第46話 寝言のように言ってみる
その森は、まるで時間が止まっているようだった。
ねじ曲がった木々、深い緑は薄暗く、じっとりと空気が重い。沼が近いのか、生臭い匂いが漂う。
「なんか、暗い感じの森だなあ」
空を移動していたキースたちは、森の中に降り立つ。昼食と休憩のためである。
「うーん。これはちょっと……。降りる場所を間違えたかもしれません」
退魔士のミハイルが、辺りを見回しながら呟く。
「この森は、あまりよくない場所のようです。魔の気配が……」
魔の気配がする、ミハイルがそう言いかけたときだった。
「ミハイル! そういやお前昨夜、おなかいっぱいになる夢、見てただろー!」
キースが急に昨夜のことを思い出し、指摘していた。思いついたことをそのまま言うキース、いったいなにが「そういや」なのか。
「えっ! どうしてわかったんですか!?」
ミハイルは、驚きの声を上げた。図星だったようだ。
「えっ!? おなかいっぱい!?」
隣にいたアーデルハイトが、なぜか食いつくように叫ぶ。
え。なんでそこでアーデルハイトが驚く……?
アーデルハイトの少し裏返った声は、おなかいっぱいという言葉を疑問に思っているような響きに聞こえた。アーデルハイトの昨夜の占いを知らないキースは、意味がわからず首をかしげる。
おなかいっぱいに否定的なのか……? もしかして、アーデルハイトは昨日、おなかいっぱいじゃなかった……? 宗徳の寝言のように、本当はもう一杯お代わり可能だったのか……?
あの宿屋の夕食は、あんなにたくさん料理があったのに、とキースは意外に思う。
今まで気付かなかったけど、アーデルハイトは、たくさんのごはんをご所望だったのかもしれない。
キースは「アーデルハイト大食い説」を打ち立てていた。アーデルハイトの件はそれで終了、キースの追及の標的はミハイルに定まる。
「ミハイル! お前、思いっきり寝言言ってたぞ! しっかり活舌よく『おなかいっぱい』って!」
「えっ! ほんとですかっ! 僕、そんな寝言言ってたんですか! しかも活舌よく! うあ、恥ずかしいっ!」
ミハイルは頬を赤くし、ちょっと慌てていた。寝言を言っていただけでも恥ずかしいのに、内容が内容、活舌が活舌である。
「ははは! まだまだミハイルも修行が足りんな!」
キースも同じ寝言を発していたのに、修行が足りん宣言。まさか自分も同じ「寝言民」であるとは思っていない。
「ミハイル殿がそんな寝言を! 意外だな! キースのほうが言いそうなのに!」
宗徳がふだん細い目を大きく見開き、それからさも愉快そうに笑った。
「んん? そーいや、そーゆー宗徳も寝言言ってたな! もう一杯お代わりできる、って言ってたぞ!」
キースの容赦ない攻撃は、宗徳にも及ぶ。しかし宗徳は、楽しげにうなずいた。
「ああ! 言われてみれば確かにそんな夢を見ていた気がするな。もう一膳いけそうな気がした」
うっすら、覚えがあるらしい。「もう一膳いけそうな夢」とはいったいどんな夢なのだろう。
「ははは! お前らが変な寝言言うから、俺もおなかいっぱいになる夢、見ちまったよ!」
キースは、ミハイルと宗徳を交互に見ながら無邪気に笑う。自分は決して寝言など言っていないと信じて。
「えっ!」
アーデルハイトが、驚いた顔でキースを見つめていた。
「ん? どーした? アーデルハイト」
「キ、キース……。それで、昨晩『おなかいっぱい』って……」
アーデルハイトの声は、かすかに震えているような気がした。
なんの確認なんだ。
キース、はてな、である。
「ん? まさかアーデルハイトも、おなかいっぱいの夢でも見たのか?」
恐るべし夕食、皆を同じ夢に誘う、とキースは思う。
「……ユリエちゃんっ!」
アーデルハイトは、キースの問いには答えず、隣にいた妖精のユリエをぎゅうっと抱きしめた。
「ユリエちゃん! ユリエちゃん!」
アーデルハイトは、満面の笑顔で小さなユリエの手を取り、くるくると楽しそうに回った。
「どうしたの? アーデルハイト……?」
ユリエは戸惑いながらも、アーデルハイトの動きに合わせてダンスを踊るようにくるくる回る。ユリエも、アーデルハイトの占いについては知らない。
「ユリエちゃん……! よかったあ! おなかいっぱい、ほんとにおなかいっぱいだったんだあ」
アーデルハイトは弾けるような笑顔。アーデルハイトは、ついに「おなかいっぱい」のキースの言葉の真意を知ったのだ――。
「なんかよくわかんないけど……、よかったね! アーデルハイト!」
アーデルハイトのきらきらとした笑顔につられ、ユリエも思わず笑顔になる。
「な、なんだお前ら?」
キースはわけがわからず、きょとんとした。カイもミハイルも宗徳も、なにがなにやらわからないが、楽しそうなアーデルハイトとユリエの姿に思わず笑みがこぼれる。
ついでに、ペガサスのルーク、ドラゴンのゲオルク、ドラゴンのオレグ、翼鹿の吉助も、よくわからないけど、お祭り騒ぎはいつでも大歓迎、楽しそうな雰囲気にまざりたい! とばかりにアーデルハイトとユリエの周りで楽しそうに飛び跳ねてはしゃいだ。
「んー。輪になって踊る乙女と妖精と聖獣たち。ファンタジーだねえ! よし、俺たちも踊るか!」
キースは意味不明にカイの両手を取る。そしていきなりカイを振り回し始めた。
「なんで俺と踊るんですかーっ! そして、踊るっていうより、ただ振り回してるだけじゃないですかーっ!?」
「ははは! 遠心力、遠心力!」
カイをぐるぐる振り回し、キースもご機嫌である。
「……他人のふりしますか」
宗徳にささやく、ミハイル。
「うむ。火の粉が降りかからんうちに、そっと離れよう」
宗徳とミハイルは、キースのターゲットになる前に、そっと歩き出した。
賢明な判断である。
一連の騒ぎで、山の不気味な雰囲気について誰も気に留めなくなった。
山道に、いきなり矢印の書いてある看板があった。
「なんだこの怪しい看板! 矢印だけかよ!?」
白地に黒い矢印が一個だけ。怪しさ満載だった。
「その先にもありますよ」
ミハイルが指差す方向に、同じ看板らしきものがたてられていた。
「こんな人気のない山の中に……、妙だな」
矢印の看板通りに歩いてみる。
「なにかの罠に違いない」
キースが呟く。看板はいざなうように点々とたてられている。
「それでも乗ってみるんですか?」
カイが尋ねる。
「ああ。他の旅人が惑わされないよう、危険かどうか確かめなくては」
「で、危険な魔物だったら、退治するんですね」
カイがわかっていますよ、と微笑む。
「……カイは、飯を食わないから、おなかいっぱいの夢は見ないんだろうなあ」
「……急になにを言うんですか」
キースは突然話題を変えた。
「つまらんなあ」
「なにがつまらないというのですか」
「カイも寝言を言って欲しかった」
「おなかいっぱいだけが、寝言じゃないでしょう」
むしろ、少数派である。
「カイも寝言言うのかなあ」
「剣の状態では話せません。人間の姿で寝るときは、自分ではわかりません。人間が見る夢のような夢は見ませんし、たぶん人間の姿でも言わないでしょう」
「今度、カイが人間の姿のまま寝るときは、じっくり観察してみよう」
「なんのために」
「翌日、それをネタにからかおうと思って。明日のための準備ってやつだな!」
「……俺をからかうために、心血注がないでください」
「明日のために今日種をまく! 大事だねえ!」
「わけわかんないんですけど。俺、たぶん寝言言いませんよ」
「そこをなんとか!」
「お願いして言うもんじゃないでしょう」
「どうしても言わないかなあ。じゃあ試しに今、寝言言ってみな?」
「『寝言は寝てから言え』」
くだらなすぎるやり取りをするうち、建物が見えてきた。
「なんだこりゃ!」
お菓子の家だった。ビスケットそっくりの壁、チョコレートそっくりの屋根、ゼリーのような窓、扉はガムだろうか、煙突はバームクーヘン。
「なんだこのわかりやすすぎる罠はーっ!? こんなのに引っかかるやつ、いるのかあ!?」
思わずキースが叫ぶ。その横で、
「お菓子のいええええ!」
ユリエが絶叫した。
「お菓子の家、イエーッ」
興奮しながらお菓子の家に突入しそうになるユリエを、キースはひょいっと捕まえた。
「こらこら。言ってるそばから引っかかってんじゃない」
「だってだって! 美味しそうだよ!? すごいよ!? ファンタジーだよ!? ダイナマイトだよ!?」
「これは絶対、魔物の罠だよ。近づく者を捉えて食うんだ」
「たぶん、そうでしょう」
退魔士のミハイルもうなずく。
「しっかし、ほんと、わかりやすすぎだよなあ!」
キースが大声でそう言い放ったとき、お菓子の家の扉が開き、中から女性が現れた。
「旅のかたがた、お疲れでしょう? 私の家でどうぞ休んでいってくださいまし」
胸元の大きく開いたドレスを着た妖艶な美女だった。ドレスの裾には、深いスリットも入っており、美しく長い脚もあらわに見える。
「ダイナマイト!」
キースが叫んだ。
そして、次の瞬間――。
「我は扉を開く! 魔の者よ! 汝の住まう魔の国へ帰れ!」
間髪入れず、アーデルハイトが呪文を叫んでいた。
「えっ!?」
妖艶な美女、キース、ユリエ、カイ、ミハイル、宗徳が一斉にアーデルハイトのほうを見た。皆驚いて、二度見した。
ゴゴゴゴゴゴ!
目の前に巨大な漆黒の扉が現れた。
「貴様、いきなり、な、な、なにをする!?」
妖艶な美女が顔を歪めて叫ぶ。
ゴアッ!
漆黒の扉が開いた。風が巻き起こる。
「貴様―っ! 対処が早すぎるのではないかーっ! 卑怯だぞ!?」
謎の美女は謎のまま、叫びながら扉に吸い込まれていく。抵抗する暇もないようだった。
「封印!」
バタン!
アーデルハイトが叫ぶと扉は閉じた。そしてすぐに、漆黒の扉と謎のお菓子の家は、煙のように消えていった。
「ア、アーデルハイトさん……!」
ミハイルは絶句した。ここは、自分の活躍の場面ではなかったのか。なぜ、アーデルハイトさんが……、とミハイルは戸惑っている。
「今の技は、強い集中力とその場の気を整えるための時間が必要なはず……! こんな「魔」の磁場の強い場所で、あんなに素早くそれをやってのけるなんて……! 今の魔物は、ごくごく弱い魔力の者だったけど、それにしても、すごすぎる……!」
ミハイルは感嘆し、
「ア、アーデルハイトさん……。今の技……、退魔の術、完璧でした……」
自らの完全敗北を認めた。
「『退魔の授業』で習ったから! 『占術』は苦手だけど。、『退魔』は得意だったから!」
早口で、アーデルハイトは言い切った。
「そ、そうですか……。お見事です」
退魔士にもなれますよ、とミハイルが言いかけたが、もうアーデルハイトは歩き出していた。
「さあ! 行きましょう! お昼ごはんになるもの、探すんでしょっ!?」
「アーデルハイト、怒って……」
ユリエが言いかけて、やめた。
キース以外の全員が、空気を読み取った。アーデルハイトの揺れる長い金の髪が、ピンと伸びた背筋が、必要以上にキビキビとした足取りが、怒りを物語っていた。
「怒ってる! アーデルハイト! キースが美女に見とれたからだ!」
ユリエが思わず口に出してしまったが、
「なんだあ!? アーデルハイト! すげーこと出来んじゃん! 美女をもうちょっと拝みたかった気もするけど、解決してよかった、よかった!」
キースは聞いてない。
「あああ! キース、余計なことを……!」
誰かが、呟いた。きっとそれは皆の総意。
「ああ! あの木の実、食べられるやつね!」
アーデルハイトは、木の実がなっている木を見つけた。美味しそうな大きな黄色の実が、たわわに実っている。
ドサドサドサッ!
アーデルハイトが木の実に向かって、素早く空気を切るような仕草をするやいなや、木の実は全部落ちた。
「あらい! あらっぽいよ! 仕事が!」
また誰かが言う。もちろん、キース以外の。
「さあ。食べましょう。みんな」
振り返って微笑むアーデルハイト。その微笑みは、キース以外の一同には、空恐ろしいものに感じられたに違いない。
「わーい! いっただっきまーす!」
キースだけが、無邪気に喜んだ。
「おなかいっぱいです……」
呟く、誰か。それはキース以外。
「……なんで、一番気が付かなきゃいけない人が気付かないんだろう」
カイが、ぽつり、と述べた。
「案外、恋ってそういうものかもしれませんね……」
ミハイルが、しみじみと言う。
「おなかいっぱいです……」
カイも、寝言のように言ってみた。




