満月の夜は、互いに会うこともできる』
『そうなんだ……』
『会うことはできるのだが、お互い短い時間山を離れるのが精いっぱい、物を持ち歩くことまで出来ない』
『渡すことができないでいたのか……』
『ずっと、彼女にこれを贈りたいと思っていた。これがあれば、会えない間も私を思い出すよすがとなり、彼女はきっと寂しくないだろう』
『そっか……』
『頼まれてくれるか……?』
『もちろん!』
キースは大きくうなずいた。
『そうか、ありがとう……! お前に会えて、本当によかった……!』
『お安い御用だよ! 次に彼女に会えるのが楽しみだね!』
『ああ、ありがとう! お前たちも、幸せにな……!』
『俺は、あなたがたのようにお互い想い合ってはいないけど……』
山の主は、小さく呟く。
『鈍感め』
『え、なにか言った?』
山の主は、ただ笑っていた。
『では、頼んだぞ……!』
『山の主さん、お元気で!』
山の主は、嬉しそうに微笑むと消えていった。
「なあ。みんな。ここの北側に面した山に立ち寄ってもいいか?」
皆が揃うと、キースは早速提案した。
「え? もちろんいいけど、どうして?」
皆、不思議そうな顔。
「大切なお使い、頼まれちゃった!」
キース以外わけもわからないまま一同、北の山に降り立った。
「ん? でもどうやって渡せばいいんだ?」
キースは、少し考える。
あ! そうだ! さっきのように、山に深く意識を合わせればいいんだ!
キースは目を閉じ集中し、意識を深いところに合わせてから、山に語りかけた。
『山の主さん。隣の山の主さんからプレゼントを預かりましたよー! 渡したいので出てきてください!』
どこからか、よい花の香りが漂う。
あっ、キースたちは息をのむ。
目の前に、若く美しい薄紫の髪をした女性が現れたのだ。
「これ、隣の山の主さんからです。これがあれば、会えないときもあなたは寂しくないだろうって言ってました。これを隣の山の主さんだと思って、大切になさってください」
「まあ……! ありがとう……!」
北の山の主の涼やかな瞳に、涙がにじむ。
「それじゃ、俺たちは失礼します。どうか、お元気でお過ごしください! 隣の山の主さんと末永くお幸せに……!」
「人の子よ……! 本当に、ありがとう……!」
「どういたしまして。そいじゃ、さよならっ!」
キースは元気に手を振った。
「えええっ!? なんのことかさっぱりわかんないんだけど!?」
皆口々に叫ぶ。北の山の主は、微笑みを浮かべながら消えていった。
「任務完了! じゃあ、みんな、出発しますか!」
「なになにーっ!? 説明してよ! キース!」
「あとで話すよ! 愛って、いいねえ!」
ぽかあん。
一同、顔を見合わす。
「俺は、愛のキューピッドなのだ!」
キースは胸を張った。
「あ、愛のキューピッド……? キースが……?」
カイ、ミハイル、宗徳、ユリエは絶句した。アーデルハイトも、理解が追いつかない様子で戸惑っている。
誰かが、ため息まじりに呟いた。
「キースが愛のキューピッドって!? それはそれでいいけど……」
それより自分のほうをなんとかしなさい、そう訴えかけているかのような口ぶり。
「でしょー、俺、すっごくいいことしちゃった!」
キースは深く意識を巡らせることはできるが、微妙な空気を読むことはできない。
周りの気苦労は絶えそうもない。




